34話 博多港炎上
ハイペリアン乗組員
坂本リョウマ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 戦略参謀
西郷たかお 日系アジア人 28歳 男性 中佐 内政参謀 内政担当
大久保トシオ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 外務参謀 外交担当
勝りん太郎 日系アジア人 25歳 男性 少佐 海軍参謀
乾タイスケ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 陸軍参謀
福沢ゆー吉 日系アジア人 25歳 男性 少佐 財務参謀 財政全般
ヘレン ダルク フランス人 25歳 女性 少佐 医療参謀 医療技術
服部ハンゾウ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 警察参謀 情報捜査
杉原 ねね 日系アジア人 20歳 女性 少佐 教育参謀 教育全般
新政府
104代後柏原天皇
総裁 持明院基規 正三位、権中納言
議定 西郷タカオ、蝦夷國からの出向
参与
持明院 基規 正三位、権中納言
勧修寺 政顕 従二位、権中納言
長尾 能景 越後国の大名
安東 忠季 出羽の大名
朝倉 貞景越前国の大名
有馬 晴純 肥前国の大名
足利 義稙 第10代足利家当主
大内義興 第14代当主 周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国の守護職
1495年5月
大内氏館 大内 義興
「くそ、政元め。
騙しよって、何が将軍の命令じゃ、
足利 義澄は、朝廷の承認もなく
まだ将軍ではなかったという事か!」
これは、細川政元による徹底した情報封鎖の所によるものではあるが、
蝦夷国の情報局が大内方の間者を、片っ端から捕まえて、蝦夷国送りに
した事の方が大きいと思われる。
幸太郎の心なかでは、
どうせ、細川家も大内家も滅びるのだから、
こちらから攻める大義名分ができるので
上洛は望むとこだねって笑っていたのだった。
陶 弘護筆頭家臣
「殿、申し訳ございません
我らの情報不足でございました。」
内藤 興盛
「それより、大政奉還の後、すぐに新政府の成立には、
驚かされるばかりでございますが、朝廷の用意周到ぶりが
伺われますな〜
殿、それで当家は以下がしますか?」
大内義興
「うむ、直ぐに朝廷に参内して上洛の件の誤解を解かないと、
逆賊扱いになってしまうな!」
陶弘護
「殿、すでに内大臣、三条西 実隆殿に
参内してもらい、謝罪の件を取り持って頂いておりますにので、
そろそろ、知らせが京から届く頃だと思います。」
大内義興
「さすが、弘護抜かりはないのう。」
2日後、三条西実隆の使者が、やってきた。
その手には、朝廷からの書簡が二通あった。
一通目
細川氏との上洛の件、大内殿の誤解での出陣と理解した。
よって、明銭又は蝦夷銭で五千枚を
賠償金として支払う事で、この度の件、不問とする。
二通目
王政復古の大号令により足利幕府の管理にあった日明貿易は、
新政府の管理に移行するので、速やかに勘合符を
新政府に返還する事。
以上である。
これを見た義興は、困惑した。
すぐに重臣を集めて軍議を開いた。
初めに口を開いたのは、重臣筆頭の内藤興盛であった。
「殿、まずは、上洛の件は賠償金だけで済みました事、
お喜び申し上げます。
朝敵の汚名を被らなかった事、
興盛は安心しました。
また、勘合符の変換も、政権が交代したので、
仕方がない事に存じます。
幸い、当家には、今まで蓄えた蓄財がござれば、
今後は内政に、より従事して
より盤石な基盤を、この中国地方に作って行けば、
よろしいかと、存じあげます。」
すると、隣に座っていた、
陶弘護が、烈火の如く、
「政権が交代したとはいえ、一方的に日明貿易の利権を
よこせとは、あまりにも虫が良すぎませぬか!
今までも当家は、足利幕府に多大な支援をしてきたですぞ。
ここは、賠償金は払っても、勘合符は断固拒否すべきですぞ!」
すると、大半の重臣も、口々に横暴だ、徹底抗戦じゃ、と
軍議は紛糾し、夜になってもまとまらなかった。
翌日、大内氏館に急報がもたらされた。
筑前の守護代
杉 興運内政・軍事家中の統制・政治顧問的存在
「殿、大変です。
博多の港が蝦夷国に破壊されたとの報が来ております。
博多の豪商神屋 寿貞からの知らせです。
また、我が家臣からの報告では、数日前に
橘商会のガレオン船が寄港した時に、
蝦夷国から博多攻撃があるとの知らせを受けたとの事です。
念の為、大内水軍に港の防衛をさせていたのですが、
蝦夷国の船が昨日博多港の沖合に現れたそうです。
その船、帆もなく煙を出して驚くべき速さで、我が水軍に近づくと
搭載していた大砲が発泡して、水軍の船は瞬く間に大砲で穴が開き、
大破するか、沈没したそうです。
尚、海に叩き出された兵を救助し、
すぐに港に帰したそうです。
その際に、兵士たちには艦砲射撃で港町を破壊するので、
住民はすぐに退去するようにと言ったそうです。
2時間後、蝦夷国の船からの艦砲射撃が始まり、30分ほどで
港は壊滅、港で荷下ろししていた遣明船は大破した模様です。」
大内 義興は、
冷や汗がでて、背筋に寒気を感じた。
直感的に、まずい!これは貿易どころではないな!と思った。
すぐに内藤 興盛と呼びつけた。
「興盛、即刻朝廷に参内し、勘合符をお返しするのだ。」
「興運もすぐに、博多に行って、
蝦夷国に対して、我が国には敵意は無い旨を説明せよ。
場合によては、博多は割譲して良いぞ。
周防まで攻められたら大内家は滅亡するからな。」
こうして博多は蝦夷国に割譲することになった。
また、新政府、蝦夷国と不戦条約が締結されるのであった。
1495年6月 年号も明応から文亀に改元した。
大内義興と細川政元の関係について
史実で下記のようですが、当物語では変更しております。
細川政元は、明応の政変で足利義材を追放し、足利義澄を将軍に据えました。
大内義興は、追放された足利義材を支持しており、政元と対立していました。




