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カーテンコールのその後に  作者: 紺野千昭
序幕 ――始まりの日――
1/22

終幕と序幕


 空が燃えていた。


 荒野には死臭が漂い、あちこちで火の手が上がっている。

 立ち込める瘴気しょうきと黒煙の中で、一人の兵士が叫んだ。


「――アルモス団長! 全隊撤退が完了しました!」


 年のころは三十半ば。巨大な剣を携えた兵士の周りには魔物の遺骸が散乱している。


 そして兵士が呼びかける先には、もう一人の男。アルモスと呼ばれたその人物の周りにも死骸の山が築かれている。ただ兵士とは違って、アルモスの表情は穏やかだった。


「団長もお早く撤退を!」


 焦燥しきった声で兵士は叫ぶ。

 彼が視線を向けるのは、渦巻く瘴気の向こう側。そこに浮かび上がった巨龍のシルエット。それが何であるのか、兵士は知っている。知っているからこそ焦っているのだ。


「お急ぎください! 兵団にはまだ、あなたが必要だ! 足止め役は……私がつとめます!」


 そう、兵士は理解している。たった一人であの影と対峙することは、すなわち死を意味することを。


 けれどいといはしない。

 戦い、死ぬ――それが兵としての役目なのだから。


 だが、アルモスは動かなかった。


「団、長……?」


 兵士に背を向けたまま、アルモスは静かな声で呟く。


「‘団長’、か……思えば、僕はついぞその名に見合う働きをすることはできなかったね。先代の凶行きょうこうを止めることもできず、傾いた兵団を立て直すこともできず、今回も多くの仲間を死なせてしまった。すべては僕の責任だ」

「団長……何を……?」


「僕は歴代一の無能だ……けど、歴代一の幸せ者でもある。君という希望に出会えたのだから」

「待って、待ってください!」


「君は強い。これからもっと強くなる。いつか君は、歴代最強の兵団長と呼ばれることになるだろう。……これはただの勘だけどね」

「おやめください、団長! それ以上は――」


 アルモスが言わんとしていることには見当がつく。故に、兵士は必死で遮ろうとした。


 けれどそれは無駄なあがき。兵士の懸命な制止もむなしく、アルモスは一つの命令を下した。


「君が新しい団長だ――ヘクトル=アーバンカイン。……頼まれてくれるね?」


 命を賭した最後の頼み。否応いやおうなどあるはずがない。

 巨龍の影に向かって歩き出すアルモスを、兵士は止めることができなかった。


 だから代わりに、兵士はその背中を眼に焼き付ける。


 盾の紋章を背負った、死に往く男の後姿。

 それを生涯忘れまいと、心に誓って。


「生きろよ、ヘクトル。――君を必要とする者がいる限り」


 兵士は踵を返した。

 最後の命令を遂行するために。


 兵士はひたすらに荒野を駆ける。壮絶な死闘の音を背中に受けながら、それでも足を止めることなく。


「仇は必ず……必ずや、この手で――!」


 それから数十分の後、兵士は聞いた。

 曇天どんてんに轟く巨龍の勝鬨かちどき――すなわち、アルモスの死を意味する咆哮を。


 そして見た。

 遥か遠く、けぶる瘴気の向こう側。はっきりと姿を現した雄大な黒龍の姿を。


 ‘魔王’――千年も前から人間を苦しめ続ける魔物たちの王にして、全人類にとって共通の災厄。そしていつの日か、彼が打倒せねばならぬ敵。


 龍の瞳が兵士を見た。兵士もまた、魔王の瞳を見つめ返した。


 煌めく真紅の眼が語っていた。


 ――小さき者よ、いずれまたここへ来い――と。



――――――……

――――……

――……



「……だんちょう……団長……ヘクトル団長っ!!」


 耳元で発されるやかましい大声。


 夢から覚めたヘクトルは、自分が馬車に乗っていたことを思い出した。


「……いつも言っているはずだ。もう団長ではない」


 ヘクトルはゆっくり瞼を開けると、布団代わりにしていた外套がいとうを剥ぐ。その下から現れたのは、二メートルを悠に越す屈強な肉体。


 大きく隆起した筋肉が山脈をなし、刻み込まれた無数の古傷が華を添えている。この完成された体躯だけ見れば、彼が齢五十を越えた老兵などと誰も信じはしないだろう。


 ただ、年齢のためかヘクトルの巨躯には威圧感がない。たとえるならそれは、獣というより巨木や岩塊に近い静けさをまとっていた。


「はあ、良かったぁ。てっきりぽっくりいっちゃったのかと心配しましたよぉ~」


 と、そんなヘクトルに向けて安堵の吐息をつくのは、御者台に座る栗色の髪をした少女。まだ十五、六といったところだろうか。何やら無気力な眼をして二頭の馬車馬ばしゃうまを操っている。


「そんなに心配ならば言葉の方もいたわりをもってもらいたいものだな……チコ」

「まあまあ、細かいことはいいじゃないですか~。それよりも交代のお時間ですよ~」


 チコと呼ばれた少女は、慣れた様子でお小言を聞き流す。


「王都はまだですかね~」

「もう半日ほどだ。日暮れまでには着くだろう」


 そう答えたヘクトルは、懐から一通の封書を取り出した。封蝋ふうろうに印されているのは、トゥルヴィア王国の紋章。議会から正式な招集を受けた証である。


「しかし内容も伏せてなんて、不思議ですね~。秘密の指令とかかなぁ?」

「行けばわかるだろう。……それよりも、私はお前が心配だ。王都だからといってはしゃぎすぎるようなことは――」


 と、再びお小言を口にしかけたところで、ヘクトルは急に言葉を切った。


「……煙の匂いがするな」

「なっ! た、食べてません! 非常食用の薫製肉なんてつまみ食いしてませんよぉ! へ、ヘクトル団長が寝ぼけて食べちゃったんじゃないですかぁ? うちのおじいちゃんも最近よく――」

「違う、そうではない」


 ヘクトルは木々の隙間へ目を凝らす。木陰から垣間見える空に漂っていたのは、一筋の黒煙だった。


「たき火……? 焼き芋ですかねぇ?」

「いいや、あそこは街道だ。それに……火元が移動している」


 言うが早いか御者台に飛び移ったヘクトルは、チコの手から手綱を引き継ぐ。そして大きく一打ちしならせた。


「揺れるぞ。舌を噛むなよ」


 瞬間、ぐんと加速する馬車。単なる馬車馬にしては立派すぎる体格の二頭が、猛然と大地を蹴って走り出す。


 そうしてあっという間に火元へ追いついた先に見たものは、炎に包まれた暴走馬車と、それを囲むようにして追走する馬上の男たちだった。


 数にして八人、いずれも真っ黒な覆面を被っている。――紛うことなき盗賊団だ。


「――どうどう、どうどう!」


 燃え盛る馬車上では、御者らしき男が必死で手綱を引いていた。けれど、炎に怯えた馬たちは一向に速度を緩めようとはしない。


「チコ――少しの間、こっちを頼む」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 チコの返事を聞くなり、ヘクトルは馬車を引く二頭のうちの片方、熊ほどもある大きな黒馬へ飛び乗る。そして間髪入れずに馬車と接続していた綱を引きちぎった。


「……ゆくぞ、カサントス」


 林道に轟く大きないななき。くびきから放たれるや否や、漆黒の駿馬しゅんめは蹄の音も高らかに駆け出す。


 無論、盗賊団がその気配に気づかぬわけがない。ヘクトルの接近に気付いた途端、しんがり役の二人がすぐさま標的を変えた。素早い連携でヘクトルを挟み込み、左右から同時に槍を突き出す。――その二本の槍を、ヘクトルはそれぞれ片手だけで掴み止めた。


「くっ……!」


 二人の額に汗が滲む。それは槍による挟撃を防がれた焦りとは違う。彼らが恐怖したのは、どれだけ力をめようと掴まれた槍がびくともしないことだった。


 馬上という踏ん張りの利かぬ場所で、二人分の全力を受けながらなお微動だにしないヘクトル。そして老兵が僅かに力を込めた瞬間、二人の男の体は羽毛のようにぽーんと宙を舞った。


 常識を遥か逸した馬鹿力。ここにおいて、残った六人はヘクトルの脅威に気付いた。慎重に間合いを取りながら、六人がかりでヘクトルを包囲する。


 相手がどんな手練てだれであろうと、六人が連携すれば勝機はある。――浅はかにもそう考えていた彼らは、すぐさま思い知ることになる。圧倒的な怪力の前には、戦略だの連携だのといった小賢しい技術など何の意味もないということに。


「――ふん」


 ヘクトルがやったことといえば、ただ一度大きく槍を振るっただけ。たったそれだけで、尋常ならざる暴風が巻き起こる。野盗たちは咄嗟に馬にしがみつくも……その馬ごと吹き飛ばされたのではどうしようもない。


 ――林間に響き渡る男たちの悲鳴。盗賊団は純然たる腕力のみで撃退されたのだった。


 そんなある意味で残酷な戦闘を終えたヘクトルは、何事もなかったかのように馬車を追いかける。そして燃え盛る馬車の後部をむんずと鷲掴わしづかみにすれば、数秒と経たず暴走馬たちの足が止まった。


 そうして息一つ切らさずに、ヘクトルは追いついてきたチコへ声をかけるのだった。


「……ご苦労。もういいぞ」

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