25. 疑問だった
「なあ、○○。崖から落ちて、大丈夫だったのか?」
自分の事を、○○と呼んでいる。それの意味までは分からなかった。
後頭部を擦ると、未だに強い痛みを感じる。
「頭でも打ったのか」
そうだ。喉を鳴らすと、刃持ちが驚いた。
草食獣は、眼を閉じて熱い水に浸かっているままだ。
「……俺の言葉を、理解してるのか?」
もう一度喉を鳴らすと、刃持ちは声を上げて笑った。
「あっはっは。まさか、言葉が通じるようにまでなったとは、いやあ、嬉しいな。
俺は見ての通り腕を一本折っちまったし、お前は頭を打って暫くはそう激しい運動は出来無さそうだし、これから暫くどうなるか全く分からなかったからさ、でもな、お前が俺の言葉を理解出来るなら、色々お前に聞いたり出来るしな。退屈しねえぞこれは」
刃持ちも体はぼろぼろだったのに、それに似合わない陽気な声だった。
「なあ、黒い**と**の*のお前。
俺達はお前の事をアルトスタと呼んでいる。お前が俺の声を分かる事も知ってるし、**が居なかったら俺を迷わず殺そうとしていたのも分かってる。
……そう**するなよ。俺はもう、強い**をお前等に抱けない。
俺達の**は、そりゃお前等の**に沢山殺されて来ただろうし、同様にお前等の**を殺して来たんだろうが、別に俺は何もされてない。それに親から教わった***はこいつ、○○に取っ払われちまった。
何も知らないらしい○○にな」
分からない声がまだまだ沢山あった。草食獣の事を刃持ちはアルトスタと呼んでいるらしい。
そして、刃持ちとアルトスタ達は元から殺し合って来たらしい事位しか分からなかった。ただ、それは自分と刃持ちみたいな殺し合いではない気がした。その声は、真剣な声だった。
「……ただな、もう、俺達とお前等は、分かり合えないんだろうな。
殺し過ぎたし、殺され過ぎた。俺達が**になって*を越えて逃げても、お前等は追って来た。
俺達は逃げながらお前等に**する*を今も考えているし、お前等はそれが出来る前に俺達を**させようとしている。
どっちかが**しない限り、終わらないよな」
アルトスタはじっと動かないまま、聞いていた。
温泉とやらに浸かったまま。傷に染みもするが、こんな心地良いものに浸かっているのに、刃持ちはアルトスタに真剣に話していた。
そして自分は、○○は、離されていた。話されている事は深刻な事のようだった。自分は何も知らなかった。
「……まあ、な。ここから先へ、○○と一緒だろうと行けば、俺は多分、そうなるだろうな。
○○も俺も、頭打って指一本無くして、腕折って、それでも決着は付かなかったしな。……いや、俺は……」
そこで、刃持ちは喋るのを止めて、自分の方を見てから、空を見上げた。
さらさらと、雨が降り続いていた。
頭痛が収まるまで、また刃持ちの折れた腕が治るまでの時間は、結構長いものになりそうだった。
刃持ちはアルトスタと話す事も多かった。自分が来れば、口を噤む事があった。
自分には聞かせたくない事がある。
それは何なのだろう。力づくで聞こうとすれば、多分、今は出来るだろう。
片腕が使えない刃持ちと、指は一本失ったものの、四肢はもう満足に動き、頭痛がするだけの自分。今は、刃持ちを簡単に倒せるだろう。けれど、それはしたくなかった。
そういう意味では自分は勝ったのかもしれない。ただ、勝ったかもしれないと言って殺すべきだとは思いたくなかった。
殺したく、なかった。
単純にそれもあった。また、自分が気絶している最中にメニクスタが居なければ刃持ちは自分の所まで来て殺せたのかもしれない、という可能性もあった。
勝ったのかもしれないし、負けたのかもしれない。結局の所、いつも通りの引き分けではないけれど、引き分けなのだろうとも思っていた。
刃持ちが袋から小さな赤い粒を取り出して、飲んだ。砂の大地で、自分と戦った後日に飲んだものと一緒だろう。
それは、体調が優れない時に飲んでいるみたいだった。
……。
互いの傷が治るまで、ただゆっくりと過ごした。
その間、刃持ちは、色々と話をしてくれた。
自分から特に何もしなくとも、単純に話す事が好きらしい。
自分達は刃持ち達から、ヴルグスタという種族名で呼ばれている事。白青混じりはトルクスタ。赤い鳥はメニクスタ。草食獣はアルトスタ。
そして、刃持ち達の祖先は、もっと沢山の自分のような種と殺し合いをして、負けて逃げて来たのだと。そして今も追われていて、それに反撃する為に策や道具を作っている事も。
「はっきり言うぞ。時間を掛ければ、お前が石を投げても届かない距離から***に殺せる物も作れる。大量には作れていないけどな」
その容赦ない言い方に、背筋が凍った。
「俺達もこのアルトスタ達も、そうやって殺し合って来た。
俺達は、時間を掛けて作った物で、遠くから沢山殺した。アルトスタ達は、空から、水中から、**から、**から、**に殺した。
それが今でも続いている。
俺は、生まれてからずっと、戦う方じゃなくて、逃げる方向を探す方に居た。戦いながらも、時間を稼いでお前等を皆殺しにする道具や策を考えている訳だ。
そして、アルトスタ達は、そうされる前に俺達を皆殺しにしようとしている」
自分は、何も知らなかった。父、母はそうして殺して来たのだろうか? それとも、自分と同じように何も知らなかったんだろうか。
「ただ、お前は俺を**んでいるか?」
肝心な部分が、まだ分からない。返事をしないでいると「そうだろ」と、勝手に肯定された。
「俺もお前を**んじゃいない。**んでいたら、こうやって一緒に歩いたりしてない。隙あらば常に殺そうとするだろうしな」
ただ、言いたい事は何となく分かった。
刃持ちも自分も、互いに強い敵意は抱いていない。
考える時間がたっぷりあった。指が一本無くなった左腕に慣れる時間でもあった。幸い、切られたのは一番細い指だ。違和感はあれど、物を掴んだり、投げたりするのにそう支障はない。
石を拾って、投げた。狙いより少しずれ、木に当たって表皮が剥げた。
……自分と刃持ちは、生物の中でもとても強い方だと思っていた。けれど、それは違う。
刃持ち達は、自分達を簡単に殺せる物を持っている。それが、一番衝撃だった。
そんなのと、アルトスタ達は戦って来た。ただ刃持ちは、そんな物持ってない。刃持ちは自分を舐めていたのか? いや、そんな風では無かった。
そうは言えども、どうして使おうとも思わなかったのだろう。あの砂漠の場所で、他の誰かが自分を殺そうとする事も可能だったんじゃないか?
もしかして、自分は刃持ちに、気付かない内に守られていたのか?
それに気付いた瞬間、自分のやっている事が途端に虚しく思えて来た。
そしてまた、自分が同じように刃持ちを守った事があるのにも気付いた。白青混じり、トルクスタを、眠らせた事は、もっとはっきり、刃持ちを守った事だった。
……。
そうだ、自分と刃持ちの目的は、そういう事じゃない。ただ、何でも使って利用して、上回る事じゃない。
互いに、自分の力だけで、互いを越えようとしている事だ。
その為には、自分にとって後悔するような事も多少やってきた。
そうだ。それだけだった。
長く歩いて来た。色んな物を見た。自分から刃持ちの方を離れて行った。けれど刃持ちは、その越えようとする思いが自分より強かったのだろう。だから追って来た。刃持ちの話を聞いて、それはもう、確信出来る事だった。
色んな事があって、一番最初、森の中で戦い続けた時の目的が、薄れていた。
決着が付くまで、それは終わらない。刃持ちか自分が、越えるまで、負けるまで、終わらない。それが邪魔されるなら、守る事だってあるだろう。
それは、当たり前だ。
刃持ちが、持っていた一本の曲がった刃を名残惜しそうに見ていた。自分が最後に投げた岩が、その刃を曲げたらしい。
「……」
ぼそぼそと、自分に聞こえない程の声で刃持ちが呟いていた。
刃持ちの腕は治りかけていた。自分の頭も、もう頭痛はしない。もうそろそろ、ここから更に先に行くだろう。
刃持ちがアルトスタだけに話していた内容は、分かる事が無かった。
敵同士、何を話していたのか。何故、自分には話さなかったのか。
こっそり聞こうと思っても出来なかった。アルトスタさえもが、自分が聞こうとする事を妨げていた。
聞いたら、きっと自分が後悔する事なのだろう。
ただ、どの位? 自分と刃持ちの関係が崩れる程に?
それを秘密にされたまま、これからも歩いて行くのだろうか。これからも戦っていくのだろうか。
ずっと秘密にされるのだろうか。
刃持ちがその曲がった刃を乾燥させた毛皮に包んで、腰に付けた。
その姿には、何か後ろめたさがあった。




