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令嬢、水祭りに行く

 それからしばらく後のこと。


「アリアネルー」


 と、甘い声が聞こえてきた。教科書を閉じて顔を上げるとにっこにこのソフィア様がいる。


「ご機嫌よう。ソフィア様」


「うぐっ」


 笑顔でそう言ったらソフィア様の顔が歪んだ。違うでしょー!! とでも本当は叫びたかったのかもしれないけれど、授業が終わった直後の人多い教室では自重したようだ。こほん、と咳払いをして気を取り直すとこんな事を仰る。


「ねえ。来月の水祭り一緒に回らない?」


 この学園では夏と秋に水祭りと実り祭りという二つの祭りを開催する。その内の水祭りは噴水のショーが見所の夏を楽しむお祭りだ。冷たいものや旬の食材を使った出店も沢山設置されて学園外の人間もこの日には出入り自由になる。町中の皆が心待ちにしている催しなのだ。


「水…あ…あの」


 えっと、どうしよう。何て答えよう。そう思っていたらアオの声が聞こえてきた。


「アリア」


 …ん? あれ? 学校ではその呼び方しないし、もっと言うなら教室では滅多に話しかけてこないのに。そう思って固まっていた私ににやにやしながら彼はこんな事を言う。


「そう言えば来月の水祭り、何時に待ち合わせる?」


「ひ…っ」


 と、思わず小さな悲鳴が漏れてしまった。どうやらソフィア様の声を聞いてわざわざからかいにきたらしい。ななな、何て事を。


 …。


 思わずソフィア様を見上げると、わなわなとしながらアオを睨みつけている。ちょ…どうしよう。


「噴水が五時からだから、四時半に待ち合わせはどう? 俺、その日も仕事があるから昼過ぎまで空かないんだよね」


「…あ…の、はい」


 伯爵令嬢の私が公爵令息の彼にこの場で何か言えることがあるだろうか? いや、無い。


「それまでは自由にしてて。その後、一緒に祭り回ろうな」


「…はいい…」


 あの、それって、俺の予定に合わせてこいつを貸してやるってソフィア様に暗に言ってたりする? 暗にって言うかはっきり言ってたりする? ひいぃ。


 ソフィア様…。と、怖くて顔を逸らしていた彼女を再び見上げたら、真っ赤な顔をして耐えているのが見えた。屈辱なんだろう。本当にすいません。後でシメておきますので。そう思っていたらアオはどちらともになくこんな事を言った。


「そう言えばソフィア嬢のことを愛称で呼ぶ話、どうなったの?」


「!?」


 こんなところで何の話!? と思って肩を強ばらせた私の視界の外でぴくん! とソフィア様が反応する。


「あの…まだ…その…」


「ふーん? そうなんだ。じゃ」


 じゃ、じゃないでしょぉぉー!! …と思ったけれどひきつり笑顔で手を振った。伯爵令嬢が…以下省略。


「…アリアネル」


 ひぃ。と、肩を竦めて振り返ると少し落ち着いた様子のソフィア様と目が合う。あの? すいませ…。


「…色々確認したいことがあるんだけど」


 そう言いながらソフィア様は隣の席に座った。あ、これは長くなる感じですね。


「…はい」


「最初に…ええと…」


 そんなにいくつもお話があるのかと思うくらいに暫く無言だったソフィア様は、やがてこんな事を言った。


「まず、そうね。アリアネル」


「はい…」


「私の事を愛称で呼んでくれるだののお話はどういう事かしら?」


「あ…あの…」


 そこで隠す必要も無いので、この前アオと話した事を話した。最初は黙って無表情で聞いていたソフィア様は次第に「あら」「あらら?」と呟いて目を丸くする。そして。


「ですので、ソフィア様がまだお許し下さるのならと思ったのですが…」


 と言ったら、きらっきらのおめめで呟いた。


「…あの男、意外に良い仕事するじゃない…」


「え?」


「何でもないわ! 良いに決まってるじゃない! 望むところよ!!」


「ありがとうございます。そうしたら…あの…二人の時にはソフィー様とお呼びしても宜しいですか?」


 熱い顔を隠してそう言うと、ソフィー様はうぐぐぐぐ…と、何かを耐えているような顔をしていたが、大きな深呼吸の後に頷いてこう言う。


「分かったわ。今回はそれで手を打ちましょう」


 手を打つも何も、さすがに敬称までは外せんぞ。と思っていた私にソフィー様は言う。


「じゃあ次に、あなたアイオライト様にアリアって呼ばれているの?」


「あ…はい」


 幼なじみだし、彼の方が高貴な方なのでそこは問題ないだろう。私が「アオ」と呼んでいることは絶対にバレてはいかんが。


 さて。


「…そうなの。ふーん…」


 と、ソフィー様は唇を尖らせた。あの? 何か?


「…殿下ですらそう呼んではいないわよね?」


 王子とアオと私が幼なじみなのは割と周囲に知られている。そして王子とソフィー様が幼なじみということも。けれどタイミングが悪かったのか何なのか、私とソフィー様は最近まで接触する事はなかった。


「はい。幼い頃から殿下のことは周囲からしっかりと認識させられていましたので、殿下の前ではできる限り礼儀を欠くことの無いよう行動していました。なので、あ…」


 アオ、と言いそうになって慌てて飲み込む。ごっくん。


「アイオライト様は、殿下の前では常に私の事をアリアネルと呼んでいましたから…」


 最近はもう良いやと思ったのか何なのか、三人でいる時にはアリアと呼ぶこともあるけれどそれは省略。


「…そうなの…」


 へー。ふーん。と、言いながらソフィー様はもじもじしている。どうされました?


「…私もアリアって呼んで良いかしら」


 はい? そんな事ですか?


「ええ。勿論。嬉しいです。ソフィー様」


 そう言ったらソフィー様は真っ赤になって照れ臭そうに顔を隠す。可愛いお方は手の平で頬に風を送りながらこう言った。


「あと、水祭りの日は四時半までは空いているの?」


「水…あ、はい」


 何だか余り物みたいって思ってしまうけれど、アオと合流するまでは空いている。


「そう。じゃあそれまで私と楽しまない?」


「え? それは有り難いお話ですが…ソフィー様はそれでよろしいのですか?」


「ええ。私も夕方は約束があるの」


「そうなんですか? でしたら是非」


 それなら良かった。嬉しくて笑って頷いたらソフィー様が何でか身悶えている。大丈夫かしら。そのソフィー様は何故か息切れをしながらこう言った。


「あと…アリアネル…じゃなくて、アリア?」


「はい」


 あ、何か嬉しい。ソフィー様が近くなったみたい。そう思いながら答えたら、何故か息切れの酷くなったソフィー様はこう言った。


「あなた、達は…その…今までも水祭りに一緒に行っていたのかしら?」


「はい。入学してからはアイオライト様が声をかけて下さっていたので」


「…毎年一緒に噴水を見ているの?」


「見ています。素敵ですよね」


 お祭りの為だけに設計と設置をされる噴水。毎回内容は変わる。一度ショーを行ったらすぐに壊され、翌日から来年の準備が始まるとか。何とも大がかりなものだ。それを入学した時には知らなかった私に教えてくれたのはアオだ。彼も忙しいだろうに、毎年お祭りに連れて行ってくれる。


「…そう…」


 ソフィー様は珍しく小さな声で呟いた。そして何故か周囲を伺う。もう大抵の生徒は出て行ってしまっていて、残っている生徒とも遠い。今までの話含めて誰にも聞こえていないだろう。


「…下世話な話とは思うけど…あなた達は男女で噴水を見るとどういう意味があるのか知っているのかしら?」


「意味?」


「…ただの噂みたいなものなんだけど」


「?」


 首を傾げた私を見て、ソフィー様は「あ、この子知らないな」と理解して下さったらしい。暫くもじもじとされていたけれど、やがてこう言った。


「ほんっっとーに、ただの…うん…遊びよ?」


「? はい」


「噴水のショーの冒頭は、何時も赤い光で始まるわよね?」


「ええと…はい。そうでしたね」


 思い出せば過去二回ともそうだった。それがショーの開始の合図だと思って気にしなかったけれど?


「あの赤い光を男女で見ると、お互いに好意を持っていますの意思表示って言われているの。三回連続で一緒に見れたら間違いなく成就するだなんて噂もあるけど、うん。願掛けみたいなものかしら。おまじないっていうか。でも、信じてる人は本気で信じてるみたい」


「…はい?」


 何ですと?


「噴水を二人で見たカップルはその後上手くいくって言われているわ。…まぁ、元々思い合っている二人で見ているんだから成功率も高いだけなんでしょうけど」


「…え?」


 そう呟いて我に返った。いやいやいや。あはははは。


「そんな、そんな噂、きっとアイオライト様は知りもしないと思います」


「でも、知っていたらどうするの? あなた、それでも行くの?」


「…あの…」


 信じている人には本当に申し訳ないけれど、そんな事に一喜一憂する歳でも(前世含む)性格でもない。それにそんな話、アオの耳に入るきっかけすらなさそうだし知っていても私以上に信じないだろう。


「もしもそうだとしても、はっきりとした言葉も言わずに噂でなあなあにする方ではありません。だから行っても行かなくても同じです」


「そりゃ、知らない内はそれでも良かったかもしれない。けれどこの意味を知っても行って良いと思う? あなたからの意思表示でもあるのよ?」


「…」


 そう言われて咄嗟に言葉が出なかった。




 結局、そのソフィー様の言葉をすぐに忘れることにした。彼女も言っていた。遊び、と。それに自分が言ったことも嘘じゃない。アオがそんな事に拘ると思えないし、知っていてもそれに縋る人じゃない。だから考えるだけ無駄だと自分に言い聞かせた。もう約束をしているし、それが断る理由にもならない。


 何よりもアオが自分の事をそんな風に思っているなんて想像できなかった。正確に言えば想像したくなかった。想像してしまえば辛くなる。だから私はそれから逃げた。




 考えなくて良かったと思ったのは当日の五時過ぎ。期せずしてそれが「叶わなかった」時だった。


 その日の昼から夕方まで、約束通りソフィー様と祭りを見て回った。学園内だし警備もいる。普通は自由に振る舞えない自分達がこの日は違った。貴族令嬢である二人だけで楽しんだ。四時過ぎ、ソフィー様も約束があるからと離れた後。


 アオと約束した場所で彼を待っていた。噴水の前。まだ明るい時分の学生も多い広場。喧噪の中で考えた。今年、彼と二人でこの噴水を見たら自分はどんなことを思うんだろう。きっと一生の思い出になる。それが楽しいものになるか、悲しいものになるかはまだ分からない。もしかしたらどちらにもならないかもしれない。そんな事を思いながら彼を待っていた。気が付いたらもう四時五十分。まだ来ない。約束に遅れたりしない彼のこと。珍しいな、と思った。仕事が終わらないのかしら。危険なことはないと思うけど。


 さして心配もせずにじっとしていたら、慌てた様子の殿下が走ってきた。自分を見ると青ざめた顔でこんな事を言う。


「アリアネル!? ソフィアは!? 一緒にいたよね!?」


「ソフィー様ですか? 四時過ぎに別れましたけど…」


 鬼気迫る様子に、挨拶もせずに彼の疑問に答えた。そうしたら更に青ざめて彼は言う。


「その後どこに行った?」


「約束があるからと…確かあっちの方に…」


 と、指をさした瞬間にどん! という号砲と同時に噴水が赤く染まり水が噴き出した。


「あ」


 始まっちゃった。そう思って殿下と顔を見合わせる。そして指に視線を戻すとその先にアオとソフィー様が腕を組んでいるのが見えた。


 …ん? あれはどういうこと?


 私は驚いて暫く二人を指さしたまま動けなかった。

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