十二話 研究所のタナー(2)
あまりに急変した世論と地球への行動に戸惑いつつ、タナーは自分の研究所に毎日没頭していた。タナーの研究テーマは人体とテラマテリアルの融合であった。
もともと人間の身体は地球上で生活するために進化したものであり、運動等の負荷により骨にカルシウムが蓄積される。しかし重力がほとんどない宇宙空間では、この骨にかかる負荷が激減してしまうため、骨からカルシウムがどんどん失われてしまう。
結果、骨が非常に脆弱化してしまい、骨粗鬆症や骨折等のリスクは、宇宙で生活する人類のほぼ全員に発生していた。また骨だけでなく、低重力ゆえの内臓や筋肉への脆弱化も増しており、かつて地球で生活していたよりも老化が早く、平均寿命の低下を招いていた。
特にカルシウム不足による骨の脆化については、早い時期からテラマテリアルによる保護や補助、置換等様々な医療研究が進められてきていた。薬学的に体内へカルシウムを補填するよりも、直接骨にカルシウムを補給する技術が現在の主流であり、定期的に体外からカルシウムを取り入れる作業を、ガソリンスタンドに見立ててカルシウムスタンドといつしか呼ばれるようになった。
ただ惑星開拓など地表に降りて重労働を行う作業者にとって、機械化が進んだとはいえ人間の手や目による直接的な労働は未だに必要とされていた。地表の重力下で作業する人間の場合、骨折等の発生リスクが高くなってしまうため、労働をサポートするウェアラブルロボットにカルシウムバリアを組み込むようになった。ロボットによる重労働の補助を受けつつ、常にカルシウムが補給されるシステムにより、格段に作業効率が向上した。
タナーはこのカルシウムバリアとウェアラブルロボットを更に発展させ、膜圧が数ミリの人工皮膚的なサポートウェアを開発していた。人間の皮膚に直接テラマテリアルの表面被膜を形成させる事で、身体能力の向上とカルシウムの補填を行う画期的なシステムである。この技術はウェアラブルマテリアルと称された。
このウェアラブルマテリアルを、エーテリオンドライブ搭乗者に施すことで、有人飛行の格段な移動速度が向上した。ただしウェアラブルマテリアルの最大の欠点は、一度処置をした人間は、その被膜を外す事ができなくなる点にあった。
皮膚に付着したテラマテリアルはカルシウムの体内への浸透経路を通して強制的に一体化するため、言わば人工皮膚と化す。そしてまるで人体の表面に根を張るようにマテリアルが皮膚下に溶け込んでいき、最終的に一体化してしまう。
そして人間の皮膚とは異なる質感もまた、大きな欠点だった。人間の皮膚とほぼ同じような見た目や感触の人工皮膚もあるが、それはあくまで治療用のものであり、軍事や重作業用のウェアラブルマテリアルに使われる皮膚はどうしても見た目に難があった。そしてその見た目を少しでも自然に近い外観や感触にして欲しいという要望が何年にも渡って上がっていた。
タナーはそうした機能性ウェアラブルマテリアルの外観や質感の改良をテーマの一つにしていた。それらの需要は高級士官や企業重役などの高所得者に多かったため、研究所としても大切なスポンサーに対する大きな成果になるため、少なくない研究者を割り当てていた。
しかし地球侵攻が現実になってきた今、生体テラマテリアル研究所の最優先テーマは、軍事プロジェクト「無人エーテリオンドライブの負荷に耐えられるウェアラブルマテリアルの実現」となってしまった。
タナーは所属する研究室ごと、そのまま軍事プロジェクトの主力メンバーに組み込まれていた。またウェアラブルマテリアルのオーソリティは恩師たるカムラであり、特別顧問にカムラ夫妻が召喚された。これによりタナーは初めてカムラと一緒のチームで研究する機会を得た。
私生活や研究者になる経緯でいろいろなアドバイスをカムラから貰っていたが、自分が研究者として独り立ちして以降、カムラの仕事を直接見ることが出来ると会って、タナーは個人的に楽しみにしていた。




