命の支配者
世界は変わりつつあった。
犯罪が一掃されたことで、国家の秩序は一度、安定を取り戻した。しかし――その次に人々を苦しめるのは、避けられない死や、終わりの見えない病に囚われた命だった。
魔王ヴァルザグレスは、それをもたらす壁を打ち破ろうと決意した。
「全ての命に平等を。我が力をもって、少しでもそれに近づける」
彼は宣言するや、世界中の病院と医療機関に“自らの魔力”を送ることを開始した。その魔力は、通常の治療法では到底届かないところにまで浸透し、あらゆる病気を根本から治癒していった。
最初にその力を受けたのは、アメリカのニューヨークで入院していた末期癌患者だった。患者の体内で広がる悪性腫瘍は、魔王の力が触れた瞬間に消え去った。その様子を、病室の医師たちはただ呆然と見守るしかなかった。
「何が……どうなっているんだ……」
患者は、目を見開いたまま、息を荒げながらもそのまま立ち上がった。
「私は……生きている……?」
そのニュースは瞬く間に世界中に広まり、SNSで拡散された。魔王の力で治癒された病人が続々と現れ、医師たちはその奇跡に理論的な説明を求めたが、誰も答えられなかった。
ヴァルザグレスはその後も、病気に苦しむ者たちを次々と救い続けた。最も衝撃的だったのは、世界中で“治療不可能”とされていた遺伝性疾患を持つ患者たちに対する行動だった。ヒトゲノムの深部に残された欠陥を魔法の力で修復し、数十年にわたる治療法の進歩を一夜にして超越してしまった。
「魔王様……本当に、すごいことをしているんですね」
佐倉美月が、彼のもとに報告に訪れたとき、彼女はその変化を深く感じ取っていた。病院の廊下には、今や長い列を成す患者たちの姿が見える。
「だが、この力を与え続けることで、全ての病がなくなったとして、果たしてそれが世界にとって正しいことなのか?」
「正しさを問うのは、我が力を使う者の役目だ。だが、すべての命に対する“平等”は、必ずしも全てを歪めるわけではない」
「……しかし、それに対する反発もすでに始まっています」
美月は、内閣から届いた反発の手紙をテーブルに置いた。そこには、彼の行動が「人間の自然な死を奪っている」と非難する意見が並んでいた。
「人の命に手を加えることで、生きる意味を失わせてはいないか、という意見です」
ヴァルザグレスはしばらく黙っていたが、やがて言葉を発した。
「人は自らの命をどう使うかを選び得るべきだ。だが、選ぶ自由を持たずに死を迎える者に、それを強いるのは不公平だろう」
その後、彼の力は治療にとどまらず、事故による傷の治癒にも及ぶようになった。世界中で発生していた大規模な交通事故や災害事故で負傷した者たちは、魔王がかける手によって瞬時に回復した。
特に日本では、数々の交通事故現場に魔王の魔力が注がれ、重傷を負った人々は一瞬で元の状態に戻る。交通事故を減らすことはできなくとも、救う命を守る力を見せつけた。
ある日、交通事故で亡くなった一家の母親が、その日の昼過ぎに奇跡的に蘇るという事件が発生した。死後24時間が経過した後、救命の手を加えられたことで、家族の元に帰還したのだ。家族は泣き崩れ、テレビの前でその映像が流れたとき、視聴者の涙を誘った。
「命は無限にあるべきだ。だがそれが不可能であるなら、せめて無駄に死ぬ者がいなくなる世界を創りたかっただけだ」
そう呟きながら、ヴァルザグレスはまた一つ、病院のベッドに横たわる患者たちに魔力を注いだ。病院内では、看護師たちがその奇跡的な治療を目撃しているにもかかわらず、どこか恐怖のような感情を抱いていることに気づいていた。
「何を怖れているのだ」
ヴァルザグレスは、ある看護師に問いかけた。
「命を救われることを恐れているのか」
「いえ、恐れているのは、その力があまりにも……不自然だからです」
その言葉に、ヴァルザグレスはわずかにため息をついた。
「不自然であろうと、それが命の重さを知っている者にとっての“正しさ”であれば、我が力は無駄ではない」
世界各国で、魔王による治療と奇跡が続く中、国際的な議論は次第に激化していった。魔王が命を救うこと自体には賛成する者が多かったが、その一方で「人間の自然な死を超えてしまうこと」への懸念も広まっていた。
「病気を治すことが可能になった。だが、私たちはそれによって、何を失うのか?」
「事故の後遺症を一瞬で癒すことができる。それでも、本当にそれが“正義”なのか?」
その問いは、世界全体に投げかけられた。魔王の力が“救世主”である一方、恐れられる存在であることもまた事実だった。
ヴァルザグレスは、次第に心の中で確信を深めていった。
「人々は恐れ、悩むだろう。だが我が力は、決して無駄ではない。命を救うことに意味を見いだせぬ者に、世界の平和は語れぬ」
彼の目の前に広がるのは、まだ見ぬ未来の光景。人々が真に“幸せ”を手に入れたとき、世界に“終わり”をもたらすことなく、ただ平穏が続く――その未来を彼は信じていた。
――つづく




