第百二十六話「視野」
(過度に恐れる必要は無いわ。全国クラスの相手とも何度も戦ってきた。私なら十分対応出来る)
アンネはこれまで練習試合などで様々な選手と対戦してきた。
時には元プロ選手などの特別コーチを招いて経験を積んできた。
この経験はアンネの強さを確実に形作っている。
(来る!)
真珠のドライブ。
フォアからクロスに放たれたドライブには非常に強い上回転がかかっていた。
普通に打ち返すのは困難だろう。
しかしアンネは手段を持っていた。
(ラケットを、反転させた!?)
紅はその技術を初めて目にした。
ラケットを親指を使って回し、黒いバック面を表に変えた。
これにより、バック面に貼っているラバーを使ってフォアハンドでの返球が出来るようになる。
打ち合いの中で瞬時にラケットを反転させるのはそれなりにテクニックが必要だが、使いこなせれば強力だ。
「ツー、フォー」
粒高を使ったフォアハンドでドライブの回転を打ち消し、隙が生じていた真珠のミドルへ打ち込んだ。
洗練された美しい動き。
アンネが培ってきた技術の結晶だ。
「粒高での返球が混ざるとやはり厄介ですね」
「考える事が多いとやだねー」
処理する情報量が多くなると反応は遅れてしまう。
強い回転と無回転を見分けながらではなおさらだ。
「すぅ、ふぅ。すぅー、はぁー」
真珠は焦らずに深呼吸する。
意図的に集中をコントロールし、体力消費を抑えるのが課題。
最大集中なら今の球も返せただろうが、それでは短期的な解決にしかならない。
必要なのは一点ではなく、一勝なのだ。
(前に出過ぎない。選択肢を自分で狭めない)
攻撃に特化すれば、隙が生まれやすくなってしまう。
今は全ての打球に反応出来るように視野を広げておくべきだ。
(また反転)
今度はバックハンドでの返球をフォア面の裏ソフトで行った。
ネット際に短く落とした下回転を真珠がツッツく。
再びラケットを反転させ、プッシュした。
無回転に近い上回転が長めに入る。
真珠は後ろに跳んで距離感を合わせる。
バックハンドの強打を打ち込むが、面の向きが完全に合っておらず僅かにアウトになった。
「フォー、スリー」
深くまで集中していない状態ではあるが、真珠が押され始めている。
このままでは本気を出す前に押し切られてしまう。
かと言って、スパートが早過ぎると最後に息切れしてしまう。
ジャストタイミングで全力を出し始めなければならない。
(今はとにかく耐える。最後に勝てば良い)
真珠の心は静かだった。
深呼吸が平静の維持に役立っている部分もある。
「エイト、ファイブ」
点差をひっくり返され、真珠が追う展開になった。
しかしアンネの勢いは止まらない。
真珠は川に流される小魚のように、抗っても抗い切れない。
(最後はこれで美しく決めてあげるわ!)
真珠が放つドライブに対し、アンネはバックハンドを振り上げた。
高い位置から切り落とすようなカットが上回転を反転させる。
ボールにより倒れた粒が戻ろうとする動きが反転を実現しているのだ。
(『ブリリアントカット』!)
理想的なスイングスピードや面の角度により、美しい粒高カットが完成する。
真珠の強烈な上回転をそのまま下回転に変えて返した。
真珠は咄嗟にブロックしたがネットにかかってしまう。
「ゲームトゥ、甲殿。イレブン、セブン」




