第1話 ピンクムーン(桃色月)
「フギャッー」
全身を貫かれたような凄まじい衝撃に襲われ、一瞬にして意識が弾け飛んだ。
◇◆◇
(う、ん……)
意識が戻ってきた。
(生きてるー!?)
床に倒れ込んでいたようだ。頭を起こすとクローゼットの鏡に映ったのは「黒猫」
頭をきょろきょろと動かして部屋中黒猫を探すが見当たらない。
自分の姿も見当たらない。
(ん? 幽体離脱???じゃないよな。透明人間か???)
黒猫を見つめて、頭を傾げる仕草をする。
鏡の中にいる黒猫も自分と同じ方へ頭を傾げる。
手を挙げると鏡の中にいる黒猫も自分と同じ方の手を挙げている。
(ん?)
その時、自分の目に入ったのは黒猫の前足だ。
自分の手を見る。……黒猫のぷにぷにした肉球が見える。
(えっえー? 黒猫は私???)
(夢か? 夢だ! 夢が覚めれば元に戻っているかも……も一度寝るか?)
そのまま、頭を下げて眠ろうとするが、ベッドに入って眠った記憶がない。
(何があった?)
今まであったことを思い返してみる。
ママ(アズサ)が夕食中に「今日はピンクムーンが見られるらしいわよ。」と言っていたことは覚えている。
4月に見れる満月のことで桃色月とも言うらしいと思い出し、窓を開けて空を見上げた。
星は瞬いていて、満月もうっすらと桃色を帯びているように見えた感じがして「お~」と声を漏らしたまでは覚えているが、その後は覚えてない。
(満月を見て黒猫になってしまったのか?………………なわけないだろ。)
(でも、まっ、とりあえず、ママに言わなきゃな。)
よっこらしょと体を起こし、ドアまでトコトコ歩いていく。
ドアノブに手が届かない。思い切り伸びても届かない。
思い切りジャンプしてみた。ドアノブに手がかかった。ぶら下がるとドアノブが下りてきて、ドアが開いて少し隙間ができた。
ドアノブから手を離して、頭で押して体を擦り抜ける。
階段まで来てビビった。一段一段が思ったより高い。
(……こ、これを下りるのか……、怖い、下りる階段がこんなに怖いとは……)
ゆっくり、一段一段トントンと下りていく。
ママには聞こえない。
キッチンで片づけをしているママの元まで来た。
「にゃにゃ~(ママ~)」
お皿の片づけを止め、アズサは振り向くが、声の主が見当たらない。
気のせいかと片づけを続けるアズサの足を軽く猫パンチした。
「にゃにゃにゃ(ここにゃ)」
アズサは足元に目をやると、そこには一匹の、毛並みの美しい黒猫がちょこんと座っていた。
「あら、ねこちゃん♡ どこから入ってきたの? 一華に呼ばれたと思ったんだけど・・・???」
「にゃ~ん、にゃにゃ~……(ママ~、わたしだにゃ! 一華だにゃ!)」
黒猫が叫ぶ。
声は確かに一華の声だが、発せられているのは猫語だ。
「っええ~!? 一華なの?」
アズサは驚き、黒猫になった一華を抱き上げた。
黒猫一華は両前足でアズサの肩に必死にしがみついている。なだめる様に優しく背中を撫でるアズサ。
「どうしたの、一体!? って猫語?」
「にゃぁ~、にゃ……(私にもわかんにゃいにゃ~)」
一華は満月を見た時の状況を話した。
「にゃ~、にゃにゃにゃ……(どうしよ、これじゃ高校にも行けにゃいにゃ~。)」
「そうねぇ、困ったわねぇ、元には戻れないの?」
アズサは微笑んでいて、その割には困ったという顔でもない。どこか楽しんでいるようだ。
「にゃ~、にゃぁ~ん、……(わかんにゃいにゃよ~! もう高校行かずに、毎日食っちゃ寝しようかなぁ♡)」
黒猫のくせに、一華の口調はいつも通りだ。アズサはため息をつきつつも、どこか楽しそうに笑った。
「だめよ~」
「にゃにゃにゃ、……(でも、元に戻り方わかんにゃいしにゃ。)」
「そうよねぇ」
アズサは一瞬真剣な顔になり、黒猫一華をソファにそっと下ろすと、寝室へと向かった。そして、少しして戻ってきたその手には、ラピスラズリのような濃い青色の宝石があしらわれた、繊細な銀のペンダントが握られていた。
「一華聞いて。あなたに黙ってたことがあるの。」
「にゃにゃ?……(にゃに?)」
黒猫一華は首をかしげる仕草をする。
「あなたのパパは魔界人なの。ママは人間だけどね。」
「にゃっ? にゃにゃ?……(っえ!? ママにゃに言ってんにゃ?)」
猫の目が、まん丸に大きく見開かれる。
「これはパパから受け取ったものよ。一華の魔力が覚醒した時にって。」
「にゃんにゃ、にゃにゃにゃん……(……う、うん? 魔力が覚醒ってどういくことにゃ?)」
「このペンダントに手をかざしてみて。」
「にゃん?……(こう?)」
言われた通り、黒猫一華は器用に前足をペンダントにそっと乗せた。
すると、ペンダントが青い光を放ち、その光が空中で立体的な映像を映し出す。
ホログラムが浮かび、そこには漆黒の髪と、月のように冷たい光を宿した瞳を持つ、長身の男の人 (ハオ)が映し出された。
「ひさしぶりだな、元気だったかアズ。」
「えぇ、あなた様もお元気そうで何よりです。」
「待ちかねたぞ。」
「長らく、お待たせしてしまいましたね。」
アズサは、今までの乙女チックなママとは打って変わって、どこか奥ゆかしい貴婦人のような態度で、ホログラムの男に向き直った。
黒猫一華はママと映し出された男の人の顔を交互に見ている。
「どうしたんだ?」
「ここにいる黒猫は娘の一華です。満月を見ていたら黒猫になっていたそうです。元に戻る方法を教えていただけないでしょうか。」
「そうか。一華か。魔力が覚醒したのか。」
ハオは、黒猫に向けた瞬間に、瞳が先ほどの冷たい光から温かい光へと変わった。目元を緩め、愛しそうに見つめた。
「そうだな。ペンダントを自分の胸に当て、目を閉じて深呼吸をして見よ。」
黒猫一華は、肉球でペンダントを胸に当てた。
冷たい感触が、黒猫の肉球に伝わってくる。言われた通り、目を閉じ、精一杯深く息を吸い込んだ。
(……パパが魔界人……)
さっきまでの衝撃と驚き、そして不安が胸の中で渦を巻く。しかし、この青いペンダントに、元の姿に戻るための希望を込めた。
「すぅー、にゃー、……(すぅー、はぁー……)」
数回、深呼吸を繰り返すが、体に変化はない。
「どうだ? 変わらぬか?」
ハオの声が響く。
「にゃん、にゃにゃにゃ……(……にゃん。にゃんにも変わらにゃい。胸のペンダントが、ちょっと温かくなっただけにゃよ)」
アズサはホログラムのハオに向き直り、不安そうに尋ねた。
「ハオ様、何か問題が?」
ハオは顎に手を当て、深く考えるような仕草を見せた。
「うーむ……なるほどな。」
黒猫一華は首を傾げてホログラムを見上げる。
「一華よ。お前は今、どのくらい自分の力が使えると感じる?」
「にゃ?……(力?)」
自分の「力」と言われても、猫になってからやったことと言えば、猫パンチと猫語で喋ったことだけだ。
「にゃぅ~、にゃーにゃん?……(うーん……わからにゃいけど。意識はそのままで猫の体になってるって感じにゃか?)」
「そうか。お前はまだ、魔力が目覚めたばかり。その変換のエネルギーは、ほとんど満月の魔力に頼ってしまったのだろう。魔力のコントロールが上手くできていないようだ。」
アズサが不安そうにハオを見つめる。
「え? それは、どういうことでしょうか……?」
ハオは少し残念そうな表情を浮かべた。
「元に戻るためには、最初に変身した時と同じ、もしくはそれ以上の魔力の供給が必要だ。もし、私がお前たちの傍にいれば、私の魔力でコントロールできるのだが……」
ハオは夜空を指差すように、ホログラムの向こう側に視線を向けた。
「私はいま、お前たちがいる世界、『人間界』から、遥か離れた『魔界』にいる。魔界と人間界は強力な磁場で区切られている。この状態では、私の魔力をもってしてもコントールできない。人間界の満月の強大な力を受けているお前の方が強力な魔力を有しているようだ。」
「にゃ~、にゃにゃ?……(そっか……じゃあ、元に戻れにゃいってことにゃんにゃ?)」
「みゃみゃ?にゃあにゃにゃ?……(……高校生活、黒猫で送るにゃにゃ? 教室で「にゃあ」って授業受けるにゃんか?)」
黒猫一華の声が、急にしおれてしまった。
「猫は高校には通えないわよ~。それに今、魔界語で話しているわよ。」
「にゃ? にゃにゃ……(えっ? 魔界語にゃん? 私知らにゃいにゃ!? でもママとも話せてるにゃね。)」
「パパのおかげで魔界語わかるもの。」
「にゃにゃぁ、にゃ……(ママとは話せるんにゃ~、よかったにゃぁ~ん。他の人には外国語みたいに聞こえるにゃか?)」
「黒猫で話す言葉は、他の人間には『にゃぁ』と聞こえる。」
「にゃぁーん、にゃにゃ……(すごいにゃ~。勉強しにゃくてもバイリンガルににゃっちゃったにゃよ~)」
アズサは楽観的な一華の言葉に微笑みながら抱き上げ、優しく撫でた。
「ハオ様? 何か、方法はないでしょうか?」
ハオは、黒猫一華を抱くアズサを、愛しそうに見つめた。
「ふむ。人間界で魔界人として生きていくのは何かと苦労するだろ。魔界へ来るか? いつ来てもいいように準備は整えているぞ。」
(魔界生活??? せっかく合格した高校、待ち望んだ女子高生ライフ。元に戻ることさえできれば、人間としての生活は続けられるのでは……)
「にゃにゃ。にゃにゃにゃ。にゃんにゃ?……(パパ。とりあえず高校生活の間だけでも、まだ人間界にいたいにゃ。せっかく希望校に合格できたしにゃ。……でも、ママはパパと一緒にいたいにゃか?)」
「一華は、魔界人っていうこと受け入れてくれるの?」
「にゃにゃにゃ、にゃぁん。……(人間でも誰か他人とのハーフにゃし、外国人との国際結婚と同じでパパが魔界人ってことにゃん? むしろ、カッコよくにゃい? おまけにパパってイケメンにゃし。)」
黒猫一華のあっさりとした言葉に、アズサとハオは目を丸くした後、優しく微笑んだ。
「クスッ そう? もう少し一華と過ごせるかと思っていたけど、パパの準備もできているなら、魔界に行ってもいいかなぁ♡?」
「にゃん、にゃにゃにゃ……(じゃあ、ママは魔界に行ってパパと暮らしにゃよ。私はこっちで1人暮らしするにゃん。」
「一華、1人で生活できる? 料理に掃除、ゴミ出しだって決まった日にしなくちゃいけないのよ。寝坊しても誰にも起こしてもらえないわよ。」
アズサの心配に、黒猫一華は顔を真っ赤にして反論した。
「にゃん、にゃにゃにゃにゃにゃー……(大丈夫にゃん! 目覚ましかけて起きるし、お弁当買うか、〇ーバー〇ーツ利用すれば大丈夫にゃ! 料理も覚えていくにゃしにゃ~、もう子供じゃにゃいにゃよ。それに3年もすれば成人するんにゃよ!」
「そうね、わかったわ。ここに1人は広すぎるから、高校の近くにお部屋を借りましょ。」
2人の決意を聞いたハオは、満足そうに頷き、一人の若い男を呼び寄せた。
映像の中に、黒い軍服のような衣装を纏った、整った顔立ちの青年が現れる。
「俺の弟の息子で、シンだ。」
「魔界で採れる『月華草』という薬草がある。それを摂取すれば、お前が持っている魔力の器を活性化させ、魔力のコントロールを格段に早めることができる。ここにいるシンに一華の護衛を兼ねて『月華草』を人間界に持って行ってもらう。」
一華は、目を白黒させながら反論した。
「にゃん、にゃにゃんにゃ?……(護衛なんて必要にゃいにゃよ!おまけに従兄と言っても全然知らにゃいし!?)」
「シンはお前の婚約者だ。問題ない。」
「にゃん、にゃにゃ?……(婚約者って何にゃ!?)」
黒猫一華の驚きに、パパは淡々と続けた。
「弟夫婦の忘れ形見でな、俺が引き取って息子のように育ててきた。おまけに血筋的にも後継者としても問題ない。」
「にゃにゃ?にゃ、にゃにゃ?……(後継者って? パパ、会社の社長にゃんか?)」
「パパは魔界の王なのよ。」
アズサが、笑いながらあっさりと言い放った。
「にゃ?にゃおーんにゃ?……(おう~? 魔王っていうことにゃんか!?)」
「そうだ。シンは次期魔王候補だ。一華は一人娘だから、婿養子だな。」
「にゃ?にゃにゃにゃ、にゃー……(婿養子~!? ちょっと待ってにゃ! 今日は情報過多で頭が混乱してるにゃ!うーんと魔王にゃんだからお妃様とかいっぱいいて、子供もたくさんいるんじゃにゃいの?)」
「歴代の魔王の中にはそういう王もいたが、私の妃はアズだけだ。アズと出会った時は魔界に呼ぶには危険だったが、魔王となった今では守ることもできるし、ようやく一緒になれるな♡。」
「みゃー、みゃうーん……(パパって一途~? ママ愛されてる~♡)」
「大人をからかわないの」
照れながら一華を叱るアズサ。
「準備が整ったらシンをそちらに向かわせる。一緒に引っ越しでもしておいてくれ。」
「じゃぁな」と言って、ホログラムが消えた。
「にゃぁ~……(はぁ~……)」
ため息が出てしまった一華に対して、優しくママが言う。
「今日は疲れたでしょ。とりあえず寝て明日考えましょ。」
黒猫一華を部屋まで運んでベッドの上に下ろしてくれた。
◇◆◇
一華は元の姿に戻れなかったことは残念だが、好奇心が疼く。
黒猫の姿でいろんな所を行ってみたくなった。
高い塀をいとも簡単に登ったり、人間の行けないところを通ったり、猫を満喫したくなった。
「にゃにゃにゃーん、にゃにゃ……(ママ、黒猫の姿で外行ってきてもいいにゃか?)」
「何言ってるのダメよ。発情期の野良猫にでも襲われたらどうするのよ。貞操の危機よ。」
「にゃにゃ……(貞操ってにゃ?)」
「そうよ。シン君という婚約者がいるのに、猫の赤ちゃん産むことになるわよ。」
「にゃにゃんにゃ……(猫の赤ちゃんにゃ?)」
「猫の姿では外出禁止よ。わかった?」
「にゃにゃぁ……(わかったにゃぁ)」
「今日はもう寝なさい。」
アズサは窓を閉めながら「おやすみ」と言って後片付けに戻っていった。
一華は全身の力が抜けたようにベッドで丸まった。
眠ろうにも、魔界人のパパに、魔王の娘である自分、そして次期魔王候補の婚約者の存在、おまけに突然の一人暮らしの件で、頭の中は先ほどの出来事を思い出してぐるぐると妄想だらけで眠れずにいた。
(トイレどうすっかなぁ……)




