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Stray Cat  作者: 輝血鬼灯
7/7

7.迷子たちの居場所

 わたしはもう一度少女の姿に変化した。檻の鍵を開けるにはやはり人間の手の方が便利だからだ。

 先日も訪れた『材料部屋』へと向かう。しかし今回は以前も足を踏み入れた場所に不死鳥の姿はなかった。気配があるのは隣部屋に続く扉の向こうだ。

 酷い臭いに思わず鼻を覆った。

 事切れた幻獣の死体が作業台に転がる悪趣味な実験室。しかも転がる死体は幻獣だけでなく、人間のものまである。ここを作ったのは、彼らと同じ人間であるはずなのに。

「……きゅー」

 弱々しい鳴き声が奥から漏れてきて慌ててそちらへと向かう。

 巨大な鳥籠にいくつかの翼持つ幻獣が詰め込まれていた。朱色の羽を持つ不死鳥もそこにいた。

 不死鳥は血を採られたのか傷を負ってはいたが、まだかろうじて無事だった。わたしに気づくと、彼女の姿をとっていることに不思議そうな目をした。

 わたしは彼に密売組織が壊滅したことを伝えた。他の幻獣たちも解放され、もうすでに各々の棲家へ戻るために散って行っただろう。

 これで当面不死鳥が密売組織に殺される理由はない。わたしはあの少女との約束をなんとか果たせそうだ。

「本当に組織を壊滅させたと言うのか? 彼女との約束を果たし、私を助けるためだけに?」

 どこか呆然としていた不死鳥の目が、やがて悲しみを帯びて我に帰った。

「――そうまでして生きろと言うのか。彼女がいないのに。もういないのに。それでも生きろと?」

 嘆く不死鳥の言葉を肯定する。それが彼女の願いだからだ。

「……偉大なる竜の子よ。幻獣の王の一族よ。あなたにはわからない」

 そうだよ。わたしは強いから、独りでも生きられる。だからどんな生き物もいつも、わたしの傍には誰一匹(ひとり)として残らない。

 合成獣にも言われたような台詞に対しそう返すと不死鳥は押し黙った。わたしは鳥籠の鍵を開ける。

 思わず本音が漏れたが今はそんなことどうでもいいのだ。それよりも――大事なのは彼女の気持ちだ。

 わたしは借り物の姿をやめて、本性へと戻った。さすがに先程のように建物を押しつぶす勢いで大きくなると困るので、いつも通り猫や小柄な犬ぐらいの体長になった。

 静かに息を整えて、額の角の前に意識を集中する。仄かな淡い光を放つ球体が浮かんだ。

 彼女の体を喰らうことで得た彼女の記憶。だがこれはわたしに不要なものだ。

 だからこれは――不死鳥に返すよ。彼と彼女の記憶だから、本来無関係のわたしが持っていていいものではない。

「いいのか? あなたはこの記憶がなければまだ人に変化できないのだろう?」

 鳥籠を開けるのによりによってわたしが彼女の姿をとった理由を不死鳥は正確に理解していた。いいんだ。わたしは頷く。

 だって、それがわたしなんだから。

 少女の記憶がゆっくりと不死鳥の中に吸い込まれていく。その光が徐々に消えると、彼はつぶらな瞳から一粒の涙を零した。

 人にない力を求めて継ぎ接ぎだらけの合成獣と化した男を思い出す。これまで全く理解できなかった幻獣の力に固執するあの男の気持ちも今なら理解できる。それでも。

 行こう。わたしは不死鳥を促した。ゾイの手によりもう全ての幻獣が解放されている。翼持つ無数の幻獣が飛び立つ空は壮観だった。ここにいる不死鳥が最後の一羽だ。

 見上げる天は星の瞬きも微かで、すでに夜が明けようとしている。

「私はもう、人間には交わるまい」

 どうしてと尋ねるわたしに彼は言う。

「彼女を愛していた。人である彼女を。その記憶を穢したくない。だからもう――人には関わらない」

 わたしは不死鳥を空に放した。朱い翼が藍と紫の混じる夜明けの空を切り裂くように飛んでいく。

「お前の言う『友達』は結局あれか。とはいえ、関係性の方はちょっと俺が思ったものとは違ったが」

 背後から音もなく近寄ってきたゾイが話しかけてくる。野生の生き物としては問題なのだが、気づかないのにももう慣れてしまった。

「……まぁいい。これで約束は果たしたな。不死鳥を助けるのに協力したぞ」

 うん、ありがとうゾイ。

 正直わたしもゾイがここまで協力してくれるとは思わなかった。

 何故そこまでしてくれるのだろうと気になったわたしの目に、ここではないどこかへ向けた穏やかさを湛えたゾイの顔が映る。

 この姿になると、途端にゾイの目線が遠ざかる。体の大きさから言えば当たり前だがそれが少し寂しい。

 わたしは幻獣で、人とは相いれない生き物で、しかもずっと、何度も、自分を偽ってゾイに近づいた。

「あの不死鳥の気持ちなら、俺にも少しだけわかる」

 膝を曲げて屈んだゾイがそう言って寂しげに微笑んだ。わざわざ記憶を読む術を使わずとも、今ならゾイの気持ちが自然と伝わってくる。

「……俺には昔、竜の知り合いがいた。でも俺は、一番肝心な時にそいつを助けることができなかった」

 これまでにも何度も見た過去を懐かしむ眼差しで、ゾイはわたしにその竜の姿を重ねながら言った。

「そいつはそいつで俺の友人に懐いていてな。懐きすぎて独占願望みたいなものが垣間見られてちょっと心配なくらいだったが、結局最後にはその友人のために、全てを捧げた」

 ゾイの記憶の中、虹色の竜が見える。わたしとは桁違いに強い力を持ち、人化もできる一人前だ。けれど人への執着が強く、気に入った人間が自分以外を見ないようその恋人を殺そうとしたり、色々やったらしい。

 だけど最後の最後にはその執着の全てを捨て、愛する人のために行動を起こした。

「俺は今でも奴らを夢に見る。友人の方はちゃんと生きているが、会いに行く勇気がない」

 会いたい。会いたくない。相反する複雑な想いが伝わってきた。背中合わせに存在し、揺れる度に真逆の面を見せる、扱いづらいその感情。

 そしてゾイは、わたしのことも本当は遠ざけて関わりたくなかったんだね。

 わたしを見るとその(ひと)を思い出すから。

 その竜に対する想いを、わたしに関する記憶で上書きしたくないから。

 夜明けの空を去って行った不死鳥の言葉を思い出す。少女との記憶を美しいままに留めておきたいから、もう人間とは関わらないと告げた言葉を。ゾイの想いは彼と同じだ。

「いつだって力が欲しかった。強くなりたかった。でも肝心な時に何もできなかった。そして俺が望む、力を求めた先の結末がそれだと言うならば……」

 “処刑人(ディミオス)”は神の暗殺組織(しょけいにん)。力でしか裁けない罪を裁く、破壊の神によって作られし断罪の組織。力があれば全てが叶うわけではないけれど、力がなければ誰も救えない。自分は向きじゃないなどと言いながら、ゾイはあの組織に居続ける。

「俺は殺すことしか知らない。他人を幸せにできるような柄じゃないんだ」

 何故ゾイに惹かれたのか、今になってようやくはっきりとわかる。人としては異端な程に強すぎるゾイと、幻獣としては最高位の種族の幼体であるわたし。どれほど周囲に溶け込もうとしても、蟻を踏まぬよう気を遣う象のようなその違和感を拭えなかった。

 とても強い暗殺者であるゾイなら、あのトカゲたちのように逃げずに傍にいてくれると思ったのだ。けれど。

「さよなら」

 頭を撫でていた指が遠ざかる。ゾイは立ち上がり踵を返し、街の方へ向かっていく。

 わたしの足は、あの日逃げたトカゲたちを見送ったように今もどうしても動かなかった。


 ◆◆◆◆◆


 耳元で鳥の羽音が響く。わたしは悄然と項垂れたまま、降ってくる声を聞いた。

「だから言ったぞ。関わるのは勝手だが、勧めはしないと」

 以前にもわたしに告げた言葉をもう一度突きつける。だが、それに続く台詞は思いがけないものだった。

「追いかけないのか?」

 そうするのが当然と言わんばかりの問いに、わたしは顔を上げた。その背に鳥のような空色の翼の生えた本性を露わにして現れた破壊神様が、朝焼けの空に佇んでいる。

「お前は不死鳥を救っただろう。例えどんなことがあっても生きてほしいという少女の願いを伝えて。なのに自分の想いをゾイに伝えることには足踏みするのか?」

 破壊神様、あなた様は一体いつから話を聞いて「そんな細かいことはどうでもいい」。

 街に消えたゾイの気配を示して彼は先程と同じ問いを重ねる。

「追いかけないのか。今ならまだ間に合うぞ」

 破壊の神。全てを壊して再生の礎として地均しする神。来世に向かう魂の流転を促す戦神はそうしてわたしを促した。

「お前たちは生きている。そうだろう?」

 死を免れる術はない。滅びの力は絶対だ。この世のものはいずれ何もかも風化して消え去り忘れ去られる。

 だけど、今生きている。今望んでいる。

 それが全てではないか? そうだろう、と。

 だったら。

 わたしは破壊神様に感謝を込めて頭を下げると、そのままくるりと方向転換して全速力で駆けだした。

 ゾイを追いかける。ただ追いかける。初めて彼を追ってこの街に来た時よりもっと必死に。もっと確かに。

「え? 今の何だ?!」

「きゃ、やだ! トカゲ?!」

 足元を通り過ぎるわたしを見て顔を顰める人々の反応も何も気にしない。途中通り過ぎた娼館の窓では吸血鬼のお姉さんが、酒場のカウンター内では妖狐のお兄さんが、やはり最初の時のように少しだけ驚いた顔になった。それでもわたしは走り抜け、ゾイの部屋へと突撃する。

 ふぎゃっ!!

「うわっ?! なんだ?!」

 ちょうど内側から開いた扉に突撃どころか激突し、わたしはずるずると崩れ落ちる。部屋から出るところだったゾイが派手に響き渡った衝撃と音に驚きの声を上げながらこちらを覗き込んだ。

 目が合う。ようやく目が合う。

「お、お前……」

「にゃー……」

 あ。違う。いつもの癖で思わず間違えた。今の姿これじゃない。

「…………竜? 猫? そう言えば最初に仔猫が現れた日は……つまり、最初からそういうことだったのか?」

 今はゾイの脳内は読めないけれどたぶんその想像はあたっていると思います。

「あんなにはっきり言ってやったのに。なんでついてきたんだよ」

 ゾイの目が潤む。この人がこんな泣きそうな顔になるのは珍しい。ちなみに顔面強打直後のわたしは別の意味で泣きそうなのだが。

 この姿だと人語で喋れないわたしは、それでももう離れないという自分の意志を伝えるために、ゾイの服の裾にぎゅーっと噛みついた。外そうとするゾイの手が諦めるまで、どれだけ首根っこ掴まれて振り回されても諦めない。

 たぶんいつものように猫の姿だったらゾイはここまでわたしを拒絶しないだろう。この街から出ていく気らしい彼を追いかける白猫の存在は珍しいかもしれないが、それでもこの姿よりはついていくのが楽なはずだ。

 でも私はもう、自分の意志も姿も隠して彼に近づく、迷い猫の振りはやめたんだ。

「どうして俺なんだよ」

 ゾイだからだよ。ゾイだったからだよ。

 見上げる視線に根負けしたように、ゾイがやがておずおずとした手つきでわたしを抱き上げた。羽や角があるから、いつもの猫を抱くときの手つきとは微妙に異なっている。でもその手の温かさだけは、変わらなかった。

 ゾイに出会ってから、色々な人を見た。人に交じる幻獣の姿も見た。力にとりつかれた男も幻獣の友のために命をかけた少女も。

 その誰よりも、ゾイが好きだよ。傍にいたい。一緒に生きていきたい。

 伝わらない言葉を伝えるようにしがみつく。

「俺は――もう誰かと共に生きることはできない。今でもその気持ちは変わらない」

 ゾイはそう告げてわたしを床に降ろす。その口調があまりにも悲しげで真剣だったので、わたしも思わず噛みついていた牙を放してしまった。

 やはり駄目か? これでも伝わらないか? ――ゾイの生き方を変えることはできないのか……?

「でも」

 いつまでも未練がましくしがみついていないで踵を返すべきかとわたしが項垂れた瞬間、その頭をゾイの手が撫でた。

「でも……たまに遊びに来た猫にミルクをやるぐらいなら、これからもやってやるよ。それでいいか? 俺の“(ねこ)”」

 わたしは吃驚してゾイを見上げる。

 そして目尻に浮かんだ涙を振り払うように、改めてゾイの腕の中に飛び込んだのだった。



 了.



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