流れ星が落ちた夜
「流れ星!」
窓の外を横切った光に、思わず身を乗り出した。
お願い事をしなくちゃ。
お金持ちになれますように。帝都ガルディアに行けますように。それから、できれば素敵な王子様と出会えますように!
欲張りすぎたかもしれない。
そう思っていると、流れ星は夜空に消えるどころか、ぐんぐん大きくなっていった。
「……え?」
まるで空の上で何かが暴れているみたいに、ふらふらと軌道を変えている。
次の瞬間、森の向こうが真昼のように明るくなった。
遅れて凄まじい轟音が響き、窓ガラスが震えた。棚の花瓶が倒れ、床に落ちて砕け散る。
「きゃっ!」
慌てて窓枠にしがみついた。
何? 今の! 本当に流れ星?
森の向こうを覗き込む。
木々の間に、ぼんやりと赤い光が見えた。
……落ちたよね?
胸が高鳴った。見に行きたい。
でも、こんな夜中に孤児院を抜け出したら、シスター・ジュリアに大目玉を食らう。
……待って。
シスターたちは今の騒ぎで忙しいはず。
ということは、誰にも見つからずに抜け出せるんじゃない?
私はさっそくベッドから飛び降りた。
「お姉ちゃん、どこへ行くの?」
背後から声がした。
「ガーネット。目が覚めちゃった?」
「うん……。今、けっこう揺れたよね?」
「ちょっと森を見てくるだけだよ。すぐ戻るから」
「お姉ちゃんと一緒に行く」
ガーネットは私のパジャマの裾を掴んで離さない。
私は仕方なくベッドに枕と洋服を詰め、布団をかぶせた。遠目には、誰かが眠っているように見えるはずだ。
ガーネットと手を繋ぎ、ランタンを持って裏口から素早く外へ出た。
表の方からは、シスター長たちの声が聞こえてくる。揺れに驚いて泣き出した子どもたちを寝かしつけたり、建物に異常がないか確かめたりしているようだった。
今なら気づかれずに行ける。
私たちは足早に薔薇園へ向かった。
「お前たちも見たのか?」
突然、背後から声がした。
振り向くと、木刀を持ったアランと、本を小脇に抱えたブレイドが立っていた。
「アランも見たの?」
「ああ。腕立て伏せしてたら、窓から流れ星が見えたんだ。そしたら、珍しくブレイドが行ってみたいって言うからさ」
「ちょうど宇宙の本を読んでたんだ」
ブレイドが本を持ち上げる。
「もしかしたら、何か見つかるかもしれない」
普段は冷静なブレイドが、目を輝かせている。
「薔薇園の先にある、天使の噴水の辺りに落ちたように見えたんだけど……」
「よし、行くぞ!」
私が言い終わるより早く、アランが歩き出した。
「ちょっと、待ってよ!」
私たちは慌てて後を追った。
薔薇園を抜けると、水の滴る音が聞こえてきた。
天使の噴水だ。
ここを過ぎれば、森の入り口まではもうすぐだった。
やがて森へ足を踏み入れると、辺りの様子が少しずつ変わっていった。地面には何かを引きずったような跡があり、奥へ進むにつれて、折れた木々が目立つようになった。
太い幹が何本もなぎ倒され、地面には深い溝が刻まれている。
まるで巨大な何かが、森を引き裂きながら通り抜けたみたいだった。
「……何があったんだ?」
アランがそうつぶやいた矢先、鼻を押さえてしゃがみ込んだ。
「痛えっ!」
「どうしたの?」
「何かにぶつかった!」
ランタンを掲げると、目の前に巨大な壁があった。
「……こんなの、ここになかったよね?」
恐る恐る手を伸ばす。
ひんやりとして、驚くほど滑らかだった。石でも木でもない。
「お姉ちゃん、なんか怖いよ。帰ろう」
ガーネットが私のパジャマを引っ張った。でも、私はその壁がどこまで続いているのか知りたくなった。
「もう少しだけ」
壁に沿って歩き出す。
「これ、宇宙船じゃないかな?」
ブレイドが興奮した声を上げた。
「この本にも、宇宙人は存在するかもしれないって書いてあるんだ!」
「宇宙人だったら、私たち食べられちゃうんじゃないの?」
ガーネットの声が震える。
「宇宙人なんか、俺がぶっ倒してやる!」
アランが木刀を構えた。
「相手がどんな生き物かもわからないのに?」
「何が来たって平気だ!」
アランは得意げに言うので、私は思わず笑ってしまった。
いつもと同じ、騒がしい幼なじみたち。
でも今夜は見慣れた森に、見たこともない巨大なものがある。
もしかしたら、私たちは誰も知らない秘密を見つけてしまったのかもしれない。
そう考えるだけで、胸が躍った。
退屈だった毎日が、ようやく変わる!
やがて、壁の向こうに眩しい光が見えてきた。
「何だ、あれ?」
アランが真っ先に駆け出す。
「アラン、待って!」
呼び止める間もなく、アランは光の中へ飛び込んでしまった。
近づいてみると、巨大な壁の一部が開き、そこから明かりが漏れていた。
入り口……なのだろうか。
「早く来いよ!」
中からアランが顔を出した。ブレイドも迷わず入っていく。
「ちょっと! 大丈夫なの?」
そう言いながら、私も入り口をくぐった。
「帰ろうよ~。宇宙人が出てきたらどうするの?」
ガーネットが私の手を強く握る。
その声を聞いて、私まで急に不安になってきた。
「そうだね。また明日来ようか。アラン、ブレイド! 帰ろう?」
二人があからさまに嫌な顔をする。
「ええ? 宇宙人に会わないの?」
ブレイドが不満そうに言ったそのときだった。
背後で、入り口が音もなく閉じた。
「……え?」
慌てて振り返る。
さっきまで開いていた場所には、継ぎ目すら見えない壁があった。
閉じ込められた?
「嫌っ!」
ガーネットが泣きそうな顔でしがみついてくる。
私も怖くなって、壁を何度も押した。
びくともしない。
「仕方ない。進むぞ」
アランが言った。
「ランタンはここに置いておこう。戻ってきたとき、入り口がわかるようにな」
「そんな! ここにいようよ!」
ガーネットがとうとう泣き出した。
「怖いならここにいな。俺が見てくる」
アランがそう言って歩き出すと、ガーネットは慌てて涙を拭った。
「……行く」
私の手を握る力が、さらに強くなった。
私たちは明るい通路を進んだ。天井には小さな光がいくつも並んでいる。
「これ、発光石じゃないよな」
アランが天井を見上げた。
「すごく明るいけど、何なんだろう」
「宇宙人に聞いてみよう」
ブレイドが平然と言う。私は思わず顔をしかめた。
「ねえ、本当に宇宙人がいたらどうするの? 悪い宇宙人だったら、私たち全員殺されちゃうかもしれないよ?」
ガーネットが不安そうに言う。
「実験体にされちゃうかもね」
「ブレイド!」
私が怒鳴ると、ブレイドは肩をすくめた。その横を、アランが駆け抜けていく。
「とりあえず、奥へ行ってみようぜ!」
「あっ、待ってよ!」
珍しくブレイドまで走り出した。
「ちょっと! 二人とも待ちなさい!」
私もガーネットの手を引いて追いかけた。
目の前にあった壁が、近づいただけで左右に開いた。
「わっ!」
驚いて立ち止まる。
扉だったらしい。どうして誰も触っていないのに開くのだろう。
いくつかの扉を抜けると、急に広い部屋へ出た。
「……何、ここ?」
部屋の中央には、長方形の大きな水槽があった。
その前で、アランとブレイドが立ち尽くしている。
「真ん中に何かいるよ」
ガーネットが指差した。
私は水槽へ近づき、中を覗き込んだ。
最初は、人が眠っているのかと思った。
けれど、違った。
赤く長い髪が、水の中でゆらゆらと揺れている。
白い肌。閉じられた瞼。そして、腰から下には、光を受けてきらめく美しい鱗があった。
「……人魚だ」
ブレイドが呟いた。
私は息を呑んだ。本当に、人魚がいる。
おとぎ話でしか知らなかった生き物が、目の前にいるのだ。夢でも見ているのだろうか。あまりの美しさに、目を離せなかった。
「この水槽、ヒビが入ってない?」
ブレイドが水槽の端を指差した。
「それに、このボタンは何だろう?」
「ちょっと、触らないでよ」
私が言い終わるより早く、アランがボタンを押した。
「アラン!」
けれど、何も起こらない。
「なーんだ。つまらないの」
アランが水槽に手をついた。そのとき、ガラスの奥で小さな亀裂が走った。
「……え?」
亀裂は蜘蛛の巣のように広がり、次の瞬間――。
バキッ!
耳をつんざく破裂音とともに、水槽が砕け散り、大量の水が噴き出した。
「きゃあっ!」
逃げる間もなく、私たちは水に押し流された。
体が床に叩きつけられる。冷たい水が口や鼻に入り、息ができない。必死にもがいているうちに、水の勢いが弱まった。
顔を上げると、みんな床に転がっていた。アランもブレイドも、激しく咳き込んでいる。
「みんな、大丈夫?」
声をかけながら、ガーネットを探した。
「お姉ちゃん……!」
ガーネットが私にしがみついてきた。
そのとき、床に横たわる人魚が目に入った。赤い髪が水に広がっている。
ぴくりとも動かない。
「……人魚さん?」
恐る恐る声をかけた。
返事はない。その指先が、ふっと透き通った。
「え……?」
指が細かな泡に変わっていく。
次に腕が、肩が。
「人魚が……泡になってる!」
ガーネットの声が震えていた。
私は動けなかった。
目の前で、美しかった人魚の体が少しずつ消えていく。最後に赤い髪が水面に揺れたかと思うと、それさえも泡になった。
人魚は一度も目を開けないまま、跡形もなく消えてしまった。
誰も何も言わなかった。
さっきまであんなにはしゃいでいたアランでさえ、黙って床を見つめていた。
「……なんか、苦しい」
ガーネットが胸を押さえた。顔色も悪いような気がする。
「ここを出よう」
アランが低い声で言った。
誰も反対しなかった。私たちは来た道を引き返した。
歩き始めてすぐ、頭がずきずきと痛み出す。
濡れたパジャマが肌に張りついて気持ち悪い。夏だというのに、寒くて仕方がなかった。
「ランタンがある。この辺りだね」
私が言うと、ブレイドが壁に近づいた。
「ここに、何かあるよ」
薔薇を象った小さなボタンだった。
アランは無言でそれを押した。音もなく扉が開く。外は相変わらず真っ暗だった。
「……早く帰ろう」
私の言葉に、みんなが頷いた。
ランタンを手に森を抜け、教会へ向かう。
歩くたびに頭痛がひどくなっていった。いつもなら帰り道でも騒いでいるアランが、一言も喋らない。ブレイドも本を抱えたまま、俯いて歩いているし、ガーネットの手は、ひどく冷たかった。
教会に戻ると、私たちがいなくなったことに気づいたシスターたちが大騒ぎしていた。
当然、叱られると思った。
けれど、私たちの顔を見るなり、シスター・ジュリアの表情が変わった。
「スカーレット! あなたたち……まさか……」
私は答えようとした。でも、うまく声が出ない。
体が熱い。それなのに、歯が鳴るほど寒かった。
シスターたちは私たちを急いで着替えさせ、ベッドに寝かせてくれた。
頭が割れそうだった。体中の骨を金槌で叩かれ、粉々に砕かれるような痛みが襲ってくる。
「痛い……!」
涙が止まらない。
どうして?
ただ、流れ星を見に行っただけなのに。
あの人魚を、私たちが殺してしまったから?罰が当たったの?
このまま死ぬのかな。
帝都ガルディアにも行けないまま?
白馬の王子様にも出会えず、恋も知らずに?
そんなの、嫌だ。
まだ、死にたくない!
「スカーレット、頑張るのよ! すぐにお医者様が来てくださるわ!」
シスター・ジュリアが私の手を握った。
その手は温かかったけれど、かすかに震えていた。
ジュリアは私を見つめ、何かを言いかけて唇を噛んだ。そして、小さな声で呟いた。
「……いよいよ、始まってしまうのね」
その瞳には、強い不安と憐れみの色が浮かんでいた。
……え?
シスターは、何を言っているの?
問いかけようとしたけれど、もう声が出なかった。
私はその言葉の意味も分からないまま、意識を失った。




