白雪姫はすごく可愛い
おはようおはよう、と元気よく挨拶しながら教室に入ると、友人の一人である金谷真希子がうんざりした様に顔を上げた。
「おはよう千倉相変わらず暑苦しい」
「第一声がそれかい」
「マキちゃん、いい加減に朝一でそれやめなよ。梓だって傷つくよ。人間だもの」
横から真希子をたしなめたのは席の近い一色孝行で、二人とも千倉と仲が良い。
「梓も気にしないでね。そろそろ涼しくなってきたからみんな梓を恋しがる季節だよ」
「え。孝行それ本気でフォローとして言ってる?」
千倉の質問に一色は目をぱちくりとさせる。
「え? どういう意味?」
「……いいや」
フォローの方向性がいまいち嬉しくないのだけど、本人が善意のつもりなら致し方ない。
「いいの?」
「いいや」
「そっか。じゃあいいや」
一色はいつもの執着のなさでそのまま話題を流してしまう。千倉はため息をついて一度だけちらりと一色を見る。特に目立ってかっこいいというわけではなく、平均的に平均的な同級生。千倉とは対照的に線は割と細くて頼りない印象はやや受ける。性格はお人よしで優しい。ちょっと流されやすい。今のところ、彼女なし、の筈。
「一色のギゼンシャめー」
真希子は膨れ面をして、一色を非難する。
「私は毎日こうやって千倉に指摘する事で千倉が改心する事を願っているのだよ」
「マキちゃん、それは梓の自由だよ」
「あたし向上心ないヤツって見てて苛々するんだよねえ」
「そうじゃなくたってマキちゃんいつもイライラしてんじゃん」
「言うね、孝行」
千倉は鞄から菓子パンを取り出しながら一色に言う。
「真希子と戦うなんて」
「え? 俺、戦ってる?」
「戦ってる戦ってる。ありがとう私の為に」
と案外結構本気を込めて言ってみる。きっと伝わりもしないけど。伝わったって困るけど。そのまま、チョコレートディニッシュにかぶりつく。
「うわ。千倉あんたそれ、朝ごはん?」
「え? ううん。朝は朝で食べてきたよ?」
「え? じゃあそれは?」
「遅刻しそうで走って来たらお腹減っちゃって。急いで購買で買ってきた」
言ったら真希子は非常に大きなため息をついた。
「改善の余地無し!」
「えー?」
「運動部の男子中学生だって2限目くらいまで我慢するわ」
「流石に俺も朝からそれは重いなあ」
一色までちょっと困った顔で割と真希子サイドに立つ。
「孝行はどっちにしろ小食じゃん」
「いやあながち問題はそれだけじゃ……」
真希子だけでなく一色にまで引かれてちょっと悲しくなった千倉だが、それでも菓子パンを食していると、突然ガン、と背後から頭を殴られた。
「痛っ!」
千倉は思わず菓子パンを取り落として、頭を抱えた。それくらい、本気で痛い。
「なにー!? 今の。超痛い……」
頭をさすりながら背後を振り向いて硬直する。そこには、恐い顔で千倉を見下ろす黒須の姿があった。前で握り締められた右手を見て察するに、千倉の頭に当たったのは黒須の拳骨だ。
「よう、おはよう。トン倉カツ子ちゃん」
「いやいや何そのなんにもかかってない面白くもない失礼なネーミング」
「そうだよな。失礼だよな豚に。豚だってきっとお前よりは忍耐力と記憶力があるもんな」
「そうですかね?」
千倉はちょっと椅子を黒須とは逆に引きながら、逃亡を試みる。だが、次の瞬間にはがしりと両肩を掴まれて行動を阻まれてしまう。綺麗な顔が千倉の眼前、3センチほどのところに突き出されて、イケメンはどうせ望みがないから元から射程範囲から外している千倉でもちょっと一瞬だけ何かぐらつきそうになってしまったほどだ。ほどだが、それはこの際関係がない。問題なのは今現在すごい剣幕でまくし立てられていることだ。
「お前はアレか? 鶏か? チキンか? 三歩歩いたらもう忘れるのか? 昨日の今日で、しかも朝っぱらからコレたあどういう了見だ」
「いや、お腹減ったなぁ、と思って」
正直に言ったら肩に食い込んでいた指がますます肉にのめりこむ。痛い。普通に。
「お前、昨日のただの俺の脅しだと思ってる?」
「うっ……」
実は思っていた。黒須はちょっとカッとなって言っちゃっただけだ。どうせ明日になれば自分の事なんてまたアウトオブ眼中だ、くらいに思ってた。まさか朝一でチェックしに来るとは。はるばる7組まで。
「……わざわざ出張チェックご苦労様です」
「そうだな。苦労の甲斐があってさっそく違反者見つけて大手柄だよ」
苦し紛れにちょっと話題をぶれさせてみたら、イラっとした顔をされた。
「ぎゃあ! ややややばいって黒須君! ホント、骨砕けるって」
さらに強まった指の力に千倉は観念して悲鳴を上げた。
「ごめんごめん! もう今からホント、約束守るから堪忍してー」
言うとちょっと指の力は弱まったけれど、いまだ手は離してくれない。
「俺は一回しか見逃さないよ?」
言った顔は結構本気で凄味のある顔だった。
「……はい」
思わず敬語で返事をしたらようやく腕から指が外れた。
本気で痛くてちょっと涙目になってさっきまで掴まれていた腕をさすりながら睨んでやるけれど、黒須はもう元のひょうひょうとした様子に戻ってちょっと呆れたように言う。
「にしても、骨砕けるって? 指に骨が当たった感触が一向にしなかったんだけど。……まあ、さわり心地は悪くはないけどさ。柔らかくて」
「二の腕の感触って胸の感触と同じって言うよね」
横から本気で余計な事を言ったのは一色だ。
「マジか!?」
初耳だったらしく、黒須は初対面であろう一色の方を向く。
「マジかは知らないけど、都市伝説?」
「へえ。知らんかった。良い情報をありがとう。ありがとう」
(アホか……)
呆れた顔で眺める千倉を見下ろして、黒須は自分の掌を一度見て、また千倉を見て。
「……まあ、柔らかさだけは合格だな」
「アホかーーー!!」
先ほど心の中でだけ言った台詞を、今度は口に出してちゃんと言った。
「すごいじゃない。あの黒須君に胸揉まれるなんて一生に一度あるかないかのラッキーとして甘受するべきよ」
「揉まれてないし!」
慰める気はゼロな真希子にとりあえずなんとしてもそこだけは、と千倉は訂正する。一緒に昼食を食べていた友人の小春がまあまあ、と珍しく熱くなった千倉をなだめた。
「まあ、揉まれる揉まれない、はともかく、あの黒須君とあんなに接近できたのはラッキーじゃないかな。みんなに羨ましがられるよ」
「別にラッキーじゃない。黒須君なんて射程範囲外だもん。雲の上の人よりも堅実に手が届く人の方が嬉しい」
「梓、結構現実的だよね……」
「堅実に手が届くって、あんた今の体重じゃ結構ランク下の方になるわよ」
ずけずけと言い放つのはやはり真希子だ。
「あ。でもそっち専門の人って世の中に一定数いるからなあ」
「真希子……」
小春が呆れたように、諌める声を出すけれど、流石の真希子はどこ吹く風だ。
(まあ、おっしゃる通りなんだけどさー)
千倉はお弁当を食べながら内心で考える。今の自分の体重を考えるに、学校のほとんどの男子生徒から自分は「そういう対象外」として見られているんじゃないかと、時々考える事はある。例えばそう、一色だって、別に特にもてる訳でもカッコイイわけでもないけれど、それでも今の千倉にとってはハードルが高いのだ。
ちょっと暗い気分になりながらもしっかりとお弁当をつついていると……お弁当は間食じゃないから、きっと黒須との契約違反にはならないはずだ。例え、それが普通は男子生徒用と称される大きいお弁当箱で、しかも二段のうち一段はみっしり白米が詰まっていようとも。とにかく、お弁当を食べていると、小春が「あ」と呟いてちょいちょいと千倉の制服の袖を引っ張った。
「白雪姫だー。相変わらず可愛いねえ」
千倉が言われた方を見ると、丁度戸口に立っていた白雪姫と目がばっちりと合ってしまった。
(本当に相変わらず可愛いなあ)
同じ女子として自分が恥ずかしくなりそうな可愛さだ。
千倉と目が合うと、白雪姫はぺこりと千倉に向かってお辞儀をする。そして、少し迷った末に教室に入ってきて、迷わず千倉の方まで歩いてきた。
「え。ちょっとなんで白雪姫こっち来んの? ヤなんだけどあたし、あの子の隣に並ぶの」
真希子が小声で焦った声を出す。
「わー。生白雪姫だー。うわ、顔ちっちゃー」
小春は逆になんだか嬉しそうだ。
「千倉さん」
音も立てないで千倉の座る机の前で立ち止まって、白雪姫は口を開いた。
「はい!」
千倉は何故だか背筋を伸ばして返事をする。
「昨日はありがとうございました。ぼうっとしていてきちんと挨拶できなくてごめんなさい」
「い、いえいえいえいえ! 当然の事をしたまでだから! 気にしないで」
「親切なんですね」
白雪姫は言って、それから手に持っていた、可愛いラッピングの袋を差し出した。透明な袋の内側にもう一枚ピンクの柔らかそうな布でラッピングしてあるので中身は見えないけれど、どうやらその形状からして手作りのお菓子等である事が推測できた。
「母が焼いたので、お礼にしてはちょっとパッとしないですけど、貰っていただけますか?」
「へ? あ、いいの? ありがと!」
おずおずと受取ると、ケーキ独特の良い薫りが漂ってきた。
「わー! 嬉しい。ありがとう」
嬉しくなってもう一度お礼を言うと、白雪姫は僅かに唇をほころばせた。
「喜んでいただけると、とても嬉しいです」
もう一度、本当にありがとうございましたと一礼をして、白雪姫は立ち去ってしまう。
いつの間にか、クラス中の視線が千倉に注がれていた。
「あんた、いつの間に黒須君に続いて白雪姫とまで仲良くなってんの?」
真希子が鼻を鳴らしかねない不機嫌さで千倉に尋ねる。
「あ。昨日の帰りちょっと具合悪そうなの見かけて送ってあげただけだよ」
「すごい! すごいよ梓! あの白雪姫がちょっと微笑んでくれたよ! あの、美少女だけど滅多に表情筋を動かさない白雪姫が」
小春はなんだか一人で盛り上がっている。
「いいなー。わたしも白雪姫とお話してみたーい」
「小春、宝塚とか見に行かない方がいいよ?」
「え? なんで?」
「ハマりそうだから」
千倉の忠告に小春は一瞬黙りこんで、それから深刻そうに頷いた。
「そうだね。そうしたらわたし、確実に破産の道だね」
ところでそれはなに、という真希子の催促に従い包みを開けて、千倉は目を輝かせた。可愛らしいカップケーキが5つ。全てに綺麗に、まるでお店、それも近頃見かけるカップケーキ専門店等で売っているかのような可愛らしいデコレーションが施されていた。
「うっわ。可愛い。超素敵」
嬉しい! とさっそく手を伸ばして可愛い包み紙を遠慮なく剥がして口に入れようとしたその時、丁度ばっちり目があった。教室の外をたまたま通りかかった黒須と。
さあ、と千倉の血の気が引く。そろそろと手元から口を下に戻し、がたんと立ち上がると、黒須がいるのとは逆のドアから一目散に逃げ出した。




