1. 歴史との出会い(日本艦金剛登場)
くろがねの城の中にあった魂たち
この魂たちが神の国にたどり着くことはないのかも知れない
だが暗黒の黄泉の国に落ちることは心優しい彼女たちが許さないだろう...
2025年3月、わたしは文献調査に行った帰りに佐世保のフードコートで、人間の女性として生まれ変わった第二次世界大戦の日本の高速戦艦金剛と話していた。イギリス生まれの戦艦である彼女の外見は金髪碧眼の和装の美女だが、しゃべり方は自分の一人称を「わし」と言い江戸時代の武士のような言葉遣いである。
わたしは彼女に話しかけた「あなたは昔の日本人のようなしゃべり方をするんだねえ」
金剛は笑いながら答えた「ハハハ…わしが日本に来た時の高級士官は幼い頃に父母からサムライの心得を叩きこまれたものが多くてな。そやつらの影響を受けてこうなってしまったわい」
そういえば金剛の初代艦長中野直枝は高知県士族、二代目艦長の山中柴吉は山口県士族だ。二人とも明治一桁の生まれ。学校で配られる歴史の副読本の年表では江戸から明治に移っても人々の心は簡単には変わらない。
以前に新聞社が出版した山本五十六の追悼文集を読んだことがあるが、「同じ小学校に通っていても山本提督のような士族出身の同級生はわたしたち平民の子どもとはやはり違っていて...」のような事が書かれていたっけ。明治どころか昭和の18年までそういう身分意識が残っていたのだ。閑話休題。
幼少期に受けた影響は後々にまで残るものだが人間に生まれ変わった金剛はどうだろう? 彼女は確かイギリスで建造されたはずだ。
わたしは尋ねた「イギリスの事は覚えているの?」
金剛は腕組みをして上を見上げながら答えた「うーん...バローの造船工たちのざわめきが子守歌代わりだったし、わしが日本に向かう時は英国の貴顕紳士や淑女を迎えてアットホームを催したのじゃが...ほとんど忘れてしもうたのう」
アットホームは日本海軍の文書で良くでてくる言葉で艦で開かれる午餐や晩餐を言うようだ。確かホストが在宅して(at home)客を招待するという英語から来ているのだったかな...日本がドレッドノート後の欧米の建艦技術に追いつくためにイギリスの援助を仰いで建造された最新式の巡洋戦艦金剛、その竣工祝いには多くのイギリスのVIPが招待されたのだろう。わたしは手元のノートパソコンで金剛の回航記録のPDFファイルを開いた。
確かプリマスでの金剛への訪問客は次のようだ
プリマスでの金剛への主な訪問者
George Egerton (Royal Navy officer)(17 October 1852 – 30 March 1940)
Frances Emily Gladstone (1852 - 1939)
Robert Henry Simpson Stokes(5 August, 1855 – 24 April, 1914)
Henry Lopes, 1st Baron Roborough (24 March 1859 – 14 April 1938)
Douglas Egremont Robert Brownrigg, Fourth Baronet(25 July, 1867 – 14 February, 1939)
この中でもっとも重要な人物はGeorge Egertonだろう。wikiによれば戦艦マジェスティックの艦長を務めた貴族出身の海軍軍人であり、1911年には職業軍人として第二位の第二海軍卿になっているのか。1911年から13年の金剛の建造にもかなり関わっているのかも知れない。
わたしはそうした事をノートパソコンの画面を見せながら金剛に話した。
「プリマスで金剛を訪ねた人たちが記録に残ってるよ。中でもこのジョージ・エジャートンっていう人は結構重要だったようだ。戦艦マジェスティックの艦長もやっててこの頃は第二海軍卿だった。ひょっとしたらあなたがドックで赤ん坊だったころから一人前の軍艦に育って日本へ航海に出るまで、この人が見守っていたのかもしれない」
金剛はノートパソコンの画面を食い入るように見つめていたが、わたしが話しているのを聞いて我に返ったように
「あー。そういえばだんだん思い出してきたわい。エジャートン卿は顔をさっぱりと剃った、今のお主らの言葉でいうイケメンでな。わしの船体をしみじみとした様子で撫でていたのう。そうか、ここに書かれてある方々はわしが沈む前にみな亡くなられておるのじゃな。最後はイギリスを相手にいくさをすることになったが、わしが生まれた時に祝ってもらった思い出があるから今でも敵とは思えぬのう」
さらに話を続ける金剛。
「そういえばわしが生まれる時にひと悶着あったな。わしを建造する契約を取るのにヴィッカースが帝国海軍に賄賂を贈ったとか...それがバレて元艦政本部長や内閣のクビが吹っ飛んだという話じゃの。わしは傾国の美女じゃなワハハハハ!!」
この話は確か高校の教科書にも載っているシーメンス事件の一部だ。日本海軍へのシーメンス社の贈賄を調査している際にヴィッカース社のリベートまで発覚したのだったか。しかし自分を傾国の美女って...まあ冗談だろうけど...なるほどこういう性格なのか。
わたしはもう少し彼女の話を聞きたくなった「イギリスから日本に来る時ってどんな事があったんだい?」
金剛は記憶をたどりはじめる。
「ちょっと待て待て。今思い出しているところじゃ……そうそうベルファストの沖合いに出たところで霧に襲われたのじゃ。わしもこれが初めての航海だったからあわてたよ…じゃがヴィッカースから付けられた水先案内人が方角を見失わなかったから助かったわい。とても頼りになるやつらじゃった」
話しているうちに往時のことを少しずつ思い出して来たようだ。
「そしてカーボヴェルデから赤道を通ってケープタウンに出た時は往生したわい。いやわしは緯度が北にあるバローで造られたからの。こんな暑いところがあるのかと思ったよ。ケープタウンでは石炭を船に運ぶ設備に日本の士官がえらく関心しておっての。運搬の効率の良さはさすが大英帝国だと熱心にノートをとっておったよ」
「…それで日本まで来たわけじゃ。喜望峰を回ってインド洋を通って日本まで来る大航海じゃ。わしは浅間殿や出雲殿のように遠洋航海の練習艦になる機会は無かったからあれで最後じゃったの」
確かにヴァスコ・ダ・ガマやザビエルを思い出させる大航海だ。しかし1913年時はすでにスエズ運河が開通していたはずだ。なぜ距離の近いスエズルートを通らなかったのだろう。
それを尋ねると金剛は
「それよ。スエズ運河の水深ではわしが通過できるかどうかわからなくてな。中野艦長はそれを確かめるのにかなり難儀したようじゃ。結局喜望峰を回ってきたのじゃが、民間の船会社はなかなか情報を出さないのじゃ。後難を恐れて民は軍や官には物事を隠そうとする。お主も歴史に興味を持っておるようじゃが、まず文献から調べるのじゃろう。後学のために覚えておくが良いぞ」
人文学徒の端くれとしてはなかなか痛いところをつかれた。確かに官僚が残した文書からおおよそのフレームワークを作るのが歴史研究のセオリーだ。だが報告する人間が報告するべきことを隠していたら真実はわからない。実際に官庁文書では情報は下から上にそのまた上に伝言ゲームになるから事件の全体像を把握するのは困難だ。
わたしはもっと金剛の話を聞きたくなった。彼女には30年にわたる長い艦歴の中で海軍と大日本帝国を見続けてきた経験と知恵がある。
「あなたが日本に来てからの話も聞かせてくれないかな」
すると金剛は
「え?もっとわしの話を聞きたいって? ウーム...結局のところ無駄に年ばかり重ねて国を守れなかった恥多き艦歴じゃからのう。研究射撃のために己が身を我らが砲火にさらして沈んだ薩摩や安芸に合わせる顔が無いのじゃ。いずれまた...な」
薩摩や安芸は金剛が就役する以前から帝国海軍で活躍していた前ド級戦艦だ。確かワシントン軍縮条約で廃艦になり砲撃の実験台になって撃沈したはずだ。ドレッドノート後の技術革新に乗り遅れた艦として、現在ではあまり注目されていない。しかし金剛にとっては先輩であり古い戦友なのだ。それを自分たちの手で葬ったのだから…
金剛が遠くの空を見て小声で呟いた
「薩摩も安芸も己が犠牲になって得たデータが国を守ることにつながると信じて沈んでいったはずじゃ…なのにわしらは…」
わたしはそれ以上は何も聞けなかった。
わたしの顔を見た金剛は場の空気を変えようとしたのだろうか。ことさらに陽気な声を張り上げて
「今まではわしばかりしゃべっておったが次はおぬしの話を聞きたいの!」
「ボクの話し…?」
さて何から話せばいいのやら。
すると金剛は自分から水を向けてきた。
「令和の御世に生まれ変わってわしは驚いておる。おぬしが見せてくれたノートパソコンからわしの航海の記録がすぐに見られることもそうじゃが、このフードコートと申すところでもたくさんの人間が牛丼やハンバーガーを手頃な価格で買って食べておる。わしらの時代は肉を食べられるのは限られた人間、それも毎日とは限らぬ。令和の若者の体格が良いのも栄養に恵まれておるからじゃろう」
確かに戦後という時代の栄養と体格の向上はそれ以前と比べると革命的だ。しかし金剛が若者の体格に注目するのはさすが職業軍人の視点というべきだろうか。
金剛は話を続ける。
「しかし今の世相は落ち着いておらぬようじゃ。これがいつの時代にもある世の中への不満なのか…それとも何かが変わりつつあるのか…」
さらに言葉を続ける金剛。
「最近はわしのフネも電子設備を充実させての。今、榛名がレッツピッカリ通信の加入の手続きに行っておるし、鎮守府に戻れば霧島がパソコンのセットアップをやってくれるので情報はすぐに集められる」
…姉妹艦にいったい何をやらせているんだ。しかし時代について行こうとする進取の気風は中高年になって急速に保守化しているインターネット老人会よりも優れているかもしれない。
そう考えていると金剛はこちらの目どころか心を射るような視線を向けてきて
「この時代を生きてきたおぬしがどう考えておるのか知りたいのじゃ」
金剛「さて、戦争を知らずに育った子供たちとやらはわしの問いに何と答えるかのう」
?「お姉さま、失礼ですよ。もうお年を召された立派な大人なのですから」
金剛「なあに大正の御代から帝国海軍の歴史を見てきたわしにとっては昭和50年生まれなんぞ孫みたいなものじゃ。この時代の人間を見ていると頼りないやら危なっかしいやら」
?「お姉さまも色々と教えて頂いたではありませんか。なのにそのような言い方は...」
金剛「ハハハ...それはそうじゃった。戦後という時代も捨てたものでは無いかもしれぬ」
?「そうですよ。もうしばらく見ていましょう」
金剛「ところでお主の登場は次回じゃぞ。もうしばらく控えておれ...じゃが読み手によってはお主が誰なのかもうわかっておるじゃろうのう」
金剛「では次回『歴史からの招待』じゃ。」