第八十三話 あの日の瘡蓋 2
「いやぁ、二人とも偉いわねぇ。まだ若いのに、昔の災害のことを知りたいだなんて」
舗装されていない畦道を走るのは、女性の運転するライトバン。
女性は名前を美千代と名乗り、私たちをこのバンまで案内してくれた。
揺れながら走るライトバンは、時折表面に露出している小石に乗り上げ、車体が大きく上下する。
その度、お尻を強かに打ちつける。痛い。
「それにしても、ウチで良かったのかしら?」
私が運転している美千代さんに気が付かれないようにお尻を擦っていると、彼女はそんなことを言い出した。
「……と、言いますと?」
助手席に座るあまね先輩が首を傾げる。
本気で分かっていない様子では無い。
恐らく、話を促すための相槌として、彼女は首を傾げた。
美千代さんは、ほんの少しだけ困惑したような響きを持って、だって。と言葉を続けていく。
「二十年前の災害で、被害に遭った人なんてウチだけじゃないでしょう?」
美千代さんが抱くのは、至極最もな疑問だった。
災害の話を聞くのなら、何も美千代さんでなくても良かった。
例えば、避難した人を探せば、学校から日帰りで行ける距離まで避難してきた人だって、いたかもしれない。
ネット環境が整っている環境にいる人であれば、オンライン通話で話を聞くことだってできたはず。
幾人か候補がいる中で、クジでも引いて決めたと聞いたほうが、まだ納得できる。
(……でも)
あまね先輩の様子を見る限り、クジで決めたとは到底思えない。
先輩は、何か確信があって美千代さんを選んだ。そう思えて仕方がない。
「ご迷惑でしたか?」
気遣うような低姿勢で様子を伺うあまね先輩。
美千代さんは首を振り、その言葉を否定する。
「いいえ。まったく」
ただ、気になっただけなんだろう。美千代さんも。
どうして遠路はるばるやって来たのか、その理由を。
「そろそろ着くわよ」
美千代さんの声かけに、運転席の向こう、遠くの景色を見る。
畦道の遠く向こうに、昔ながらの一軒家のシルエット。
手前には小規模ながら、野菜らしいものが生える畑がある。
中規模な家庭菜園といった風情の畑。
その手前にライトバンを停め、美千代さんは車を降りた。
(なんだか、すごく長閑)
こころなしか、空気が澄んでいる気がする。
大きく深呼吸をしたい気持ちを抑え、荷物を下ろす手伝いを始めた。
持ち上げて、下ろして。持ち上げて、下ろして。
ある種の上下運動をしている中で、ふと、私の視界に表札が映る。
「鬼、沢……?」
ここ最近で随分と見慣れた文字。
思わず呟く私の横で、あまね先輩は美千代さんへ疑問を投げかける。
あくまでも、雑談の体で。
「鬼沢剛を知っていますか」
それは鬼沢教官のフルネーム。
美千代さんは、あら。と驚いたように眉を上げたあと、嬉しそうに目元が弧を描き綻んだ。
「ウチの弟よ」
思いもよらない繋がりに、動きが止まった私の背中に小さな衝撃。
あまね先輩が小突いていた。
「さ、上がってちょうだい」
こちらの様子を悟られてはいないのか。
美千代さんは至って普通に、私たちを家に上げた。
「お邪魔します」
あまね先輩に続いた私の背後。
スライド扉がカタンと閉じた。
(軋んでる)
年季の入った、とはまた違う感覚の床を踏みしめ、ギィギィ音を鳴らして歩く。
「その床、すごいうるさいでしょ?」
私の心中を読んだのか。
そうとしか思えないほどぴったりなタイミングで、美千代さんから声がかかった。
美千代さんは振り返ることなく声をかけてきたから、この床のことはよく言われることの一つなのだろう。
「この家ってね、一回倒壊してるの」
「えっ……」
なんてことのないように口にされた言葉に絶句する。
この家の外観は、倒壊なんて単語が見当たらないほど、きちんと一軒家として機能しているのに。
「倒壊って言っても、半壊くらいね。離れは全壊、母屋は半壊。その床は、母屋の壊れた場所と無事だった場所の、ちょうど境目くらい」
床板を全て取り外すことなく、どうにか繋ぎ合わせてこの家を作ったと彼女は言う。
何故?
私の中を疑問が埋め尽くす。
建築乃けの字も知らない私でも分かる。
壊れた床なんて、全部取り外してから新しく作ったほうが、わざわざ壊れた床と継ぎ合わせるよりも何倍も簡単なこと。
(お金が足りなかった……とか)
そんな下世話な考えが浮かんできてしまうほど、私には美千代さんが何故こんな形の家にしたのか、理解できなかった。
「なんでこんな形にしたのか、分からないって顔してる?」
この人、背中に目でもついているんじゃないのか。
一切振り返ることなく言い切った美千代さんは、含んだ笑い声を漏らす。
「ここに来る人、この話をするとみんな口を揃えて言うの。『どうしてわざわざ残したの?』って」
美千代さんは襖の前に立つ。
彼女は襖に、否。襖の奥にいる、誰かに声をかける。
「お母さん。入るよ」
襖の奥には部屋と縁側。
庭に直接通じる縁側に腰掛ける、腰の曲がったシルエットの人物。
美千代さんが『お母さん』と呼んだその老女が振り返って、私たちを虚ろな目に映す。
彼女は朧気な声音で呟く。
私たちを映した目を離さずに。
「……莉奈ちゃん?」




