プロローグ 消えた国
全45話、完結済みです。
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御影宗一郎は、四十年前の夏から帰れずにいた。
机の上には、古びた一枚の写真がある。
若い宗一郎の隣で、白い衣の少女が笑っている。現代の服も、車も、自動販売機も知らなかった少女。熱い茶に驚き、夜空の星を見て、帰らなければならない国があると言った少女。
美那。
宗一郎は、写真の中の名を指でなぞった。
「今年も、夏が来たぞ」
返事はない。
開け放した窓の外で、蝉が鳴いている。遠くを走る車の音も、夕飯を知らせる町内放送も、四十年前とは違っていた。
美那だけが、あの日のままだった。
壁には大きな日本地図が貼られている。
九州。畿内。出雲。熱田。天岩戸。
無数の印と赤い線が、見つからない国を追い続けていた。
邪馬台国は、どこにあったのか。
誰もが名を知っている。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、女王卑弥呼と、その都へ至る道筋まで記されている。
それなのに、国の場所は今も分からない。
九州にあったという人がいる。
畿内にあったという人がいる。
どちらにも証拠があり、どちらにも届かない空白がある。
卑弥呼の死後、国は乱れた。男王に人々は従わず、十三歳の台与が王となって混乱を鎮めた。
そこまでは、記録にある。
では、その後は。
人が暮らし、祭りを行い、死者を葬った国なら、何かが残るはずだった。
土器。墓。鏡。地名。伝承。
残されたものはある。だが、それらはひとつの答えに結びつかない。
まるで、国の輪郭だけを歴史から削り取ったように。
学問は証拠によって積み上げるものだ。だから、国が「消えた」などと軽々しく口にするべきではない。
宗一郎も、四十年前まではそう思っていた。
だが彼は、見てしまった。
光の向こうへ帰っていく少女を。
手を伸ばしても届かず、美那の姿が世界から消える瞬間を。
「邪馬台国は、どこにあったのか」
宗一郎は、机の上の写真へ問いかける。
写真の少女は、変わらず笑っている。
「違う。そうではなかった」
四十年を費やして、問いはひとつだけ変わった。
邪馬台国は、なぜ歴史から消えたのか。
宗一郎は、窓の向こうに広がる町を見た。
期待しないことには慣れている。期待するたび、四十年前の夏へ引き戻されるからだ。
それでも、写真を伏せることだけはできなかった。
止まっていた四十年が、もう一度動く日を待っていた。
同じ町では、時間を止めたひとりの少年が、まだ何も知らずに眠っていた。




