'神樹の勇者'
「――いや~、にしても強いねえ、アンタ!」
御者台の上で、男は興奮気味に笑った。
「おれぁびっくりしちまったぜ! 「あっ!」ちゅう間に盗賊どもみーんなやっつけちまうんだもんな!」
と、言葉の端々に含まれているのは田舎特有の訛り。
赤ら顔のこの男は、襲われていた馬車の御者である。使い物にならなくなった馬車を捨て、積荷ともどもヘクトルたちの馬車へ移ってきたのだ。手綱をとっているのはせめてもの恩返しということらしい。
「まさしく獅子奮迅の如しっ! ってもんよお! うえっへっへっへ!」
「いえ、大したことではありません。神の御加護があったお陰でしょう」
ヘクトルはやや恥ずかしげに首を振るが、御者のテンションは下がらない。
「へへ、ご謙遜ご謙遜! どう見たってアンタ、そのもりもりの筋肉のお陰よ! やっぱりあれかい? 兵士のお方なのかい?」
その問いかけが出るや否や、チコが横から首を突っ込んできた。
「ふっふ~ん、その通りですよぉ! 何を隠そうこのお方こそ、かの対魔王討伐諸王国連合兵団第九十九代団ちょ――」
と、何やら自慢しかけたところで、ヘクトルが静かに遮った。
「――チコ、よしなさい」
「むー、いいじゃないですか、ケチぃ……」
「へえ! 最後の方はよく聞こえなかったが……アンタ、元連合兵団なんだって!? うんうん、なーるほど、合点がいったね。そりゃ最近のなよなよした若造兵士とはわけが違うってな!」
『なよなよした若造兵士』に該当している自覚があるのか、チコはぎくりと肩を揺らす。
「昔の話です。今はメウリナ地方の辺境警備をしているただの老いぼれですよ」
「メウリナぁ? あーんな荒地だらけの場所にかい? アンタ、上官から嫌われるようなことでもしたんじゃないのお?」
「ははは、そうかも知れませんね……」
御者の言葉には遠慮というものがない。
「んまあ、俺の田舎も畑しかねえけどよ、うっひっひっひ」
笑いながら、御者は後ろに積んだ麦の袋を指差す。恐らくは納税のため王都へ向かっていたのだろう。
「しっかし、今でも兵士やってるってことは、アンタ兵団解散までずっといたってことだろ? ……じゃあよ、もしかすっと、会ったことあるのかい? あの――‘神樹の勇者’様に?」
ほんの僅かな間の後、ヘクトルは首肯した。
「……ええ、まあ」
返事を聞くなり、御者は大げさに歓声を上げる。ヘクトルが元兵団員であったことを知った時よりも、ずっと興奮しているようだ。
「おおー!! そりゃすげえや!! ……なあなあ、勇者様が神樹から生まれたってのは本当なのかい? イカイショウカンジュツだとかなんとかいうので呼び出したとかって!」
「そうですね……魔術の心得がないもので、仔細については存じぬのですが……神話の時代からあるとされる神樹を供物とし、異なる世界から召喚したのは確かです。この世に二つとない魔力の結晶たる神樹を捧げるわけですから、慎重に慎重を期し、儀式の際には兵団でも選りすぐりの魔術師が七百人も動員されたと聞きます」
「ほあー、別の世界からなーんて、おれにゃあ想像もつかねえや! それじゃああっちの噂も本当なのかい? ほら、異世界の魔法で天変地異を操るとかって。どえらく強かったんだろう?」
「むー、大したことないですよぉ! 団長の方が断然――」
と反射的に張り合おうとしたチコは、横から聞こえた咳払いで口を閉じた。
「コホン……失礼。勇者様のお力は、一度だけ拝見したことがあります。姿かたちは同じなれど、あの方の力は人間を遥か凌駕していました。まさしく神樹の化身、神の御業です」
「ほえー、神の御業たあ、そりゃ大層なこって!」
御者は感嘆の声を挙げると、うんうん、と一人で頷いた。
「なら、あの憎たらしい魔王をたった一人で倒しちまったってのもうなずけるな!」
‘神樹の勇者’――八年前に召喚され、僅か五年の一人旅の末、太古の昔から人類を苦しめていた魔王を打倒した異界の者。
兵団が千年の時間と数多の犠牲を払ってなお成し遂げられなかった人類の悲願を、たった一人で果たしたその者は、役目を終えると共に消え去った。今や知らぬ人間はいない、世界で最も新しく、最も偉大な伝説である。
「世界の危機に颯爽と現れ、魔王を倒したらどこへともなくそっと立ち去る……かー! 漢だねえ、勇者様ってのは! いやー、勇者様が帰還する前にひと目見てみたかったな~」
話を聞いた御者は満足顔。直接勇者を見たことがないからこそ、彼の中では神格化されているらしい。対して、何が気に食わないのかチコは膨れ面を浮かべている。……そしてヘクトルはというと、頑ななまでの無表情だった。
「ちょっと前にゃうちのガキも勇者様勇者様で大変だったんですよ。将来は自分も勇者になるとか言っちまって。もっとも、『魔物一匹見たことねえ癖に、なーに寝ぼけたこと言ってんだ!』ってカミさんにどやされてましたがね。はは、女ってのは現実的で怖いねえ」
「魔物を知らぬ世代が増えるのはむしろ喜ばしいことです。我々は、そのために戦っていたのですから」
「うーん、アンタ兵士の鑑だよ! 勇者様に次ぐナンバーツーってやつだ! このおれが保証しちゃうよっ!」
と、上機嫌に笑った御者は、一転してしみじみと空を見上げた。
「いやー、しかしあれだねえ。魔王がくたばったお陰で、ほんと平和になったもんだ。ちょっと前までは、こうしてあがりを納めに行くにも槍だのなんだの持ち出さなきゃならなくて大変だったってのに」
兵団の主要任務は人間領の守護。防衛線自体は敷かれていた。ただそれでも、偶発的な魔物の侵入すべてを防ぐことはできない。故に、外出時には農民や商人も自衛する必要があったのだ。
無論、それは魔王が死ぬまでの話ではあるが。
「ただなあ、やっぱ餓鬼の頃からの癖でよ、時々魔物が出ないか不安にもなっちまうんだよなあ」
「はは、お気持ちはわかりますが……それは無用な心配です。どんな種類の魔物であれ、やつらは魔王の肉体から放たれる‘瘴気’の中でしか生きられません。魔物にとっての瘴気とは、我々にとって空気のようなもの。何度も遠征を繰り返し、魔物の生き残りがいないかも調査しました。魔王の死骸自体は未だ濃い瘴気を発生させていますが……それも人里から離れた山中で各国の優秀な魔術師たちが封印・管理しております。ご心配には及びませんよ」
「ほええ、アンタ詳しいね! さっすが元兵団のタフガイだ! まあもしもの時は、また勇者様に来てもらえば大丈夫だしな!」
御者は気楽に笑うが、それが不可能であることをヘクトルは知っている。
魔王討伐と同時に勇者は元の世界へと帰還した。呼び戻そうにも、供物として捧げた神樹は世界に一本しかなかった貴重な代物。魔王と同等の魔力を有するとさえ言われていた神樹の代替品など、この世にはもう存在していない。
勇者召喚とは、人類の存亡を賭けた一度限りの大博打だったのだ。
「つってもよお、今回みたく人間に襲われちゃあかなわねえよな。……おお、そうだ、アンタ知ってるかい? 最近盗賊がやたら増えてるらしくってさ。魔物がいなくなったお陰で、悪党共も活動しやすくなったんだと。やれやれ、魔王の次は人間なんて、シャレにならないぜ」
と、そうこうしているうちに、森の向こうに巨大な城塞都市の輪郭が浮かび上がって来た。
御者も心待ちにしていたらしく、大きな声で二人に知らせる。
「おっ、見えてきたぜ、我らが王都テウクロイだ! ひー、助かった。ケツが痛くなってきたところだったんだ。……なあ、ところであんたらこの後どうする予定だい? もしよければどっかの酒場で一杯どうだ? おじさん、おごっちゃうよ?」
「えっ!? 本当ですかぁ?」
おごり、という言葉に目を輝かせるチコ。そんな従者にしかめ面を向けながら、ヘクトルは丁寧に辞退した。
「いえ、申し出は大変ありがたいのですが、あいにく用事があるもので」
「なんだ、そりゃあ残念。でも、あんたらに会えて良かったぜ。命を救ってもらったばかりか、勇者様のことまで聞かせて貰えた。いい土産話ができたよ! 達者でな!」
そうして到着した門外の馬車小屋。御者は手を振り振り去っていく。
その背中を見送った二人は城下町へと歩き出した……のだが、折角都会に来られたというのに、チコは頬を膨らませてご機嫌斜めの様子。おごりの話がふいになったから気分を損ねている……だけではないらしい。
「……チコよ、年頃の娘がそんな顔をするでない。余計に幼く見えるぞ」
「だってあの人、勇者勇者って! 私……は、まあ戦ってないですけどもぉ……でも! 兵団だってみんなのためにずーっと頑張ってきたじゃないですかぁ……! それなのに、魔王が死んだらすぐ解散されちゃうし……なんていうか、待遇の改善を要求しまぁす!」
「そう言うな。連合兵団はそもそも、魔王に対抗するため国境を越えて作られた組織。その役目が終わったならば解体されるのは当然であろう。それに、兵団の皆にも帰るべき祖国がある。むしろ喜ばしいことではないか」
「でもでも……もうちょっと私たちに対するねぎらいみたいなのあっても良かったじゃないですかぁ? 一生懸命戦ってきたのに、あっさり解散だなんて。どこに行っても、最後にちょっと出てきただけの勇者様ばーっかりちやほやされて……私、納得できませんよぉ……」
寂しげに愚痴るチコを、ヘクトルは辛抱強く諭す。
「勘違いしてはならぬぞ、チコ。我々の本懐は人々が魔物に脅かされぬ世を作ること。誰の手であろうと、それが遂げられたのならばこれ以上の喜びなどない」
「団長はいい子すぎますよぉ……ぶー!」
なおも不服そうな従者に、ヘクトルは溜め息をついた。
「道中、露店で何か買ってやるから、王城に着くまでには機嫌を直せ。そのような顔で女王陛下に謁見するわけにはいかぬからな」




