第4話 〇〇越しの呻き声
ありがた迷惑な人生初の金縛りにあっている間。動かない体とは違い、脳内はフル回転していた。
(なんだ、これ……なんなんだ、あの黒い塊は!)
横向きで寝ていたのが運の尽きか。俺の目線の先、玄関ドアの前に、黒いモヤが浮かんでいる。「見てはならない、視線を合わせてはならない」と分かっていても、金縛りにあっていると、目を閉じることが出来ないらしい。俺の瞳に、それは鮮明に映し出された。
黒いモヤは、炊飯器の大きさを優に超える。むしろ玄関ドアくらいの大きさがありそうだ。俺なんか、すっぽりと飲みこまれてしまうほどの巨体。
(こわい……こわい、怖い!)
歯茎に痛みが走るほど、上下の歯に力が入る。心拍数が急激に上がり、大量の冷や汗も流れだす。これは、あまりに緊急事態。気づけば俺は、さっきまで「頼っても無駄だ」と思っていた親父にまで、心の中で祈ってしまっていた。
(頼む親父、助けてくれ!)
その瞬間、モヤがグラリと揺れた。消えてくれるのか?と生まれた期待は、モヤから手らしき物体が生えたことで、暗転して絶望へと切り替わる。
(な、んだ、あれ……腕? ってことは人なのかよ、あのモヤは!)
目が乾く。されど刮目したままモヤをみる。
金縛りは継続中だが、逆に今は、目を閉じられない環境が有難い。一度目を瞑ってしまえば最後、ビビりな俺は、間違いなくもう二度と恐怖で目を開けられない。しばらく経って「もう消えたか?」と確認ととるため目を開いた瞬間に、モヤが目の前に迫っている可能性だってある。それなら、一ミリだってモヤから目を離さない方が得策だ。
(乾燥の果てに眼球が血涙を流したとしても、俺はこの目を閉じないぞ……!)
するとモヤがぐらりと動いた。モヤそのものが動いたのではなく、手だけが、とある方向へと伸びていた。何かを指して示している?
それは親父の写真立てがある方向……もっと言えば、柊木とモミジがいる部屋の方格だ。
(もしや、このモヤは親父そのもの? 〝金縛りにあっているなら柊木に助けを求めろ〟と助言してくれているのか?)
希望的観測を見出した時、枕元にあるスマホが音を立てた。どうやら電話らしいが、金縛り中だから当然でられるワケがない。蜘蛛の糸に思われた転機が、一気にドブの中にボチャンだ。チャンスは、失われた。
あぁ最悪だ――そう落胆した時だった。
『あー、もしもし延治くぅん?』
スマホから、柊木の声が響く。留守電に切り替わり、柊木の声が不気味に静かな部屋に流れる。
『今そっちに宿無シがいるよねぇ? けっこう強力な奴。これから俺の方へ引き付けるから、もう少しだけ我慢してね~。でも、一つだけ約束があるんだ。
今夜いくら怖くても、俺の部屋には絶対に来ないこと。いいね?』
「じゃ、頼んだよー」と飄々とした声が、ブツッという機械音により遮断される。その瞬間、体から拘束具が取れたように、一気に四肢が自由になった。
「ぐ、ぁ……っ」
全身の脱力感。今までありえない力で体に力が入り、強張っていたためか、全身の骨が軋んでいる。既に筋肉痛にさえなっている気さえする。更に、口の中に違和感を覚える。なんだ、この、ザラリとした感触は……?
気怠い体を起こして鏡で確認すると、口内に砂のような白いものが散らばっている。舌で触ると、固い。
「まさかコレ、俺の欠けた歯か?」
あまりに力を入れ過ぎた歯は上下から加わる圧に耐えられず、先端が砕けてしまったらしい。永久歯なのに、と残念な気持ちでうがいをし、欠けた歯を口から吐き出す。そんなことをしていると、顎まで痛くなってきた。これも金縛りの最中に力み過ぎた結果だろう。
「これ、絶対逆恨みだ。塩なんて、まかなきゃ良かったな……」
明らかに今までより強い霊だった。怒っている感じだった。言うまでもなく、塩をまかれたことに怒ったのだろう。意を決して行ったことが裏目に出てしまい、極度の疲労と、やるせない気持ちだけが残る。落胆、その言葉以外、何もない。
「そういえば、柊木が「宿無シ」と呼んでいたのは金縛りのことか? それとも黒いモヤか?」
金縛りにあっていた最中は「モヤが親父かもしれない」なんて思ったが、冷静に考えると、やはりあのモヤそのものが幽霊な気がした。腕が何かを指示していた。その理由は、分からないけれど。
どちらにしろ今までの怪奇現象は、ここまでヒドイものじゃなかった。そもそも音が主流だったから、霊として、あぁいう物体を見たのは始めてだ。
霊が姿を見せた――
それは柊木と出会って、初めてのことだった。
「っていうか、あんなに強い霊が相手で、柊木は大丈夫なのかよ」
俺が自由を取り戻したってことは、柊木が言った通り〝自分の元へ宿無シ〟をおびき寄せたんだろう。そして今、払っているか清めているかの最中だ。
隣の部屋の音が聞こえるようにと、壁に耳をあてる。だけど何も聞こえない。電話で事情を知らなければ、不在にしていると思うほどの静けさだ。
「心配だけど……さっき『来ちゃダメ』って言われてるしな。それに俺が行ったところで、さっきの二の舞だろうし。何より……もう体が動かない」
金縛りの時にたっぷり出た脂汗で、じっとり濡れた布団へダイブする。さっきまでの悪寒は、夏の温度を前に、あっけなく消え失せていた。たまらずエアコンの温度を下げる。まだ冷めやらぬ温かい体温、エアコンが吐き出す冷たい風――今も混乱する頭の風通しをよくするように、二つの温度が俺を交差していく。
「はぁ。疲れた、眠……――」
一気に襲われた徒労感に、全身が包まれる。あっという間に眠りについてしまった。だというのに俺は瞼を上げている。視界に写る物が全てぼやけている。はっきりとは見えない。ということは……ここは夢の中か。意識が妙にハッキリしている。その理由は、見知った部屋が夢に出てきているからかもしれない。
『ここ、柊木の部屋?』
さっき柊木とモミジが部屋に入る時。ドアが開いた先を、俺は見ていた。玄関には何の靴も置いてなくて、傘さえもなくて。代わりに大きな縦に長い箱が置かれている。真っ黒なそれは特別異質だったから、よく覚えている。そして今、俺の目の前にソレがある。つまり俺が見ている夢は、柊木の部屋の中だ。
電話で「来るな」と言われた柊木の部屋が、目の前にある。ここは夢だし、奥へ入ってもいいよな? というか、それ以外に選択肢がない。後ろには何もない。ただ前にだけ、柊木の部屋が広まっている。ずっと佇むのも何だか恐ろしくて、俺は玄関から廊下へ、足を一歩踏み出す。
『お邪魔しまーす……おぉ、真っ暗だ』
進んだ先の部屋は真っ暗で、まさに「一寸先は闇」の状態。何がどうなっているか全然分からない。だけど部屋の外郭だけは見えるという、なんとも異質な空間だ。まさかこれも幽霊の仕業かと、一気に心細くなる。気づけば俺は、柊木の名前を繰り返し読んでいた。
『柊木、おい柊木。いないのか?』
闇に向かって、控えめに声を出し続ける。
すると奥から急に声が聞こえた。
『う、うう、ぅ……』
まるで悶絶するような呻き声だ。聞くと同時に、背筋がぞわっと小刻みに震える。今の声は、一体誰だ? 妙に判断がつかない。だって柊木の声にしては低いし、モミジの声は聞いたことないが、それにしてもあんなダミ声ではないだろう。
『だとしたら、宿無シの声か……?』
もしも、この夢が現実……金縛りの続きだとしたら――俺を助けるため宿無シを引き寄せた柊木が、逆に襲われている声なのかも。宿無シに、やられているのか?
『ひ、柊木!』
ゾッとする想像を抱きながら恐怖だなんだは一旦忘れ、柊木の無事を確かめに走り出す。そうしてリビングに入った。
『え――?』
俺が目にしたもの。
それは、力なく床に横たわる柊木。その上に、モミジがまたがっている。モミジのか細い手が動く度に、柊木がうめき声を上げている。どうやらさっきの声の主は、柊木本人で間違いないようだ。
しかし、何をしている?
モミジが柊木に、何かしているのか?
おい――と声をかけようとした瞬間。視界が暗転する。
モミジがいなくなり、柊木が俺の目の前で立ちすくんでいる。その口からは、おびただしい量の血が流れていた。口内にたまった血液でうがいするかのような、そんな溺れた音を出しながら、柊木は俺に笑いかける。
『えんじ、ぐん。ぎぢゃダメっで、いっだじゃない』
薄く開いた、柊木の口の奥。そこを見て、腰が抜けた。なぜなら本来あるべきはずの歯が、全て抜けていたからだ。さっき柊木の言葉が聞き取りづらかったのは、口内に溜まった血のせいではなく、全ての歯がなくなっていたからだ。
『ぞうだ、ごれ、あげる』
帳が下りるように、柊木の頭上から体にかけ、順に影っていく。その際、柊木は片腕を俺に伸ばした。何かを握っている……なんだ?
恐る恐る手のひらを広げると、奴の手から「何か」が降って来た。少し硬い、たくさんの「何か」。これは――?
自分の手の平に視線を落とす。
見ると白くて小さな石ころ、ではなく。
柊木の歯が、俺の手中にお行儀よく並んでいた。




