壱
「十年前から忘れられないものがあるんです」
深夜に差し掛かった土曜日の午後十一時過ぎ。駅から少し離れた場所にあるこぢんまりとしたバーで今日初めて会った相手にそう切り出した尊。
尊の忘れられないものとは十年前に住んでいた田舎町で起きた殺人事件の女性の遺体のことである。その遺体は四肢と頭部が切り落とされ、胴体がトルソーのように仕立て上げられて教会に置かれていた。尊はその遺体を見て芸術品のように綺麗だったと、鮮烈に記憶に残っているのである。
当時親や周りの大人たちは被害女性の遺体のことを可哀想だとか残忍だと言っていたが、尊にはどうしてもそうは思えず、こうして綺麗に飾ってもらえたのだからいいじゃないかと思ったのである。青白い肌と綺麗に切られた四肢の断面の赤黒い血肉と、その中に浮かぶ骨の白色のコントラストや、トルソーを模すという発想。あの死体の全てが尊の目には美しく見えた。
それから尊は取り憑かれたかのようにトルソー遺体の模写を描くようになった。毎日毎日同じような画角の絵を描き続けた。今でもそれは続いていて、模写した絵はもう何千枚となっているため現在は段ボール箱に仕舞われている。
「今でもその死体が一番綺麗だと思ってます。忘れられなくて絵に起こしたり、粘土で造形したりしてます。…有名な美術品や宝飾品を見ても、どうしてもトルソーの死体を思い出して、アレの方が綺麗だった、と思ってしまうんです」
尊はすでにお酒を二杯ほど飲んでいて、誰にも言えなかったトルソー事件の遺体への思いを酒の力を借りる形で吐露していく。
二十分か三十分ほど尊は話し続け、はっと正気に戻って相手のことを見れば「それで?」と続きを促すように聞いて来る。
「…引かないんですか?」
「何をだい? その事件の遺体が綺麗だったって話だろう? まぁ、四肢と頭部のない遺体が綺麗だなんて話は一般的には理解しがたい話だが、死に魅了される人間は少なからず一定数はいるからね。別にいいと思うよ。模倣して人殺しをしてるわけでもないんだろう?」
「してないですけど」
「じゃあいいんじゃないか。人の趣味嗜好なんて様々だしね」
なんてことないようにいう男。尊はそんなものか? と思いつつもトルソー事件のことを否定しないでいてくれた男に嬉しくなる。
尊は残忍に殺された死体に対して綺麗だと思うことは不謹慎でいけないことだと思い、なかなか口に出せなかった。しかし口に出してみればなんてことはなく、犯罪を犯していないならいいんじゃないか、とあっさりと認められてしまった。
「不謹慎かもしれないが、思ってしまったならそれが正直な感想なのだろう。否定したところで人間の本質なんてそうそう変わるものじゃない。君がそれを口に出さなかったのは賢明な判断だよ。私以外にそんなことを言ったら正気かどうか疑われてしまうだろうからね」
くすりと笑いながらいう男。
尊は酔いに任せたまま話しているときはよく見ていなかったが、酔いが覚めた今落ち着いて男のことを見れば、端正な顔立ちに高級そうなスーツを着ていることに気づいた。グラスに入ったワインを飲む所作もどこか気品があり、紳士を絵に描いたような男であると尊は感じた。
「そうですね、気をつけます」
尊は空になった三杯目のグラスを置くとマスターにお会計を頼む。それを聞いた男は、もう帰るのかい? と尊に聞いた。
「はい、だいぶ呑みましたし、これ以上あなたに迷惑もかけられないので帰ります」
「それは残念だ。もう少し話していたかったが、仕方がない。次会えたらまた話し相手になってくれると嬉しいよ」
にこりと笑いながら言う男に、尊は、次があれば是非、と返し店を出た。
暦では春になったがまだ肌寒い季節に、店の中との温度差を感じ身震いする。
尊は少しふらつきがあるものの、しっかりとした足取りで帰路についた。
それから二週間、尊はあのバーに顔を出さずにいた。仕事で忙しく、バーに行く余裕が無かったからだ。
酒を飲む時間があるならば、少しでも睡眠をとって休みたかったのだ。
そんなある日、尊の職場から歩いて五分ほどのところにある小さな教会で殺人事件が起きた。礼拝日が土曜日であるその教会で、午前の礼拝の準備をしようとした教会員の人が礼拝堂で死体を見つけたらしい。
十年前のトルソー事件を彷彿とさせるような事件だな、と尊は思った。この事件自体は当日中に人づてに聞き、翌日にはニュースも見た。なによりその死体がぱっと見て心臓に見えるように飾られていたと報じられていたことが、トルソーに模して飾られたあの死体の事件に似ていると尊は思った。
死体を置く場所に教会を選び、死体を何かに模して飾る。もしかすると十年前の事件と同一犯なのではないか、と思うほど似た事件であったのだ。
この目で実際にその死体を見られたらな、と尊は思う。今回の事件は尊が第一発見者ではないし、その場に居合わせたわけでもないので、実物を見ることはできていない。ネットにあげられていた死体の写真や映像を見る限り心惹かれるほどに美しいと感じる芸術性のある死体の犯人は十中八九、十年前のトルソー事件と同じ人物だろうと尊は思っている。
それから尊はトルソー事件の遺体の模写だけでなく、心臓遺体の模写まで始めてしまった。
家に帰るとシャワーは浴びるもののご飯を食べずに睡眠も最低限にしか取らず、ひたすら遺体の模写をしている。頭の中は二つの事件でいっぱいになっているのだ。
事件とは関係なく、仕事の忙しさから尊は二週間と少しぶりにバーへと足を運んだ。
マスターは来店した尊を見て、いらっしゃいませお久しぶりですね、と声をかけた。
「仕事が忙しくてなかなか来れなかったんです」
「それはお疲れ様です。ご注文はいつものでよろしいですか?」
「はい、それでお願いします」
「かしこまりました」
尊はこの店に来ると毎回決まって同じものを頼むため、マスターにも覚えられている。
甘いものを好む尊はチョコレートリキュールを使ったモーツァルトショコラミルクを好んで飲んでいる。そのため「いつもの」とマスターに言えばそれはすなわち「モーツァルトショコラミルク」を頼んでいることになるのだ。
「お待たせいたしました。モーツァルトショコラミルクでございます」
「ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
軽く頭を下げてそう言うマスター。尊は礼を言い、グラスに口をつける。
モーツァルトショコラミルクはチョコレートリキュールをベースに牛乳を混ぜたカクテルなので甘く、アルコール度数もさほど高いわけではないので尊からすると飲みやすいカクテルなのである。尊はそれを飲みながら店内をぐるりと見渡す。前回の来店の際に会った彼はいない。
彼に会うために来たわけではないが、尊は残念な気持ちになる。相手には申し訳ないが、もし会えたらトルソー事件に似ていると思った今回の事件について自分の考えを聞いてもらおうと思っていたのだ。
「マスター」
「なんでしょうか」
「この前の人ってよく来るんですか?」
「この前…。ああ、榛名さんですね。週に一度か二度ほどいらっしゃいますよ」
「そうですか」
「ふふ、八重樫さんとお話しなさった後は、土曜日にいらっしゃるようになったので、今日もいらっしゃると思いますよ」
週に一度か二度と聞いて、会えないと肩を落とす尊に、マスターは笑みながら言う。
ちょうどそのとき来店を知らせるドアベルの音がした。カランカランと響いたベルの音にマスターが「いらっしゃいませ」と声をかける。マスターの声に釣られるように尊が入り口に目をやれば、件の彼がこちらに向かって歩いて来るところであった。
「また会えたね」
「そうですね」
ためらいなく尊の隣の席に座る彼。今日も彼はきっちりと着込んだスーツ姿だ。
「榛名さん、ご注文はどうなさいますか?」
「キールでお願いします」
「かしこまりました」
キールはワインベースのカクテルで、白ワインとカシスリキュールを混ぜたものだ。モーツァルトショコラミルクよりはアルコール度数は高いが、カクテルとしては普通くらいと言えるものである。
尊は自分のグラスに口をつけながら、キールを頼む彼に子供舌の自分とは違い大人だなと思う。
「お待たせいたしました。キールでございます」
「ありがとう」
受け取ったキールを一口飲む和陽。
グラスに口をつけて飲むだけだと言うのに、色気を感じる。
尊は綺麗だな、と和陽のことを見る。顔立ちもそうだが、動作の一つ一つも綺麗なのだ。
「私は榛名和陽。君の名前を聞いてもいいかい?」
尊が和陽をみていると、不意に和陽の視線が尊の方を向きそう聞いてきた。
「…八重樫尊です」
「尊くん、と呼んでいいかい? 私のことは好きに呼んでくれて構わないから」
意外とぐいぐい話しかけてくる和陽。
尊は和陽のことをあまり話さないタイプの人かと思っていたので、意外に思った。
「いいですよ。じゃあ、和陽さんて呼びますね」
「うん、わかった。これからここで会ったらよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
よろしく、と軽く会釈する二人。
そして尊は和陽に会ったら事件の話を聞いてもらうと言う目的を果たすために口を開く。
「早速で申し訳ないんですけど、先週の教会の事件ご存知ですか?」
「うん、知っているよ」
頷く和陽に尊は、ならば話は早いとばかりに本題を口にする。
「その事件とこの間話したトルソー事件が似ていて同じ犯人なんじゃないかと感じるところがあって…。和陽さんはどう思うか聞いてみたいんですけど、いいですか?」
「いいよ。尊くんの話は面白いからね。私でよければいくらでも聞くし、意見もするよ」
「本当ですか。ありがとうございます」
話を聞いてもらえることが嬉しくて頰をゆるませる尊。
トルソー事件で普通ではない感性であると自覚してから自分の価値観を人に話してはいけないと思っていた尊は、その価値観を否定せずに話を聞いてくれる和陽の存在が尊にとって今まで溜めていた思いを吐き出せる唯一の存在なのである。
「それで、教会の事件と尊くんの大好きなトルソー事件の二つが似ているってどういうことかな?」
頬杖をつき、尊の方を向きながら話を促す和陽。
「似ていると感じたのはまず死体を飾る場所として選ばれたのが教会であるというところです」
「教会?」
「はい」
尊はトルソー事件と教会の事件についての個人的な見解を述べていく。
「二つの事件とも教会の礼拝堂に死体が飾られる形で置かれていたんです。多くの場合死体は人目につかない場所に隠すものだと思うんですけど、人目につきにくい場所に隠すのではなく、見つけやすい礼拝堂に置かれていたことが似ていると思った一つ目の点です」
「そうだね。専門的にどうかはわからないけれど、人目につかないような場所に隠すと思うよ」
実際に殺人事件が起きた場合、多くの場合犯人は死体をどこかしらに隠すか、どうにかして処分したりしようとする。
例としては山奥に埋めたり、死体をバラバラにしてゴミに出す、トイレに流すなどだ。
「僕もそう思います。二つの事件ともあえて隠さず、見つかるようにしているなと思うんです。で、次に似てるなと思った点は何かに模して死体を飾ることです」
「トルソーに模したり、心臓に模したりするところということかい?」
「そうです。トルソー事件はあまり有名な事件ではないので、死体を何かに模すという行為は知られていないと思うので模倣犯の可能性は低いと思うんです。それに殺した人間にわざわざ手を加えて、さらに死体を持って違う場所に飾りに行くなんて誰かに見つかる可能性の高くなるリスキーな行為をするなんて物好きなかなかいないでしょう」
十年前に起きたトルソー事件は地方新聞に載った程度でそれほど有名な事件ではない。
尊が住んでいた町ではそれこそ一大事件として今でも有名だが、隣町や都会に出ればトルソー事件を知っている人間はほとんどいない。
「だから同じ犯人なんじゃないかなって思ったんです」
「そうだね。死体を飾るということは小説やドラマでは用いられることはあるけれど、現実でとなると難しいものがあるからね。しかも手を加えた死体を教会まで運んでいる。移動しているところを見つかるかもしれないリスクを冒してまでそうするのはきっと何か犯人のこだわりがあるのかもしれないね」
「こだわり…。あ、あと、共通点ではないんですけど、教会の心臓を模した死体にはなにかメッセージ性があると思うんです」
「メッセージ性?」
「はい」
トルソーを模した死体はただ綺麗だと思うだけだったが、心臓を模した死体は誰かに当てたメッセージのようだと尊は感じたのだ。それが心臓を送るということなのか、心臓を奪うということなのかはわからない。心臓を送る場合は誰かに恋い慕っている気持ちを表すのかもしれない。はたまた忠誠を誓うということなのかもしれない。逆の心臓を奪うならば殺人予告の意味かもしれない。
「そう僕が感じただけで、実際は何の意味も無いのかもしれないんですけどね」
「…もし本当に誰かに当てたメッセージが込められているとしたら、今あげた中でどれだと尊くんは思う?」
何かを探るように尊に聞く和陽。
尊は和陽の雰囲気が少し変わったことを不思議に思いながらも「恋い慕っている、ですかね」と答える。
「どうしてそう思うんだい?」
「どうして…。なんとなくそう思っただけなんです。最初にネットで写真を見て、ラブレターみたいだなって。不謹慎ですけど本当にそうだったらある意味熱烈なラブレターですよね」
尊は苦笑しながら言う。和陽はそれを聞いて少し考えるようなそぶりを見せた。
「あ、さすがに引きました?」
「いや、そういうわけじゃないよ。そんな解釈もあるんだなと思ってね」
先ほどの探るような雰囲気は無くなった和陽。しかし尊にはまだ彼の雰囲気に違和感が残る。
前回や今回の出会い頭の紳士的で穏やかな雰囲気の和陽が、今はどこか殺伐とした雰囲気を纏っていると尊は感じた。
「僕なんか気に触るようなこと言いました?」
「え?」
「いや、なんか雰囲気変わったので」
気のせいならすみません、と頭を下げる尊。
和陽は「そんなことないよ、寧ろ興味深い話が聞けて楽しかった」と笑う。
「なら良かったです」
機嫌を損ねたわけでは無いとわかり、尊は安心したように笑い、残りわずかなグラスの中身を飲む。和陽もつられるようにグラスに口をつける。
「長々と話を聞いてもらってありがとうございました」
「どういたしまして。私も楽しかったから気にしなくていいよ」
「そうですか。あ、僕明日も出勤なんで帰りますね。和陽さんはどうします?」
尊はマスターにお会計を頼み、そう和陽に聞く。
和陽は、もう一杯飲んだら帰るよ、と言うので尊は荷物をまとめ席を立つ。
「本当にありがとうございました。次会った時はお礼に一杯奢りますね」
「気にしないで。本当に面白かったから」
またね、と手を振る和陽。
尊は会釈して店を出る。
心いくまで自分の考えを話す尊の話を聞いてくれた和陽に感謝しつつ、晴れやかな気持ちで尊は帰路についた。




