理不尽な要求だよそれは
……が。
解決していない問題がもうひとつ。
公園から千倉宅と白雪姫宅は逆方向。つまり、千倉はもう一度あの公園の前を通ることになる。そして。
待ち受けていたようにもう真っ暗闇になった公園の、電灯の下に立っていた『彼』を見つけた。
堀の深い、僅かに西洋風に整った顔の、長身のその姿は迫力がある。こちらをじっと睨みつけているその眼光に、千倉は竦んでしまいそうだった。それは、明らかに怒りの目だった。
だから、千倉は彼を見なかったことにして、その場を通り過ぎる事にした。
見てません。私は何もしてません。まったくの部外者ですから構わないで。すたすたと足を運ぶ背後から、ちょっと焦ったような声。
「おい」
聞こえない事にする。
「おい、ってば。聞こえてんだろ」
(ヘッドフォントとか、持ってたら良かったのに。)
「無視をするな。そこのデブ女!」
『デブ!? よくそんなこと、面と向かって言えるね!? 失礼でしょ。 最低!』
という脳内反論は心の中にしまっておく。ここで相手にしたらおしまいだし。第一、彼の言う事に否定はできない。流石にこういったタイプの美形に言われると傷つき度も倍増だけど。仕方がない。事実だ。千倉の体型は一般的に言っても結構……かなり、相当太めの方に分類される。
(うん。だから、聞こえないフリ続行)。
「止まれってば」
いつの間に近くまで来ていたのか。ぐい、と肩を掴まれた。予想以上の強い力だった。
(こんな痩せてるクセして!)
へたしたら、いや結構高確率な可能性として自分よりも体重軽いかもしれないのになんだこの力!!
振り切ろうとしても出来なかった。全力で引っ張ったのだけど、指が肩の肉に食い込んで痛かった。
「痛たたたたたた」
ぱしん、と蚊を叩くみたいに肩を掴んでいる手を振り返って叩く。振り返った先、目の前の綺麗な顔が痛そうに歪んだ。
「いてー。さすがの怪力だな」
先ほどからひたすら失礼だ。
(思ってたのと違ったなー)
「あれ? 何の用? 黒須君」
観念して向き直って、それでもしらばっくれる気まんまんの返答をする。とりあえず、そらっとぼけてみて用件を聞いてみた。
黒須はちょっと驚いた顔で目をぱちくりとさせる。
「ん? なんで俺の名前知ってんの?」
「同じ学校ですが。私」
「そうなの? 知らなかった。何組?」
まるで、普通の同級生みたいに話してくる。
(いや、まあ同級生なのだけど)
先ほどの事があってなんとなく恐かったから、この、普通の男の子の喋り方にはかなり毒気を抜かれてしまった。
「7組」
「一番端じゃん。俺、4組」
「知ってるってば」
「そっか。名前も知ってるもんな。で、何サン?」
「千倉」
「おっけ。わかった。覚える。それで千倉、さっきの、見てたよね?」
いきなり呼び捨て。などと思っている間にがん、と本題をぶつけてきた。
「さっきの?」
とりあえず首をかしげて聞き返してみる。
「そ。さっきの」
「何のことやら」
「俺誰かが覗いてるのは知ってたもん。いちゃついてると思ってスルーしてくれればいいのにじろじろ出歯亀してるしー。まさか、俺のこと知ってる奴とは思わなかったしなあ。挙句に、邪魔してくれるし」
(随分と図々しい神経をお持ちのようです。この人)
心の中でツッコミながらもまだまだしらばっくれる気はまんまんだ。
「何の話? って言ってんじゃん」
「あんまりそらっとぼけてると、いい加減、切れるぞ? 俺」
「勝手に話進めるほうが悪いんじゃ……? 知らないって言ってるのに」
「千倉、結構嘘つくの下手なんじゃねえ? 目が泳いでるけど」
言われて慌ててまっすぐ見返した千倉はばっちりと見てしまった。色素の薄い黒須の不思議な色合の瞳。吸い込まれそうな目。
「黒須君て、外人入ってるの?」
「え? まあ、じいちゃんくらいには」
「それで今までその顔保ってられるのはいいなー。私もどっか先祖が外人入れてくれればなー」
「話を逸らすな」
すぐにばれた。
「だって黒須君知らないって言ってるのにしつこいんだもん」
「俺が龍川さんの血を吸おうとしてるの、見てたでしょ?」
(は?)
「血を、吸おうとしたの?」
「おう」
「龍川さんの?」
「いえす」
「なんで?」
「食事だから、かな」
「何? は? え? なんで? あんた、蚊? それとも吸血鬼? バンパイヤー?」
「それ、うしろ2つ一緒じゃね?」
ちょっと面白そうに笑って黒須は、三日月形に笑んだままの目で千倉を見下ろす。
「蚊じゃねーよ。吸血鬼、又はヴァンパイアは正解」
(冗談か、黒須君の頭のねじがちょっとアレなのか)
と考えてみたものの、先ほどのブランコでの光景が妙にリアリティがあって。気を失って、なんで公園にいたのか、まるで分からないと言っていた白雪姫を思い出して。首筋に覆いかぶさっていた黒須の横顔を思い出して。
千倉はぶるりと一つ身震いした。ちょっと恐くなって身を引いたのを、黒須はあっけらかんと笑う。
「大丈夫。俺だって好みはある」
「は?」
「オージービーフよりも高級松坂牛が食いたいように、俺も美女の血が吸いたい」
(なんか、とても失礼な事言われた気が)
「千倉をわざわざ待ってたのは別に代わりに千倉の血を吸おうと思ったわけじゃねえよ。口止め。口止め。他のヤツラには言うなよって」
「なんで」
「なんでって、せっかく引っ越してきたばっかりなのに、餌取り辛くなるだろ」
「そーじゃなくて、なんで私にはぺロッてバラすのさ?」
「見られたし。……それになんか、話してるうちに千倉は大丈夫かな? って」
(なんだそれ)
「え、でも私、普通に考えて、私言うでしょ。みんな危ないじゃん。血ぃ吸われるんでしょ? 吸血鬼に、でしょ?」
具体的にどう危ないのか良く分からないが、とにかく吸血鬼なんて、ホラーの定番だし、危なそうだ。血を吸われたら。なんとなく。
「大丈夫。致死量は吸わないし。ちょっと貰うだけだよ。俺って良心的だし」
本当に善良です、という顔で。
いやでも、と千倉が迷っていると黒須は更に続ける。
「それに、捕食も本当に必要ってワケじゃなくて……別に本当は、人の血貰わなくても、定期的に献血の血を買ってるから大丈夫なんだけど」
(はあ?)
「え、じゃあ、血ぃ吸うのやめたらいいじゃん。普通にこうやって人に目撃されたりして危ないじゃん?」
「そうなんだけどさー、こう、やっぱ活きがいい方がいいっつーか。騒ぎになったらまた引っ越さなきゃいけないから、家族にバレると怒られるんだけどさ」
(良識的な家族だ)
「さっきも言ったとおり、美味いもんが食いたいじゃん? 千倉も分かるだろ? ケーキとかスナック菓子とかシュークリームとかアイスとか、焼肉とかお好み焼きとか、我慢できないだろう? 白米だって、つい制御できずに茶碗三杯くらい食っちゃうだろう?」
「何故それを……!?」
「主にお前の体格を見て推測した」
(何故それでそこまで的確に言い当てる……!?)
とてつもない屈辱感を味わいながら、それでも、千倉は黒須の台詞にひっかかりを感じる。
「でもさあ、私のは迷惑かけないもん。黒須君も、健康な子相手ならまあ、もう私が口出ししてどうにかなるもんじゃないとは思うから害がないなら好きにしたらって思うけど、でも、龍川さんはやめときなよ。あの子、体弱くてしょっちゅう体育見学したり学校休んだりしてるし、時々貧血で保健室で寝てたりするんだよ? 可哀想じゃん」
「そうなの?」
「そうだよ」
完全健康体で殺しても死ななそうとしばしば表現される千倉にはそれがどんな辛さか、想像もできないけど。「白雪姫」はよく真っ青な、本当に辛そうな顔をして保健室に来る。というのを知っているのは、よく千倉が保健の先生の所に入り浸っているからなのだけど。彼女は、形の良い眉毛をこれでもかと言うほどきつく歪めて、脂汗を浮かべて、足元がゆらゆらと定まらない状態で時々ふらふらと現れるのだ。
「だけど、美味そうなんだよなぁ」
「もうちょっと健康な子にしときゃあいいじゃん。可愛い子、いっぱいいるでしょう? うちのガッコ」
「でもなー。一度狙い定めちゃったしなあ」
「それくらいも我慢できないって、意外と我侭なんだね」
言ったら黒須はちょっとムッとしたようだった。
「我慢できない代表格に言われたくないよな」
「え、何?」
「その体型が、どんだけ我慢できない女か物語ってる」
「はあ?」
(いや確かに、食べたいもの我慢してないけど)
それは不本意ながら同意できる。だが、元々太りやすい体型という事もあるわけで。仕方ないじゃない? 同じものを同じだけ食べても、太らない友人たちだって一杯いる。と心の中で言い訳を試みる。
「俺に我慢を強いるなら、お前だってその気分を味わってみろ」
「は?」
「お前、ダイエットしろよ。食べたいもの我慢すんのがどんなに大変だか自覚しろ」
「なんで」
「その代わり、俺は龍川さんの血を吸わない。不味い献血で我慢する」
「なんで、私が……」
「なんだよ。龍川さんの代わりに自分がそん位の苦労を請け負ってやろうっつー優しさのカケラもないやつなのか、千倉は。じゃあいいよ、お前がダイエットできなかったら、脂肪だらけで不味そうで本当は嫌だけど、お前の血を吸い殺してやる」
(何その超論理!?)
「え、ヤだよ。私が今までどれだけダイエットに失敗してると思ってるの?」
「開き直るなよ。第一今回は自分の命かかってんだから、死ぬ気でやるだろ」
「いや、だったら私、バラすよ?」
「バラせば? その代わり、その翌日にはお前の体内の中の血液はゼロだよ?」
(脅迫された……。)
暗い公園の電灯を背に、黒須は千倉を見下ろして、にやりと意地悪く笑った。
+ + +
大きな門をくぐって、踏み石を踏んで数歩歩き、いかにも和風の玄関の引き戸を音を立ててあける。ただいま帰りました、と大きく一声かけて、通称白雪姫と学校で称されている人物は、自分に割り当てられた部屋へと向かった。
深い茶褐色の木張りの長い廊下は微かに軋むけれども、綺麗に掃除されていて、天井の電球の明かりさえ映してしまう程。背筋を伸ばして、制服のスカートが歩幅にあわせて揺れる。
部屋で着替えていると、ドアの外から野太い声が自分を呼んだ。手早く着替えを済ませると、体格の良い強面の男が廊下で自分を待っていた。
「遅かったな。なんかあったか?」
「はい。あったといえば……」
言葉を濁す白雪姫に、男はその顔を強張らせる。
「虎岩組のヤツがなんかしてきたか?」
「さあ」
白雪姫は首をかしげ、まさに今日、自分が困惑してしまった事態について思い出す。
夕方、帰宅途中に同級生の黒須という男に声を掛けられたところまでは覚えている。だけど、それからの記憶がまったくない。気がついたら、こことは逆方向の公園に倒れていて、同級生の女子生徒に助け起こされるところだった。
その間に何かをされた形跡はない。体が痛むことも特にないし、着衣の乱れもなかった。
ただ、記憶がないことだけが不可解で、正直不気味だ。
「何が起こったのかよく分からないんです。放課後学校にいたはずなのに、気がついたら公園にいました。その間の記憶がぽっかりありません」
男は気難しそうに眉を潜める。
「何かされてたのか?」
「いえ。何も。それが逆に不気味ですね」
「クスリか何かかがされたのかもな」
「それか、何らかの理由で気失って倒れたか。貧血ってことはないとは思いますけど。一応、明日、健康診断にも行ってきます」
「そうだな。……自分でできるか?」
「できないところまで大事になったら助けを呼びますよ」
「おう、そうしろ」
それから、男は白雪姫の頭を大きな掌で乱暴にかき混ぜる。
「警戒は常にしとけよ。ここんとこ、虎岩組は何かと不穏だ」
「はい」
威勢良く返事すると、男はその強面の顔を緩めた。笑うと少しだけ人懐っこくなる。
「良い返事だ。頼んだぞ。……お嬢になんかあったら大事だからな」
「はい」
「さあメシだ」
大きな図体を揺らすようにして廊下を行ってしまう男の後姿を見送ろうとして、白雪姫はふと思い出したように「あ」と言った。
「寛二さん、お願いがあるんですけど……」




