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密室推理ゲーム・イミテーションズ  作者: DF946
密室推理ゲーム・イミテーションズ
9/12

4

 いつも通り放課後、化学準備室で机を合わせている多嶋達二人は、ストーカー事件について円卓会議を開いていた。

「で、まずお前は、なんであのサイトが密室殺人ゲームの会場だって分かったんだ? その論理の飛躍を解説してくれよ」

 倉塚は椅子に浅く腰掛け、多嶋に問い掛けた。

「昨日言った通りだよ。前にも同じURLを見たんだ。水高の裏サイトでね。それに blackwidowなんて単語一度見たら、なかなか忘れるものじゃないよ」

 黒後家蜘蛛の会。

 そのチャットのメンバーが純粋に推理ゲームを楽しんでいると言いたいようだ。

「でも……なんで猿原さんのブログに、密室殺人ゲームが?」

「ヨータロー、これで都市伝説じゃないって分かったでしょ。これはどう見ても裏サイトに出没する奴と同一犯の仕業だよ。つまり……、密室殺人(・・・・)ゲームプレイヤー(・・・・・・・・)の中に(・・・)猿原をストーキング(・・・・・・・・・・)してる奴がいる(・・・・・・・)可能性が高い(・・・・・・)。って事だよ」

 それを聞いて、倉塚は深刻な顔になる。

「それともう一つ、分かった事があるんだけど」と多嶋が言った。

「昨日帰ってからすぐに、管理者アカウントであのブログにログインしたんだ。それから閲覧者には非公開になってる〈管理者の承諾待ちコメント〉を一通り見たんだよね。そしたら」

「ちょっと待て」

 倉塚が慌てて多嶋の話の腰を折る。

「あれって管理者コードないと見れないだろ。いつの間に教えてもらったんだよ」

 その質問に、多嶋がきょとんとした顔でとぼける。

「何言ってるんだい。昨日、管理者本人が僕達の目の前でログインしてたじゃないか。あんなに堂々とパスワード教えてくれたのに、見てなかったの?」

 いけしゃあしゃあと出るその言葉に、やれやれと倉塚は苦笑した。

「出歯亀というかなんと言うか、目端の利くことだな」

「探偵として当然のアビリティだよ。それよりも非公開のコメントだけどね、ストーカー臭全開のすっごいコメントばっかりだったよ。それに、もっと面白い事にね、そのコメント全部が別々のアカウントを使った投稿だったんだ」

「ん? どういう意味だ?」

 猿原が利用しているブログは会員登録制のものだ。メールアドレスを入力すれば、無料でアカウントを作成できる。残したコメントからは、その投稿者名をクリックする事で、コメントを残した人物のアカウントのトップページが表示され、人物が特定できる。

「なんで、アカウントを複数に分けるんだ?……というかそんな事できるのか?」

「gーmailでメールアドレス作りまくれば、いくらでもサブアカは作れるよ。そんな事も知らないのかいヨータロー。

 一通り見たけど、どれも一つのコメントを残す為だけに作られたアカウントみたいだったよ。……相当足がつかないように気を配ってたみたいだね」

 そんな面倒な事までしてコメント残したかったのかな? と多嶋が笑う。

 それとも犯人には、こちらが想像もできない意図が何かあるのか……

「そいつのコメント、俺が見たの以外には、どんなのがあったんだ?」

 倉塚が、さらに難しくなった顔で聞く。

「そうだね。ほとんどが想像通りの変態じみたやつだよ。栞莉があの場で見せたがらなかったわけさ。最初の方のコメントなんか、かなりポエミーで気色悪かったね。ーー『君の声が聞きたいな』『一回お話したいよ』『今日、君のイメージとぴったりの女の子を見かけたよ』『あれは絶対君だと思うんだ』『◯◯時にコンビニの前にいなかった?』『前髪ぱっつんポニーテールでしょ?』ーーみたいなね。そんな意味の言葉が、すっごいロマンチックに書いてあったよ。読みながら赤面してるあいつの顔が目に浮かぶね」

 聞きながら倉塚が、何が不味いものを口に入れたかのような顔をする。

「でもそれがね、だんだん密室殺人ゲームへの招待状に変わってくるんだ。初めてあのURLが添付されたコメントには何も書かれてなかったけど、それも徐徐にゲームに勧誘するような、『この先で待ってます』みたいな思わせぶりな文章が添えられるようになってきたみたいだね」

「相手から来てくれないから、自分の方から会いに行こうっていう心理か……」

「だろうね。あんあ不謹慎なゲームやってる奴だもん、栞莉もブログに推理小説好きな事書いてたし、こうなるのは当然の成り行きだよ。むしろ行動に起こすのが遅いくらいだと思うよ。ストーキングが始まる前から、ネット上では目を付けられてたんだから」

「んん……」

 倉塚が唸る。それまで仮想空間にいたストーカーが、現実の脅威として迫ってくる事を考えて、倉塚は空恐ろしくなった。

「こういう奴は、このままじゃ終わらないね。粘着系片思いのストーカーが、行動をエスカレートさせていくのは自然の摂理だよ。もうドアノブにプリンどころじゃ済まないだろうね。夜道でかどわかされたり、悪戯されたりするんじゃないかな。もちろん、……あっちの意味でね」

「なっ……!」

 倉塚の顔がみるみる赤くなる。倉塚はショックのあまり、口を開けたままわなわなと震えだした。

「だめだ! 早くなんとかしないと」

 多嶋にとっては、とても分かりやすい。

「猿原の事が好きな男共には、ぞっとしない話だね。まぁ猿原の背筋はゾッとするだろうけど。……あれ、ヨータローもその中の一人だっけ?」

 答えないぞ、と倉塚が睨む。

「でもそんなに心配しなくても大丈夫だって。もし猿原の本性を知らない奴が手を出したりしたら、猿原のゴリラパワーで返り討ちにあってお陀仏だよ」

 能天気に笑う多嶋とは逆に、不安を拭いきれない倉塚が論駁した。

「そんなことはない。猿原さんは……見た目通り、か弱い女の子だ。本当に連れ去られたりしたら大変な事になるぞ」

「平気だって、そんなに深刻に考えなくても。命に関わるような事件には発展しないよ。……それと、栞莉はヨータローの思ってる程、か弱くないよ。どんなイメージ持ってるか知らないけど、あいつ、男みたいな奴だからね。暴力的だし、下ネタ好きだしーー」

 多嶋の傍証ごときで幻滅する気は倉塚にはない。

「そんな事より、早く何か手を打とう。ストーカーなんかの手に猿原さんが汚されてたまるか。なんか策はないのか?」

 倉塚の弱音を聞いて、多嶋が胸を張る。

「もちろん! あるに決まってるじゃないか。僕を誰だと思ってるんだい? あの数々の難事件に関わってきた名探偵、多嶋良樹だよ!」

「……関わってきただけで、解決はしてないけどな。それに自分でなんにでも事件って名前つけて首突っ込んでる自称名探偵だろ」

 俄に頼りない。倉塚にとっては泥舟に乗ったような気持ちだ。

「で、具体的にはどんな策があるんだ?」

「うん。有効そうなのは三つあるよ。姿の見えない犯人を捕まえる方法なんて、思いつく限りのは一瞬で考え尽くしたから。ーーこっちには手掛りもあるしね」

「手掛り?」

「うん。あのブログに書き込まれてた犯人からのコメントでね、初めてURLが張られたやつにだけ、ユーザー名があったんだ。……〈kicracker(キックラッカー)〉って。

 他のコメントは名無しさんなのに、何か意味があると思わない?」 

「キックラッカーってアカウント名に反応する奴を見つければいいんだな?」

「そう言う事。あと、一つ聞くけど、これからもう一日中ヒマだよね?」

 付加疑問の形で聞かれた事に少し不満があったが、倉塚は「ああ」と肯定しておいた。テスト週間も終わったし、放課後に勉強する気も起きない。

「じゃあ、そろそろ行こう」

 そう言って多嶋が立ち上がる。

「行くって、どこにだよ」

 倉塚も鞄を掴むと、押っ取り刀で化学準備室から出て行こうとする多嶋を追った。

「今日の中庭の掃除当番に賀古貝(かこがい)さんがいて、栞莉がそれを手伝ってる。それに栞莉はもうテニス部やめちゃってるしね」

 倉塚が教室のドアを閉めるのも振り返らず、多嶋が準備室前の階段を下りていく。廊下には、吹奏楽部が吹き鳴らす無秩序な音楽が鳴り響いていた。

「中庭の掃除はいつも遅く終わるけど、栞莉の手伝いがあったならもう終わってる。栞莉が中庭掃除を手伝ったのは、賀古貝さんと帰る為だしね」

「ちょっと待て。お前が何をしたいのかが分からない」

 階段を下りきった多嶋は、玄関へ向って廊下を進んでいく。

「ストーカーの魔の手から猿原を守るんでしょ? 文字通りの意味だよ。ヨータローが、護衛になって栞莉を見守るのさ! ほらっ」

 生徒玄関に到着すると、入り口の外を見て、倉塚は納得した。正門近くで二人の女子生徒が、おしゃべりをしながら帰るところだった。

「栞莉はストーカーを怖がってるからね。一人で帰るのが不安だったんだよ。でもそれを言えないから、帰り道が近くて面識のある賀古貝さんと一緒に帰ろうってわけさ」

 追いついた倉塚が、多嶋に流し目をする。

「なら最初からそう言えばよかったんだ。『猿原さんがもうすぐ帰るから、俺達も一緒に行こう』って」

「ごめんごめん。ヨータローなら察せると思ったんだ。じゃあ猿原がもうすぐ帰るみたいだから、僕達も行こうよ」

 多嶋が上履きを脱ぎとり、ロッカーの靴と交換して出口へと向う。倉塚も外靴に履き替えると、多嶋に続いて正面玄関の外へ出た。

 日が短くなってきているため、もう空が暗くなり始めている。

 多嶋は校門へ向って歩き始めると、「おーい」と、女の子二人の背中に声をかけた。

「えっ、多嶋……?」

 振り向いた猿原につられて、隣にいた小柄な女子も振り返る。猿原と一緒にいるのは、同じクラスの賀古貝かこがい茉結まゆ。彼女もよく多嶋達と共に事件に巻き込まれる被害者仲間だ。

「こんにちは、賀古貝さん」

 多嶋達二人が、猿原の所まで歩いて行く。多嶋が挨拶をすると、猿原の隣にいた白いカーディガンの少女が、うれしそうな笑顔を見せた。手提げ鞄についたストラップの人形は、大山のぶ代が声をあてる人気キャラクターのもののようだ。

「どうしたの? 二人で」

 猿原が驚いて、どちらとも無しに聞く。昨日とは違い後ろ髪がポニーテールに結わえられている、つんと鋭角な顎が大人びた印象を与える美少女だ。切りそろえられた前髪の両端が触覚のように伸びているのは、倉塚曰く最強の髪型らしい。

「うーん。とくに用事はないけど、一緒に帰ろうよ。女子二人で帰るよりは、用心棒がいた方が安心でしょ?」

 パン、と倉塚の背中を叩いて、多嶋が答える。多嶋に急かされ、四人は帰り道を歩き始めた。

「用心棒……?」

 賀古貝が首を傾げて倉塚を見上げる。

「うん。栞莉がね、今ストーカーの被害に遭ってるんだ」と多嶋が言う。

「ちょっと! なんで言っちゃうの? 茉結ちゃんは関係無いでしょ?」

 猿原が慌てて賀古貝の前に割って入った。

「いいじゃん。友達なら隠し事は無しだよ。去年、迷宮館で起きた事件に、一緒に巻き込まれた仲じゃないか」

 それは皮肉か? と倉塚が多嶋を睨む。

「ストーカー?」

 歩きながら賀古貝が、また不安そうに猿原を見上げた。

「うん。そう、この前、不審者が後ろから歩いてきた事があってね、その話。もういないと思うから大丈夫だよ」

 恐らくそれは、賀古貝に気を遣わせない為に言ったのだろう。しかし多嶋が水を差す。

「それを言うなら、『賀古貝さんに実害はないから安心して』でしょ? 毎日のようにつけ狙われてるのは栞莉だけだもんね」

 一人だけ話に取り残されたような賀古貝が、多嶋と猿原を交互に見やる。

 余計な事を言うな。と猿原の視線が、キッと多嶋を睨んだ。

「なんで、いいじゃん、打ち明けちゃいなよ。その方が楽だよ。どうせ賀古貝さんには『ストーカーが怖いから一緒に帰ろう』とは言ってないんでしょ? 一人で悩んでるより、相談して助け合った方がいいって」

 僕達は友達だろ? などと言う多嶋の言葉には、あまり猿原を思いやっているという感情は汲み取れない。少年探偵団活動理由の為の上手ごかしだ。賀古貝も仲間に入れて、話を面白くしようという考えだろう。

「ストーキングされてるの?」

 真剣に聞く賀古貝の声の方が、数倍気持ちがこもっている。

「う、うん。でも多分、何もしてこないから、心配しないで」

 猿原が軽く賀古貝に笑いかける。そこに本人が含めたかった暢気さは、あまり現れていなかった。

 既にプリンがドアに掛けられた事を言わないのは、これ以上話を進めるな、という多嶋への合図だ。

「……ごめんなさい。私、これから東進行かなきゃいけないから、ここで帰らなきゃ……」

 賀古貝が交差点前の赤信号で立ち止まり、申し訳無さそうに目配せする。

 東進衛星予備校の場所は、校門を出たすぐ先の、この交差点を曲がった先にある。交差点を直進する猿原とは、ここで別れるという事だ。

「あ、茉結ちゃんも東進行ってたんだ……。うん、じゃあね……」

 猿原に手を振られかけ、まだ何か言いたそうな賀古貝に多嶋が伝える。

「不審者なら大丈夫だよ。その為にこのでくのぼうをつれてきたんだから」

 用心棒から違う棒に変わった事に対るツッコミは、倉塚は口に出さない。

「栞莉の警護には帰り道正反対のヨータローをつかせるから安心して。茉結ちゃんは僕と一緒に行こうよ」

 それに対しては倉塚も「オイッ!」と強烈なツッコミを、心の中でかました。

「なんで俺を置いていくんだよ。賀古貝さんは一人でもいいんじゃないのか?」

 多嶋が「んん?」と倉塚の方に首をひねる。

「何を言ってるんだよ。女の子を一人で歩かせるわけにはいかないでしょ? 東進までそんなに距離はないとしても、送っていくのがジェントルメンの役目だよ。それに猿原を守る騎士の役は、ヨータローが適任だと思うけどな」

 最後の言葉は恐らく、不審者に襲われた時に、上背のある倉塚の方が頼りになるという意味なのだろうが、倉塚は別の意味で受け取った。

 その時ちょうど、賀古貝が待っていた方の信号が、赤から青に変わった。

「あ、じゃあそろそろ行こうか」

「うん」

 多嶋が、賀古貝の袖を掴んで歩き出そうとする。まるで小学生の兄妹のようだが、高校生の同級生である。

「そう言う事だから、頼んだよヨータロー。栞莉も帰りしな気を付けてね。送り狼とか」

「誰が狼だ」

 じゃあね。ばいばい。と賀古貝と猿原が挨拶を交わす。倉塚も手を振って、横断歩道を渡っていく二人を見送った。

 賀古貝さんは推理小説とか好き? ええと、マンガなら……。

 夕暮れの中聞こえる二人の声が遠ざかっていく。

「……」

 気付くと信号の前では、倉塚と猿原だけが残されていた。

「……」

「……」

 気まずい沈黙が、二人の間を流れる。

 友達の友達と二人きりにされたような気分になり、倉塚は多嶋を恨んだ。

 猿原が、赤信号に向き直る。

「ええと……」

 自分から何か話しかけなくてはならない。そう思い、倉塚が口を開きかける。

「ごめんなさい。なんか、つきあわせちゃって……」

「えっ?」

 先に言葉を発したのは、猿原の方だった。慌てて倉塚が首を振る。

「そんな事ないよ。こっちこそ、良樹の自分勝手に付き合わせちゃってるし……」

 猿原は申し訳無さそうに顔を上げると、また目線を下げた。

「あの……私、一人で大丈夫だから、……倉塚くんは、ここで……」

「いいよ。送ってく。どうせ暇だし……暗い中、一人で帰ったら危ないから」

 本当は猿原を送り届けたあとで暗い中を一人で帰るのは、下校路が真逆な倉塚の方である。多嶋の言うジェントルメンの役目は知らないが、猿原を一人で帰らせる事は、倉塚には出来なかった。

 目の前の信号が青に変わる。

 ぴよぴよと難視者用のメロディーが流れ始めると、二人は歩き始めた。

「あの……あんまり良樹の事、悪く思わないでやって欲しいんだ。根はいいやつなんだけど、あいつ恣意的で、人の都合とか考えられないみたいで……」

「うん、分かってる。私は慣れてるから、平気だけど。……倉塚くんも、そんなに怒らないであげて」

 そう返された事で、先に言った倉塚の方が、多嶋を指弾しているようになってしまった。

 信号待ちをしていた黒い車が、先に歩き出していた二人を追い越していく。

「そうか、そういえば猿原さんって、あいつと中学校同じだったんだよね」

「うん。不運な事に……。覚えてないんだけど、どういうわけか幼稚園も一緒だったみたい。腐れ縁、っていうのかな……」

 非常にゆっくりとした体感時間で、横断歩道を渡り終える。倉塚はずっと、無難な話題を考えて、ぐるぐると頭を働かせていた。

「あいつって、昔からあんな感じだったのかな。衒学的っていうか……」

「ペダンティック?」

「そうそれ」

 猿原が思い出すように「ふふっ」と笑う。口許に手を当てる仕草が可愛らしく、倉塚はとても上品に感じた。

「昔はもうちょっと子供っぽかったかな。特撮オタクで、友達とヒーローの話ばっかりしてたし」

 今も子供っぽいけどね。と猿原は悪戯っぽく笑った。

「とか言って、その話についていけちゃうのが私なんだけど」

「ああ、なんか想像できる。じゃあ、今みたいな名探偵気取りになったのは、何かの影響なのかな」

 倉塚がさりげなく聞いてみると、

「うん……。多分それも、私の影響かも」

 猿原が苦笑いをしながら、先の地面を見つめた。

「実は私も推理小説とか好きで、良樹にも勧めてあげたんだ。それから、変な風にハマっちゃったみたいで……」

 彼女の口から、ドイルや乱歩やクリスティーの名前が出る。どれも、倉塚が彼女の本棚で見かけた、古典推理小説の作者だ。

「やっぱり。だから猿原さんて、良樹と気が合うんでしょ」

「ううん……どうなんだろう」

 猿原が言葉を濁し、会話が止まってしまった。

 既に空は暗くなり、街の街灯も明かりがつき始めている。

 なんとか会話を続けなくては。空気をまずくする為に一緒にいるんじゃないんだぞ、と強迫観念めいた軽い緊張が、倉塚の頭の中で渦巻いた。

「ええと……猿原さんって、結構頭いいよね」

「え? ……そんな事ないけど、なんで?」

 倉塚はストーカーの問題から話題が遠ざかるように、慎重に言葉を選んだ。

「なんか、前噂に聞いたんだけど、去年の期末テストでクラストップだったとかって」

 猿原があわてて首を横に振って否定した。

「ううん、全然そんな事ないよ。満点取ったの、古文だけだったし」

 それは謙遜に見せかけた自慢だね。と倉塚が言い、クスクス笑いが起きた。会話下手な倉塚だったが、猿原が相手だと、自然と話が弾むようだった。

 ずいぶんと歩いたあと、気が付くと倉塚は、見知らぬ通りを歩いていた。

 周りが暗いせいもあり、土地鑑が働かないのだろう。

 通りの先にコンビニの明かりが見えたところで、ようやく倉塚はここが、猿原の家から喫茶店「カフェ・ラ・レーヴ」へ行く道の近くだと把握した。

 隣では猿原が、大好きなポケモンの話で盛り上がっている。

 倉塚は今の状況が、図らずとも猿原に、直接学校から猿原の家までの行き方を教えてもらっているようなものだと思い至り、なぜだか気恥ずかしくなった。

 薄暗い中二人が、明るいコンビニの前に差し掛かる。

 すると突然、それまで饒舌に喋っていた猿原が、急に元気がなくなったように、声が小さくなっていった。

 明らかに気まずい雰囲気になった猿原の様子に気付いて、倉塚があたりを見回してみる。コンビニの入り口前にあるゴミ箱の横に立っているのは、シェリエドルチェののぼり旗だった。

 恐らく猿原は、窯出しとろけるプリンを見て、自分が今ストーカー対策の為に倉塚に警護されている、という事を思い出してしまったのだろう。

 倉塚はそんな猿原の様子を見て、なんとしても彼女を守らねばという思いに駆られた。また猿原が気後れせず好きなプリンが食べられるように、早く事件を解決しようと、心に決めている自分がいる事に気付いた。

「倉塚くん……」

「ん?」

 猿原が、言った。

「……いいよ、聞いても。……さっきから倉塚くん、無理にストーカーの話に触れないようにしてくれてたんでしょ?」

「いや、そんな……」

 悟られないつもりでいた倉塚は、口籠った。

 何を聞けばいいのかも思いつかなかったが、ここで話を逸らせば、せっかく意を決して自分にだけ質問を許した猿原の気持ちを、無下にする事になる。事件を解決しようと決心はしたものの、具体的に何をすればいいか考えていなかった倉塚は、取り敢えず思いついた質問を言ってみた。

「……じゃあ、犯人から貰ったプリンって、どうしたの?」

 コンビニの前を通り過ぎ、途端に道の先が暗く見える。事件のゆく先を暗示しているかのようで、倉塚は不安を覚えた。

「あれは、さすがに怖かったから、部屋の中に置いておいたんだけど……弟に見つかって、食べたそうだったからあげちゃった。何ともなさそうだったから……」

 でも、危険物処理させたみたいになっちゃたね。と猿原が、悪戯のバレた子供のように笑う。

 もしプリンの容器に注射針の痕のようなものがあれば、注意深い猿原ならすぐに気が付く。第一、犯人の狙いは変質的な好意を持ったプレゼントなのだから、猿原に嫌われるような、何かを混入させたりなどの真似をするとは思えない。倉塚はプリンの扱いについて、猿原を諫めるつもりはなかった。

「うん、プリンが無駄にならなくてよかったね。えーっと……」

 倉塚は次の質問を考える。

「あと……あ、そういえば。……キックラッカーって名前に、何か思い当たる事ってない?」

「キックラッカー……? わからない。誰?」

 猿原が記憶を探るが、思い当たらないようだった。

「俺もよく知らないんだけど、それがストーカー犯人の、ネット上での名前らしいんだ。あのブログに犯人が残したコメントの一つに、その名前が付けられてたんだって……」

 いい終えてから、慌てて倉塚は「って、良樹が言ってた」と付け加えた。勘のいい猿原は今の倉塚の言葉で、非公開のコメント全てを多嶋に見られた事を悟ったようだった。

 丁字になった道の突き当たり、誘蛾灯の下に差し掛かったとき、猿原が足を止めた。

「家、すぐそこだから、ここまででいいよ」

 倉塚が見ると、道を左に曲がったすぐ先が、猿原のマンションの入り口だった。

「あ、うん……」

「ごめんね、遅くなっちゃって。……明日からは一人で帰れるから、もう大丈夫」

 薄暗闇の中、街灯の明かりの下に倉塚だけを残し、猿原が歩き始める。

「送ってくれてありがとう。……じゃあ、葉……倉塚くんも、気を付けてね」

「うん、じゃあね」

 猿原が手を振り返す。

 倉塚は、その影がガラス張りの扉の向こうに消えるまで見送った。

「……」

 倉塚は、帰り道を思い出そうとした。


多嶋が話題にあげた迷宮館は、構想中の短編「名誉感の刷新」に出てくる建物です。迷宮館の事件は時系列でこの話の前にあたります。本作ではあまり重要な伏線にはなっていないので、気にしないでください。

ちなみに「名誉感の刷新」は、綾辻行人さんの小説「迷路館の殺人」のオマージュで、この迷路館の殺人に出てくる館の主人の名前が「宮垣葉太郎」なんです。

迷宮館の事件での真犯人が倉塚君なので、ここで多嶋の台詞に対して「それは皮肉か?」と言ったのは、四人の中で倉塚だけが被害者仲間じゃなかったからです。

あと多嶋良樹たじまよしきの名前は、綾辻さんの館シリーズの主人公、島田潔しまだきよしの(濁点含め)アナグラムです。

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