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26. 悲しかった

 刃持ちの腕が治り、自分の頭も治った。頭を触れば傷跡は残っているものの、痛みはもう無く、指の傷跡も塞がった。刃持ちの折れた腕も今は何の問題も無く動いていた。

 雨が降りしきる中、そろそろ行こうという雰囲気になっていた。

「また、今から戦っても良いんだがな」

 あの場所で、と刃持ちは治った腕で崖の上を指してそう言った。

 いや、それより別の所で戦いたい、と思った。……死に急ぐ必要は無いじゃないか、と思ったのもあった。

 あの場所でまた戦えば、自分の腕が一本無くなるかもしれないし、刃持ちも更に酷い怪我を負って、そしてまた引き分け、何て事も有り得る気がした。

 喉は鳴らさなかった。

「明日辺り、行くか?」

 喉を鳴らした。アルトスタは特に何も反応しなかった。


 連なる山を越え、谷を越え、また山を越えて歩き続けた。

 雨が降り、地面が揺れ、火山の煙の、硫黄というらしいその臭いが時たま風に乗って流れて来た。

 刃持ちの言葉を聞き取れるようになったとは言え、やる事は変わらない。歩き続けて、互いにそういう気分になったら戦う。それを繰り返していく。

 どちらかが勝つまで、どちらかが負けるまで。

 ……その思いが強くなっているのは、否めなかった。

 ずっとただ、歩いて行きたい。この関係を続けて行きたい。殺したくない。

 勝つだけで、殺さなくても良いじゃないか。負けたら、刃持ちは自分を殺すのだろうか。

 殺さなければいけない理由何て無い。殺さない理由はある。

 ただ、殺さなかった、殺されなかったとしても、今の関係は崩れるだろう。殺さなかった、殺されなかったとしても、こうやって歩き続けられるかは、分からない。

 殺した方が良かったと後悔する可能性も、ある。

 選択しなければいけない時は、その内来る。

 勝った時、そして命を一方的に奪える時、自分は迷う。崖の上で戦った時、勝ったと思った時、体も思考も一瞬止まった程に迷ったのだから。確実に、迷う。

 どうするか、その時になってみないと分からない。刃持ちも、それは同じだと思う。


 何度目か、山を登り切り、そして目の前からは今までに嗅いだ事の無い匂いがした。

「潮の匂いだな」

 潮?

「……行ってみれば分かるさ」

 刃持ちの口数は、少なくなっていた。言葉を理解出来なかったとしても分かる。陽気さが薄れていた。

 どうも、アルトスタと会ってから様子はおかしいままだった。


 ざり、ざり、と山頂の寂しい砂利の地面を歩く。ひゅるるる、と目の前から吹く風には、潮という臭いがしていた。

 近くにあった岩に腰掛けた。少し疲れた。戦う気分では無かった。長い時間を傷が癒えるのに使い、単調に狩りしかしていなかったのに、体は戦いを求めていなかった。刃持ちのその異変が、自分を戦いへ誘わなかった。

 刃持ちも岩に座って、先を見て、空を見た。やっぱり、おかしい。

 物思いに耽っている。石をこっそり拾えばそれには反応したものの、投げ捨てればまた空を見ていた。

 山の先の光景を見る。山はもうこの先には無く、木も疎らになっていた。

 見える川は遠くに行くに連れて、今まで以上に幅が広がっていた。刃持ち達の住処がその川沿いに大きく、一つあった。容易にはその中へ侵入出来なそうな作りで、その周りは何故か全体的に焼け焦げていた。

 その上空には赤い鳥、メニクスタが数羽居た。自分からだと点にしか見えないが、きっとそうだろう。この距離だと自分と刃持ちには気付いていないのか、来そうな様子は無かった。その場所を監視しているように見えた。

 近付かない方が良いな。

 刃持ち達と、自分達が知らない所で大規模に殺し合いをしている何て知りもしなかった。あの場所もそうなのかどうか分からないが、メニクスタがその上空を監視しているように飛んでいるのを見ると、多分そこをメニクスタや他の仲間達が落とそうとしているのだと思えた。

 ただ、今、そんな事には関わりたくもない。放っておけば自分達は滅せられてしまう、だから先に滅さなければいけない。そんな重大な事であろうとも、刃持ちとそういう敵の関係にはなりたくなかった。恨みも何もない。そう、憎んでいる訳じゃない。

 そして、その互いに憎み合っている場所に行ってしまったら、今の関係は貫く事は出来そうに無い気がした。


 夕方に山から流れ出ている川の源泉まで行き、それを越えた。

 ここから先は、暫く刃持ちの種族にも、自分のような種族にも会いたくはない。

 かなり大きく迂回するつもりで、もう数日は山なりに歩こうと決めた。

 獲物を狩り、刃持ちと食べる。それから、その集落の方を視界が通る場所から見ると、炎で照らされていて良く見えた。

 刃持ちも隣に居た。

「……お前達が攻めて来るのは、大抵夜になってからだ。目に頼らなくとも鼻が利く奴も多いし、空からメニクスタが軽い奴、例えばトルクスタを連れて、壁を越えて内側から殺そうともして来たりする。

 多分、今日も始まるぞ」

 そう言った途端に赤い閃光が見え、少し遅れて、どん、と強い音が聞こえて来た。

 何をしたのかは、この暗闇では分からない。けれど、刃持ち側が攻撃を仕掛けたのだとだけは分かった。

 続いて閃光が何度も見え、音が遅れて何度も聞こえて来る。

 火が撒かれ、仄かに住処の周りが明るくなる。倒れている獣が数匹居た。動ける獣はすぐさま光から逃げた。

 思わず身を乗り出し、次の瞬間また閃光が見え、獣達の数匹が吹き飛んだ。

 ……口が開いていた。

「これが、お前達と、俺達の、殺し合いだ」

 刃持ちはとても冷静な声だった。

「どうしてここまで互いを憎んで殺し合うようになったかは、もう誰も分からない。

 だが、もう止めようもないのは、これを見れば分かるだろ?」

 この数瞬で、どれだけ殺されたのだろう。食べる為に殺す訳でもなく、沢山死んだ。

 殺されない為に、殺している。それは当たり前の行為だと思ったが、その目の先で起きている光景は、当たり前じゃなかった。

 沢山のメニクスタ達が空から一気に攻め始めた。数匹のメニクスタに乗って、別の獣達も住処の中へと侵入しようとしていた。

「……決めに来ている」

 刃持ちの声には緊張が走っていた。

 音が鳴り響く。閃光が弾ける。炎が広がる。攻めたメニクスタ達が空に戻って、そしてまた空襲を仕掛けていた。けれど、見るからに最初より数は減っていた。

 この遠くから見る光景は、そんな事しか分からない。けれど、あの場所でどういう事が起きているのかは、かなり想像が付く。

 血が噴き出しても、死ぬ直前まで戦おうとしているだろう。容赦なく、迷い何て無く、沢山殺し、殺されているだろう。

 自分が刃持ちに抱くような敵意何て、誰も持っていないだろう。憎しみ、焦り、殺意、そんなものばかりだろう。

「……あっ。ああ」

 刃持ちが項垂れた。自分がすぐ隣に居る状況で、今なら簡単に叩き潰せそうだった。

 そして、目の先では、一か所から自分達が住処へとなだれ込んでいた。

 その場所で閃光がより一層激しく光った。けれど、その勢いは止められそうになかった。死にながら、犠牲になりながらも、刃持ち達の住処へ入って行った。

「こうなったら、俺達は何もかも捨てて馬で逃げるしかない。けれど、逃げれるのもほんの少しだ。

 後は、全員、殺される。ここでは、俺達が負けた」

 自分達が勝った。

 閃光の数、こっちまで届いて来る音の数は、確実に減って行っていた。それからも明らかだった。

 けれど、喜べはしなかった。何か、悲しかった。

 刃持ちが、自分に寄り掛かった。

 今まで、そんな事して来なかった。あくまで戦う関係だったからだろう、体に触れたりする事、ましてや体重を自分に預ける事何て、刃持ちはして来なかった。

 驚きながらも、自分の腕に寄り掛かった刃持ちには、何もしなかった。何も出来なかった。

「……温かいよな。お前は」

 刃持ちは、自分以上に悲しく思っていた。

 刃持ちの強い動悸が、はっきり伝わって来ていた。

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