第二十一話 森の異常と、三つ巴の死線
遅くなりました!
夜明け前の冷たい霧が、重く森を覆っていた。
国境街から北東へ進んだ先にある深い森。木々の隙間から差し込むわずかな朝日すら、分厚い葉に遮られて地面までは届かない。
前衛の先頭を歩くのは、昨日ギルドで突っかかってきた巨漢の男だ。出発前に他の冒険者たちが『ガルド』と呼んでいるのを耳にして、アルルも密かに名前を覚えていた。
ガルドを先頭にした討伐隊は、音を立てずに獣道を進んでいた。
アルルは事前の打ち合わせ通り、屈強な前衛たちと、弓や魔法を構える後衛たちの間――数名の中衛たちと共に静かに歩いていた。
(なかなか見事な足運びね)
アルルは前を歩くガルドたちの背中を見ながら、内心で感心していた。図体に似合わず、枯れ枝一つ踏まない。彼らが国境街の主力と呼ばれているのもうなずける。
「……おい、水魔法使いのお嬢ちゃん」
不意に、前を歩くガルドが小声で背中越しに話しかけてきた。
「三十越えの私をお嬢ちゃんだなんて、そんなに若く見えます? それとも頼りないという嫌味で合ってます?」
「……ケッ……おとなしそうな見かけによらずよく喋りやがる。いくら俺たちが前を張るとはいえ、何が起こるか分からねえ。万が一スカルラプターが抜けたら、迷わず俺たちの後ろに隠れろ。……怪我人の手当ては、あんたの魔法が一番の頼りなんだからな」
ぶっきらぼうな口調だったが、そこには昨日ギルドで突っかかってきた時のようなトゲはなかった。彼なりに、補助役(だと完全に勘違いしている)のアルルを気遣ってくれているらしい。
「ああ、そういう事ですか。そちらこそ見かけによらず優しい所があるんですね。お気遣いありがとう。もちろん頼りにしてますよ」
アルルはほんのり笑みを浮かべつつ、(まあ、いざとなれば私も前線に混じれば良い訳だし)と密かに剣の柄を撫でた。
その時だった。
ふと、森の空気が凪いだ。
鳥の鳴き声も、虫の羽音も、不自然なほどピタリと止んだのだ。
アルルの元騎士としての本能が、強烈な警鐘を鳴らす。
(……来る!)
「ガルド! 上だ!」
同行していた冒険者の一人が鋭く叫んだ直後、頭上の木々の枝葉が爆発したように揺れた。
「ギィェェェェッ!!」
鼓膜を裂くような甲高い鳴き声と共に、枯骨のような灰色の鱗に覆われた魔獣――スカルラプターが、雨のように降り注いできたのだ。
「ちぃっ! 構えろ! 上から来るぞ!」
ガルドが戦斧を振り回し、前衛たちが一斉に盾を掲げる。
ガキンッ! と硬い鱗と金属がぶつかる嫌な音が森に響き渡った。
だが、問題は上からだけではなかった。ガサガサと周囲の茂みが揺れ、赤黒い目を光らせたスカルラプターの群れが次々と姿を現す。
十、二十、三十……いや、違う。
(五十近くいるわね……!)
アルルは瞬時に数を把握し、眉をひそめた。完全に包囲網を敷かれた奇襲だ。スカルラプターたちは高い知能で、討伐隊を自分たちの狩り場へと誘い込んでいたのだ。
「クソッ! 数が多すぎる! 後衛、魔法を撃ち込め!」
ガルドの怒声が飛ぶが、あまりの数と素早い動きに、後衛の放つ矢や魔法は決定打にならない。骸骨のような見た目と硬さをもつ頭部に、攻撃のほとんどが効かないのだ。
早くも陣形が崩れ始め、数匹のスカルラプターが前衛の隙間を抜けて、アルルや後衛の方へと迫る。
(ええと、スカルラプターの倒し方は、確か翼を切り落として……)
アルルが剣を鞘から半分引き抜こうとした、まさにその瞬間だった。
ズンッ……!
森全体が震えるような、重低音の足音が響いた。
空気を震わせる異様なプレッシャーに、襲いかかろうとしていたスカルラプターたちがピタリと動きを止める。
討伐隊の面々も、本能的な恐怖に息を呑んだ。
バキバキと太い木々をなぎ倒し、土煙を上げて姿を現したのは――見上げるほどの巨躯を誇る、赤茶色の暴君。
「グリムベアだ……」
後衛の魔法使いが、絶望に満ちた声で呟いた。
本来なら森の深部にいるはずの主。異常発生したスカルラプターたちに縄張りを荒らされ、怒り狂ったその瞳は血走っている。
「グォォォォォォォッ!!」
凄まじい咆哮が轟き、突風が討伐隊を襲う。
五十を超えるスカルラプターの群れ。
そして、怒り狂う森の主、グリムベア。
生還すら絶望的な、三つ巴の死線が展開されている。
――その圧倒的な暴力の権化を前にして。
討伐隊はその凄まじい緊張感からか、誰一人として動けない。
しかしアルルはただ一人、極めて冷静に頭の中で計算を弾いていた。
(まあ……わざわざ向こうからやってきてくれたのは探す手間が省けていいのだけれど……どっちから先に片付けたものかしらね? うっかりスカルラプターの群れに熊を倒されてしまっては、クロノも悲しむだろうし……)
圧倒的な暴力と絶望を前に、歴戦の冒険者であるガルドでさえ、戦斧を握る手が微かに震えていた。
静まり返った討伐隊の誰かがポツリと呟いた一言が、一帯に響き渡る。
「……終わりだ。スカルラプター五十匹に、グリムベアまで混じってちゃあ……俺たちだけじゃ、どう足掻いても全滅だ……っ」
誰もが死を覚悟し、一瞬の硬直が部隊全体を包み込んだ。
だがその時、彼の視界の横からすっと、白く細い指先が伸びた。
「さあ! 腕が鳴りますね! 討伐隊の要である前衛の皆さんの技、しっかりとこの目に焼き付けますね」
場違いなほど落ち着き払った声。
ハッとしてガルドが横を見ると、水魔法使いのお嬢ちゃんことアルルが一歩前に出て、迫り来るスカルラプターの群れを冷静に指さしていた。
「あの骸骨もどきが落ちてきた所をグサっとやるわけですよね。素早さが落ちているとはいえ、なかなか硬いですからどのようにトドメを刺すのか勉強させてもらいます」
いくら腕に覚えがあるとはいえ、アルル一人で倒すのは絶対に無理な数のスカルラプターだ。
空の魔物だけあって対空戦では滅法強いが、地上戦になると素早さが格段に落ちるので、そこが弱点ではある。だが、体を覆う鱗がとても硬いので、倒すにはとにかく圧倒的な力が必要なのだ。
だからこそ、アルルは純粋に興味だけで聞いたのだが。
「そうだった、翼を……!」
今までに遭遇したことのない空の魔物の数に圧倒され、怯んでいたガルドだったが、アルルの言葉を聞いてハッと我に返った。
「みんな聞け! 前衛は今すぐ一度下がり、後衛の魔法使いたちを壁のように囲んで守れ! まずは後衛の魔法と弓で群れの足を止め、怯んだ隙に、前衛が翼の関節を的確に斬り落とす! 翼を失えば、あの素早さは半減するぞ!」
ガルドは的確な指示を飛ばした。長年の経験に基づいた見事な指揮だ。
ガルドの怒声で、魔法にかかっていたように硬直していた冒険者たちが一斉に動き出す。絶望に染まっていた彼らの目に、明確な「勝機」という光が灯った。
陣形が素早く再構築され、後衛の魔法使いたちの詠唱が始まるのを見届けると、アルルは腰の剣を静かに抜き放った。
「ガルドさん、魔法使いの方を何人か回してください。私はあっちをなんとかします」
「はぁ?」
後方へ下がるよう促そうとしたガルドが、アルルの行動に気づいて目をひん剥いた。彼女の視線はスカルラプターの群れではなく、立ち上がって咆哮を上げる巨大なグリムベアのほうへ向いていたからだ。
いきりたつグリムベアは、まるで岩壁を連想させる動く災害だった。
「私は、あの熊の相手をします」
「待て! お前、魔法使いじゃねえのか! あんなバケモノ、正面からいったら挽き肉にされちまうぞ!」
血相を変えて引き留めようとするガルドに対し、アルルは剣の柄を握り直し、振り向いた。
その表情は至って冷静……ではなく、完全に獲物を狙う狩人の目だった。
「まあなんとかなりますよ、多分。……短期決戦で行きたい所だけど、難しそうね」
ガルドが止める間もなく、アルルは地を蹴った。
それは、か弱い水魔法使いなどでは到底あり得ない、重装戦士のガルドの目をもってしても捉えきれないほどの異常な踏み込みだった。
「グォォォォォォッ!!」
自分に向かって一直線に駆け込んでくる小さな獲物に向け、グリムベアが丸太のような剛腕を振り下ろす。
風を裂く轟音。直撃すれば岩さえ粉砕するその一撃を、アルルは空色の髪を揺らしながら冷静に見極め、紙一重で横に回避した。
ギルド職員から貰った魔物の資料を読み込んではいたが、書いてあった通りグリムベアの爪はまさに剣のような鋭さを持っていた。あれに当たったら無事では済まないどころか命は無さそうだ。
(思ったより素早い……脂肪が厚くて致命傷を与えにくいなら、関節の隙間と、急所の喉元……毛皮も高く売れそうだし、なるべく少ない手数でトドメを刺したいわね……さて、となると……)
アルルは鋭いステップで距離を取りつつ、指示を受けて背後の大木に身を隠していた二人の魔術師の元へと滑り込んだ。そして、考えていた作戦を手短に伝える。
二人の魔術師は目の前の暴君に怯みながらも、アルルの気迫に押されるように頷き、各々が作戦を遂行しようと散っていった。
背後で冒険者たちとスカルラプターの激突音が響き渡る中。
最高級の獲物と、駆け出し水飴売りの死闘が幕を開けた。
次の話は本格的に戦闘に入ります^ ^




