第60話 一五年ぶりの再会
ドラコとベアトリクスが車内に降りた時、戦いは既に終わりかけていた。
アビゲイルが、車両の通路の中央に立っていた。両手を広げ、氷の壁を前方と後方の二方向に展開している。壁の向こう側では、食屍鬼たちが爪で氷を引っ搔いているが、厚い氷はびくともしない。
アビゲイルの足元には、大きな魔術式が浮かんでいた。氷の壁だけではない。通路の床、壁、天井に至るまで、薄い氷の膜が張り巡らされている。食屍鬼たちの動きを封じる結界のようだった。
「遅いよ、二人とも」
アビゲイルが振り返り、疲れた顔で笑った。額に汗が浮かんでいる。長時間の魔術行使は、アビゲイルにとっても負担が大きかったのだろう。だが、その目には余裕があった。
「屋根の上、派手にやってたでしょう。こっちまで熱かったんだから」
「すまんな。助かった」
ドラコが帽子の鍔を上げて礼を言った。アビゲイルは肩をすくめ、氷の壁の向こうを顎で示した。
「食屍鬼は全部閉じ込めた。壁の向こうの乗客で無事な人たちは、後方の車両に避難させてある。エルザが誘導してくれたんだよ。あの子、怖がりながらもちゃんと声を出して乗客を導いてた」
ドラコの紅い瞳が、エルザに向いた。エルザは小さく首を振った。
「わたくしは、アビゲイルに守られていただけです」
「そんなことない。エルザがいなかったら、乗客をまとめるのはもっと大変だった」
アビゲイルの声が、僅かに沈んだ。
「ただ……食屍鬼になっちゃった人たちは、もう元には戻れない。それは分かってる。だから、殺さずに閉じ込めた。どうするかは、後で決めればいいかなって」
氷の壁の向こうから、食屍鬼たちの呻き声が聞こえている。かつては普通の乗客だった者たちだ。アビゲイルは、その命を奪う選択を避けた。正しいかどうかは分からない。だが、今はこれしかできなかった。
ドラコはアビゲイルの肩にそっと手を置いた。
「お前の判断は間違ってない」
アビゲイルは小さく頷いた。
エルザが、アビゲイルの傍にいた。ベアトリクスの姿を見た瞬間、その目に涙が溢れた。
「ベアト……!」
駆け寄ろうとして、足がもつれた。ベアトリクスが先にエルザの元へ歩み寄り、両手でエルザの手を握った。
「姫様、ご無事で本当に良かった」
「ベアトこそ……怪我は、大丈夫なの? 血が……服に、たくさん」
エルザの指が、ベアトリクスのメイド服に触れた。腹部と肩に残る血の跡。既に傷は塞がっているが、血痕だけが戦いの激しさを物語っていた。乾いた血で固くなった布地が、エルザの指先に触れるたびに、ぱりぱりと音を立てた。
「もう治っています。心配をおかけして、すみません」
ベアトリクスは笑おうとした。だが、唇が震えて上手く笑えなかった。エルザはベアトリクスの手を強く握り返し、何も言わずにその手を自分の頬に当てた。エルザの体温が、ベアトリクスの冷たい指を包んでいた。その温かさに、ベアトリクスの目から再び涙がこぼれた。
「泣かないでください、姫様。わたしは無事です」
「泣いてるのは、ベアトの方でしょう」
エルザが泣き笑いの顔で言った。ベアトリクスは自分の頬を触り、涙が流れていることに気づいた。二人で顔を見合わせ、小さく笑い合った。
アビゲイルがその光景を見て、ほっとしたように息をついた。
ドラコは四人の無事を確認すると、帽子を深く被り直した。
「さて、と。この汽車、このまま走り続けるのはまずいな」
食屍鬼を閉じ込めたとはいえ、汽車の制御は不安定だった。運転士が食屍鬼に襲われた可能性もある。速度は出ているが、行き先も分からない。ドラコが先頭車両に向かおうとした時、汽車が大きく揺れた。
ブレーキの音が響いた。
金属が軋み、火花が散る音が車輪の下から聞こえてくる。誰かが、外から汽車を止めようとしていた。ベアトリクスがエルザを支え、アビゲイルが壁に手をついた。汽車の速度が徐々に落ちていく。車体が激しく揺れ、棚の荷物が落ち、座席が悲鳴のような音を立てた。
ドラコだけが平然と立っていた。揺れる車内で、微動だにしない。紅い瞳が窓の外を見ている。何かを確認するような、鋭い目だった。
やがて、汽車は完全に停止した。
静寂が訪れた。車輪の音が消え、蒸気機関の唸りだけが低く響いている。窓の外を見ると、草原の中に数十の松明の灯りが見えた。武装した集団が、汽車を取り囲んでいる。
エルザの顔が緊張で引き締まった。ベアトリクスが反射的にエルザの前に立ち、拳銃に手をかけた。アビゲイルも氷の魔術の構えを取る。新たな敵かも知れない。
ドラコが窓から外を覗いた。松明の灯りに照らされた集団は、革鎧や鉄の胸当てを纏っていた。
ドラコの顔が、ほころんだ。張り詰めていた空気が、一瞬で解けた。
「武器を下ろせ。敵じゃない。ヴェアヴォルフ同胞団だ」
ベアトリクスが驚いた顔でドラコを見た。アビゲイルだけは安堵の表情を浮かべていた。同胞団のことは知っているようだった。ドラコは既に窓枠に手をかけて身を乗り出していた。先ほどまでの疲労した表情はどこへやら、紅い瞳に光が戻っている。
汽車の扉が外から開けられた。夜風が車内に吹き込み、松明の煙の匂いが鼻を突いた。扉の向こうに、二つの人影が立っていた。
一人は、黒い長髪を後頭部で一つにまとめた女だった。背が高く、引き締まった体つきをしている。黒い軍服の上から外套を羽織り、腰には刀を一振り。切れ長の目に、口元には不敵な笑みを浮かべていた。肝の据わった、戦士の顔だった。
もう一人は、茶色の短髪にメガネをかけた青年だった。こちらも黒い軍服に外套を羽織っている。女に比べると線が細い。腰には革の鞄を下げ、右手には装飾の施された魔杖を握っていた。メガネの奥の瞳は冷静で、汽車の損傷具合や車内の状況を素早く観察していた。
女が、ドラコの顔を見た。一瞬、目を見開いた。そして、口元に笑みを浮かべた。静かだが、深い感情を湛えた笑みだった。
ドラコもまた、女の顔を見つめていた。一五年以上前、同胞団の拠点で走り回っていた少女の面影が重なった。あの頃はまだ子供だった。それが今、一人前の傭兵として立っている。
「ラミーナ、か。いい女になったな」
ドラコが呟いた。ラミーナの切れ長の目が、僅かに揺れた。だがすぐにいつもの表情に戻り、腕を組んで答えた。




