白雪姫はやっぱりものすごく可愛い
保険医から半強制的に食べさせられた昼食と通常の夕食を食べると、千倉の体調は驚くほどすぐさま回復した。自分の健康体っぷりに若干失望するほどすぐに。
「もー。ホントびっくりしたんだからね。殺しても死ななそうなアンタがいきなり倒れるんだもん」
翌日登校すると、真希子が駆け寄ってきて怒った様に言った。
「いやあ、あれは貴重な体験だった。眩暈なんて起こすの初めてで、何が起こったのか本気で分からなかったよ」
「でしょーね! っていうか暢気すぎなんだけど。私、アンタが死んじゃうかもしれないと思ったんだからね」
「えー。殺しても死ななさそうってさっき自分で言ったじゃん……」
「いちいち揚げ足とんな!」
「はい! すいません!! 心配かけてすいませんでした」
「……まったく」
ぷりぷりと怒る真希子に苦笑して、小春にも礼を言うと、小春はちょっと優しげに微笑んだ。それでも、文句もちゃんと言う。
「わたしも、心配したんだよ? 初めて知ったんだけど、梓、リンゴダイエットしてたんだって?」
「な、何故それを……!?」
「昨日千倉がお昼一緒に食べれないって言いに白雪姫のトコに行ったの」
「ああ! ありがと」
「白雪姫も心配してたよ! もお。あんな可愛い子を心配させるなんて」
「いやいやホント申し訳ない。……白雪姫、お昼どうしたんだろ?」
千倉が気がかりになって言うと、小春はちょっと困った顔をした。
「一応、一緒に食べる? って聞いたんだけど、わたしじゃダメみたい。フラれちゃった。いつも一人で食べてるから大丈夫です、だって」
「ちょっと可愛いからって何様よね」
横から真希子が不満そうに口を添える。
「きっと人見知りなんだよ! 人聞きの悪い事言わないでよ」
「小春は白雪姫に夢を抱きすぎよ」
二人が言い争いを始めたので「まあまあ」と止めている時に、よく目立つ長身の姿が教室に入ってくるのが目に入った。
(あ。黒須君……)
昨日保健室で見せてしまった醜態を思い出すと若干気まずいし恥ずかしい。
そんな千倉の気持ちを知ってか知らずか、黒須はずかずかと一直線に千倉の方へとやってくる。千倉の机の前に立って見下ろすと、いつもとなんら変わらない顔でにやりと笑った。
「よお。元気になったか」
「お蔭様で。ご迷惑をば」
「全くだ。反省しろよ」
「……すいません」
と謝りつつ、昨日の殊勝な様子はどこへ言ったのかと問いたい。
「まさか千倉、リンゴオンリーダイエットだなんて無茶なダイエットしてるとは思わなかったわ」
「え。何故黒須君がそれを」
「それはともかく」
「何その強引な話の進め方!」
黒須は、どん、と千倉の前に紙をつきつける。
(ん? 何かこれ見覚えあるような……)
「俺の姉貴作。ダイエット計画書だってば」
「ああ。言ってた言ってた」
(あの厳しくスケジューリングされた……)
黒須は偉そうに千倉にその紙をつきつけて言う。
「痩せたいんだったら大人しくこれに従え」
「だってこれ、運動とかけっこう多いよ。私運動とか、小学校以来体育の授業以外はやらないことにしてるから……」
「それがまずいけねえじゃねえか」
「や。でもこれホント大変そうだよ?」
起床時間はいつも千倉が起きる2時間も前に設定されていて、朝のジョギング(雨の日は室内での足踏み運動)、ストレッチ、筋トレが組み込まれているし、眠る時間は普段の千倉の就寝時間の3時間も前の十時に設定してある。こんな時間に眠ったらドラマもお笑い番組も思う存分見れない。おまけに、家に帰ってから寝るまでの間には筋トレ約1時間、半身浴30分、骨格矯正のストレッチ30分をこなさなければならない。
更に食事は毎食必ず500カロリー以内に収める事、一日決まった量の水分を必ず採る事、休日に市民プールに通うこと等がそれは厳しく記されている。
「黒須姉、何者!?」
「けっこうそっち系のプロだよ。大変そうだけど、信頼していいと思うぜ」
というか、と黒須は強く言う。
「倒れるくらい痩せたがるのに運動は嫌っつーのはどういう了見だ? 痩せたいのならこのくらいの努力は惜しむな! 今まで好きに生きてきたんだ。楽して痩せられると思うな!」
「うっ……」
痛いところをつかれて、千倉は反論を失う。助けを求めて左右を見ても、真希子と小春はまだ口げんかをしていてこちらには無関心だ。昨日失態を犯したばかりの身では、言い訳も難しい。逃げ場がない。
「……分かりました。やってみます」
「よろしい」
黒須は満足そうに頷いて、それから千倉の頭をぽんぽん、と二度軽く叩く。
「俺も協力してやるから、頑張れよ」
「心配しました」
「すいません……」
連れ立って屋上に向かう廊下で、白雪姫の開口一番の言葉に、千倉は頭を下げた。
「まあ、もっと積極的にあんなダイエット止めなかった私もいけないんですけど」
「え。いやそれは私の責任だから! 白雪姫は何も悪くないから」
恐縮しながら屋上に到着して、お弁当を広げる。いまだに往生際悪くサラダと烏龍茶という組み合わせの千倉の昼食を目にして白雪姫は大きくため息をついた。
「千倉さん」
(……あれ? もしかして、白雪姫怒ってない?)
白雪姫の声に含まれた硬質の音に、千倉はちょっとびくりとする。
「はい?」
「それじゃあ栄養が偏ります」
「や。でもカロリーがね?」
「まあ、ちょっと予想してましたけど」
白雪姫は自分のお弁当巾着の中から小さいタッパーを取り出す。
「母に頼んで作ってもらいました。和食ですし、全部ローカロリーなのでこれだけでも一緒に食べてください」
え、いいよ。悪いよと遠慮しようとする直前に、目の前で可愛らしい花柄の小さなタッパーが開けられる。彩り良く詰められた、煮物と煮魚、おひたしがきちんと並んでいた。
(うわあ! すごい。美味しそう)
言葉を失って凝視してしまった千倉の前にタッパーと割り箸を置いて、白雪姫は「どうぞ」と言う。
「え。でも……」
「私を怒らせたいんですか?」
その言葉にギョッとする。表情を窺ってもいつも通りなのが逆に読めない。
「いただきます」
「はい。どうぞ」
千倉がタッパーを手に取ると、ちょっとだけ白雪姫が微笑んだ。それを見て、一瞬だけ千倉の手が止まる。
(わ。笑ったところ初めて見たかも)
やっぱり可愛い!
と思いつつ、手が止まったのはほんの一瞬。次の瞬間にはもう、その美味しいお弁当に舌鼓を打っていた。
「千倉、帰るぞ」
放課後、部活動に行こうとしていたら黒須がそう言って迎えに来たので千倉はギョッとした。
「何故黒須君がわざわざお迎え?」
「悪いか?」
「部活行こうと思ってたんだけど」
「千倉、部活やってたんだ。何部?」
「料理研究会」
「ちなみに今日の料理は?」
「濃厚クリームのカルボナーラと、シーザーサラダ、コンソメスープ、デザートにツインクリームシュークリーム」
「……夕飯?」
「いや? 帰ったらみんな普通に夕飯食べるって言ってたよ?」
「もちろん、作ったもんは食べて帰るんだよな?」
「もちろん」
「まさに千倉にぴったりな部だったわけだ」
黒須は呆れたように言う。
「何故過去形?」
「しばらく休部だその部。ダイエットの大敵じゃねえか」
「えぇ~!? じゃあ、みんな食べるけど、私は作るだけにするからー」
「みんなが食べてる間、ずっと腹の虫が鳴ってたら他の部員のみなさんがめっちゃやりづらいだろうが!」
「うっ……確かに」
と言うわけで泣く泣く部活を休む旨を同じ部活の生徒に伝えに行くと、ちょっとホッとした顔をされたので、本当に腹の虫は彼女たちにとってもプレッシャーなのかもしれない。
さて帰ろう、と部室からその足で校門に行くと黒須が立っていた。
「じゃあね。黒須君」
手を振ってその前を通り過ぎると、黒須は慌てて追いかけてくる。
「待て待て待て。なぜそのままスルーする」
「え? なんで?」
「この流れは一緒に帰る流れだろ」
「考え付きもしなかった……」
「空気読めよー」
黒須は呆れたように言う。
「まあその方が千倉らしいけど」
「っていうか、なんで一緒に帰宅?」
と尋ねたらきょとんとした顔をされた。
「え。言ったじゃん。俺も協力するって」
「協力って、ダイエット?」
「そう」
「えー!」
「えー、ってなんだ」
「だっててっきり社交辞令の一環かと思ってたから」
「え。俺社交辞令なんて言わないよ? 永遠の子供だから大人スキルは身に着けておりません」
「なんと! 黒須君、今いくつだっけ?」
「永遠の18歳」
「生まれ年は?」
「安永五年」
「!?」
「千倉、日本史の成績は?」
「3。運がいいと時々4」
「じゃあわかんねーな」
「多分5の人でも殆ど分かんない気がするー」
歩きながらそんな話をしていたのだが、黒須が途中で道を指示してきた。
「まてそっちじゃない」
「え? ウチ、こっちだよ?」
「今日は俺の家来い」
「は!? なんで!?」
「だからー。ダイエット協力するってんだろ。安心しろよどっちの意味でも特に襲いたいとか思ってないから」
「それって私、安心するところ? 怒るところじゃなくて?」
「え。千倉、俺に襲われたいの?」
「いやいやまさか」
黒須はははは、と屈託なく笑う。
「分かった分かった。痩せたら襲ってやるからとりあえずダイエットな」
「や。いいから襲ってくれなくて。むしろヤだから」
「またまた~」
黒須は言って、それからハッとしたように言う。
「ってふざけてる場合じゃねえ。千倉、お前姿勢!」
「へ?」
「朝渡したダイエット用紙に書いてあっただろ。普通に歩く時の姿勢にも気をつける。あ、それから鞄貸せ」
「なんで」
抵抗しようとするが、千倉の肩に掛けた通学鞄はあっさり取り上げられてしまい、長身の黒須の肩に担がれる。
「ちょっとー。楽だけど優しくされると気持ち悪いんだけど」
千倉の文句に、黒須は手がふさがっているため、足の膝で千倉の背中を軽く蹴る。
「優しく、じゃねえよ。ちゃんと読んどけよ用紙をよ。どっちかの肩にずっと鞄をかけすぎると骨格が歪むって書いてあっただろ」
「あ。そういえば」
「気をつけろよなー」
(じゃあ、鞄を逆側の肩でかけろと言えばよかったのでは)
思うには思ったけれど、まあ、持ってもらえるならば楽だし、『正しい姿勢の歩き方』にも集中できるというものだ。というわけで言わないでおいた。
「で、黒須君の家行って何するの?」
「カロリー計算」
「は!?」




