十
「で、なんやここは…」
「なんやて、見てわからん?」
「いや、それは見たらわかる。何でここに僕を連れて来たんやって聞いてんねん」
僕は女性用ランジェリーショップの店内にいる。僕の周りには色とりどりの下着をつけたマネキンがポーズをとっており、棚はもちろん壁にまでびっしりと商品が陳列されている。
香織に付き合って欲しいと言われ連れて来られたのは何故かここだった。
「まだ何もやる事考えてないて言うたから、気分転換も兼ねて外出したらどうかなと思て。それに、ちょうど新しい下着買わなあかんなぁって思ってたんよ」
「気分転換はわかる。わかるけど、僕はこれ気分転換にはならんで…」
「何言うてるん。私みたいな美少女と一緒に出かけてるだけで十分気分転換になるやろに」
「美少女とお出かけは熱いイベやけど、この店は違う気がするで…」
堂々としていれば良いのだろうが、高校生男子には中々ハードルが高い。周囲から突き刺さる視線。全ての女性に陰口を叩かれているような錯覚にすら陥る。
「まぁ、この後ちゃんと違うとこも行くから。それより、ちょっと見てや。これとこれどっちのが可愛いと思う?」
香織はピンクと水色の下着で迷っているようだ。どちらもレースとリボンのデザインが可愛い。
「お前は水色の方やろ。でも、それを僕に選ばせてええんか? どんなん着けてるかわかってまうけど…」
「あ…、それはまだあかんな。参考までに聞いただけやから。今日は買わへんから。今のは忘れて!」
僕は彼女の「まだ」という言葉に引っかかりながらも敢えて聞き流す。僕にこの店内でそれを口にする勇気はなかった。
「取り敢えず、そういう下着着けてるって事だけは覚えとくわ」
「なんでや! 忘れろ!」
頬を膨らませている彼女の前で僕は笑う。こういうやり取りだけでも十分気分転換になってるかもしれない。
「香織」
「何ぃ?」
「ありがとうな」
「なんや突然。あっ、もしかして私の下着姿想像してるんちゃうの。そんな気持ち悪いお礼いらんわ」
「あぁ、そういうのもあるか。それはそれでありがとうやな」
「ちょっと、もうー。まぁ、ええわ。あんたも久しぶりに笑てる気ぃするし。連れてきて良かったで」
僕は自分の顔に手を当てる。最近の僕は香織に心配させるくらい笑っていなかったのだろうか。
「なぁ、僕は最近笑ってなかったんか?」
「んー、そうやね。教室とかで笑ってたりするけど私から見たら笑ってなかったな。顔もずっと怖い感じやったし。でも、今はちゃんと笑ってる」
「そうか…。やっぱり、お前には敵わんわ。気分転換なったで。お礼に何か奢るわ」
「ホンマに?」
そう言うと彼女はスマフォを取り出し何やら操作している。そして、何かを見つけると僕の方に画面を見せてきた。
「ここ行きたいねん。このお店のケーキがめちゃ美味しいって噂で行こう行こうって思ってたんよね」
画面には様々な種類のケーキが映っている。香織は画面をスライドしていき今日食べたいケーキを表示させる。
それは、生クリームたっぷりのケーキだった。確かにこのケーキは美味しそうだ。その画像を見ているだけで僕のお腹も少し空いてきた。
下着を持ったままの香織を見て僕は最初の言葉を思い出す。
「なぁ、香織」
「どしたん?」
「新しい下着買わなあかんて思てたから、ここに来たんやんな?」
「そうやでー。最近、サイズが上がったのかちょっときつくて…、って女子に何を言わしてんねん」
「いや、サイズがなぁって思って」
僕が下着とスマフォの画面を交互に見ていることに気づいた香織からヘビーなボディブローがお見舞いされたこと言うまでもない。
◇
僕は約束通り香織とケーキを食べ、その後も二人でウインドウショッピングを楽しんだ。そして、午後15時頃に香織を自宅に送り届けると、そのまま僕も帰宅した。
僕は1人リビングのソファに転がり、香織と過ごした今日の時間を思い出していた。
香織にはホンマ敵わんで。
どれだけ隠そうとしても、あいつには僕の不安は隠せないみたいや。
どうせ隠せへんのやったら、いち早く解決するしかあらへん。
それに、これ以上あいつを怖い目に遭わせたくない。もちろん、髙橋さん、石川さん、草野の事もなんとかせなあかん。
なら、僕に出来る事をやるか…。
僕がそんな思考をしソファから起き上がると背後から声がした。
「そうですね。出来る事をやりましょう」
「うわっ、遥陽さん。いつからいはったんですか!」
「今、来たところですよ」
「そうなんですか。てか、また心読みましたね」
「いや、すみません。そんなつまりはなかったをですけどね。視えてしまいました」
遥陽はその特異体質から僕たちが「視えないモノ」を視たり、それと会話をしたりすることが出来る。
そして、僕の周囲にいるモノたちから僕の情報を知る事ができるというのだ。プライバシーの問題や知る必要のないこともあるので普段は視えないようにしているが、この家ではそうもいかないらしい。
「皆んな、きみが無茶をするんじゃないかと心配しているんですよ。だから、そうならないように僕にきつく言ってくるんです」
「あぁ…。それは僕が悪いですね。すみません」
「いえいえ、謝るようなことでもありませんよ。で、昨日言っていた事ですが。本当にやるつもりですか?」
「もちろんですよ。もうこれ以上、アレに好き勝手させるわけにはいきませんから」
「わかりました」と遥陽は頷いた。香織が襲われそうになった事は彼にはすでに連絡済みだ。僕が香織を最優先に行動することを遥陽も十分理解していた。
「では、今日の分の情報の擦り合わせと方針の確認をしましょう。鍛錬はその後でやります」
僕と遥陽はいつもと同じようにテーブルにノートを広げペンを握る。香織が襲われた夢の話の詳細とお札が破れて無くなったことを改めて伝えた。
遥陽はお札の準備はまだ出来ていないと謝罪するが僕も状況は理解しているつもりだ。彼に無茶な事は言わない。
「札は数日頂ければ作れるのですがそれまでが問題ですね。キミの部屋の札を香織さんに渡して貰うか…」
「渡すか…、何ですか?」
「解決するまで一緒の部屋で寝てもらうしかありません」
「いやいやいや、それはあかんでしょ!」
「何故ですか?」
「何故って…、それは」
「ふふふ、冗談ですよ」
「もう、揶揄わんといてくださいよー」
遥陽はクスクスと笑い出した。僕は彼がこんな冗談を言うのを初めて見たので驚いた。少し気がしれた仲になってきたのかもしれない。
「お札は香織さんの部屋に使ってください。彼女は自衛出来ませんから」
「わかりました。では、僕は?」
「自衛してもらうしかありません。その為の鍛錬、でしょう?」
僕は身慄いする。覚悟していなかったわけではなかったが、改めて言われると少し怖気付いてしまう。
覚悟を新たにし僕は「はい」と答えた。
◇
僕と遥陽は家の前にある庭に出た。鍛錬と聞いたが実際どういうことをするのか僕には皆目見当がつかない。
遥陽は大きく伸びをしたり、身体を左右に捻ったりしている。
「えーっとー、何をするんですか?」
「鍛錬ですよ」
「それはわかってるんですけど、道具とかないんですか?」
「ないですね」
「お札とか武器みたいなものとか…」
「そんな付け焼き刃なものは使い物になりません。まずは、基本からです」
「基本…。基本とは…、もしかして…」
「ご想像通りですよ。さぁ、鍛えましょうか」
「やっぱり…」
この後、僕は地獄をみることになる…。それは鍛錬するなんて言わなければ良かったと後悔する程だった。
「では、私と同じように身体を動かしてください。指先までしっかり意識をする事が大事ですよ」
「あの、これって…」
「わかりやすく言うと体操です。身体の隅々まで意識をして動かせるようにする為のものです」
「わかりました!」
1、2、3、4…………。
「ゆっくりとした動きなのに、結構きつい…」
「慣れればそんな事もなくなります。必ず毎日続けてください」
その後、10分程度体操は続いた。僕は息が上がり身体中の筋肉に疲労感が漂っている。普段使っていない筋肉が多いことを改めて認識した。
「さぁ、次は簡単です。想像していた筋肉トレーニングです。腕立て伏せ25回、腹筋50回、背筋50回、スクワット50回。あとは、腹斜筋もやりましょう」
「それくらいなら頑張ればなんとかなりそうです」
「おぉ、頼もしい言葉ですね。これが1セットで毎日4セットが日課ですので欠かさずお願いします。まぁ、最初は控えめにしておいて、慣れて来たら量を増やしていく感じです」
「4セット…。毎日、腕立て伏せ100回、腹筋背筋スクワット200回…。さらに、慣れてきたら増えるの…。嘘でしょ…」
「さぁ、いきますよ。1、2、3…」
僕はがむしゃらに身体を動かした。遥陽のカウントに合わせて必死に動く。もう何も考えてはいなかった…。
全身から大量の汗が吹き出し、もうほとんど力も入らない。気力だけで身体を動かしていた。
僕はトレーニングとトレーニングの間でチラリと遥陽の方を見る。
彼は隣で同じメニューをこなしているにも関わらず汗一つかいていない。彼の身体は一体どうなっているのだろうか?
普段、運動をしない僕の身体は既に悲鳴をあげている…。
「…48、49、50。オッケーです!」
「はぁ、はぁ、はぁ…。ありが、とうございました」
「はい。10分休憩の後に再開しますね」
「ええっ!」
「あぁ。今のは準備運動を兼ねた筋力トレーニングです。鍛錬はこれからですよ」
僕は自由が効かなくなった身体を縁側に投げ出すとそのまま仰向けに倒れる。もうほとんど腕も上がらない。
そんな僕を見た遥陽は苦笑しながら縁側へと歩いて来た。
「今日は初日ですし、体術の説明と基本の型だけやって終わりにしましょう」
「助かります…」
「なんや、だらしないなぁー。ほら、これ飲んでシャキッとしぃ」
僕の視界にはお盆の底と二本の足がみえた。いつの間にか帰宅していた母が麦茶を持ってきてくれたようだ。
僕と遥陽は縁側に座り麦茶を飲む。全身によく冷えた麦茶が染み渡っていった。
「で、あんた突然どうしたんや?」
「何も出来ん自分が歯痒くなってん。で、何か出来る事ないかなぁと思って」
「それが、これか。遥陽さん、ええんですか。忙しいんとちゃいますの?」
「大丈夫ですよ。今一番急を要しているのはこの案件ですから」
「ご迷惑やったらすぐに言うてくださいね。護符でも作らせて何とかさせますんで」
「はい、その時は頼らせてもらいます。しかし、自分で何とか出来るようになってもらうのが一番助かるのも事実です。それに、将来の事もあ…、失礼」
遥陽と母は一瞬目配せをしたように見えた。それが何を意味するのか僕にはわからない。というより、そんな事を考えるだけの余裕は今の僕にはない。
一刻も早く体力を回復させなければならない。あと少しで鍛錬が再開されるのだから。
「といっても、今から教える型も一朝一夕で身につくようなものではありません。今の案件は札と御守りで何とかしてもらう他ないのが現状だと思います」
「まぁ、そうやろねぇ。この子、普段から運動もせんし間に合わんやろうし。それしかあらへんかなぁ」
「そうなん?」
「そらそうや。何でも継続が大事や。いきにり何でも出来たら苦労せんやろ。特にこれは特殊なことや。ホンマに覚悟持ってやらなあかんで」
「そらそやな…。遥陽さん見たらようわかるわ。息も全然切れてへんし、汗も全然かいてやらへんもんな。ここまですんのにどれだけ鍛錬が必要なんやろかと思ったわ」
僕の言葉に遥陽はニコリと笑う。母は僕の後ろで苦笑しているようだ。
「私は少々特殊なケースなので参考にはならないと思います。ですが、私が教えるメニューを毎日続ければそう遠くない未来に結果はついて来るはずですよ」
僕は経験者に言葉の重みを感じた。そして、どこからかやる気が湧いてくるのを感じた。
こんなところで心を折られている場合じゃない。僕にはやりたい事がある。その為には、どんなに辛いことであっても乗り越えていかなければならない。その為の覚悟なのだから。
僕は重い身体に気合いを入れてすっと立ち上がる。
「遥陽さん。続きをお願いします」
「はい。良い顔になりましたね」
僕たちはもう一度庭に立つ。遥陽は解説をまじえながら丁寧に型を披露してくれた。そして、一つずつ手取り足取り僕の身体に型を教え込む。
1時間ほどで一通りの型の伝授が終わった。これはあくまで基本。まだ、応用もある。符術のようなものや、それと体術の合わせ技まであるらしい。その先には遥陽との組手も待っている。
まだまだ覚える事は山積みだ。しかし、意外とこれは僕に合っていたようでやってみると楽しかった。
取り敢えず、今は目の前の事を一つずつやっていこうと思う僕だった。




