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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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112/112

第112話 本当の標的

 沈黙が、迷宮の研究室を支配していた。

 水晶の中では、イルドブルがまだ燃えている。アビゲイルの涙は乾いていたが、胸の奥の怒りは消えていなかった。透明な壁に手を当てたまま、マリアムを見つめている。

 マリアムは椅子に座り直し、足を組んだ。水晶の光がその横顔を照らしている。隈の深い目が、どこか遠くを見ていた。やがて、淡々と語り始めた。

 アビゲイルは透明な壁の中で、黙って聞くことにした。敵の目的を知ることが、今できる唯一の抵抗だった。


「本当はね、もっと簡単なはずだったんだ」


 マリアムが天井を仰いだ。疲れた目が、魔術灯の光を反射している。


「ヴェンツェル王国の宮殿の倉庫に、ドラコが眠っている棺があった。あの棺を開けて、眠っているドラコを殺す。それだけで済むはずだった。だけど」


 マリアムの口調が、僅かに苦い色を帯びた。


「ギルバート・ヴェンツェルの魔術式が、それを許さなかった」


 ギルバート。エルザの父。一年前に病で亡くなった、ヴェンツェル王国の国王。かつては帝国兵士の団長であり、優秀な魔術師でもあった男。

 マリアムが続けた。


「あの棺を守る魔術式は、特定の人物にしか発動できない仕組みになっていた。ギルバートが組んだ術式だよ。さすがは帝国で最も優秀と謳われた魔術師だ。多重の暗号化、血統認証、魔力の署名。ボクがどれだけ研究しても、あの術式は解けなかった。棺に触れることすらできなかった。何度試みても、魔術式がボクの魔力を弾き返した」


 つまり、マリアムは直接ドラコを殺すことができなかった。眠っている無防備な状態のドラコに手を出す、最も確実な方法が塞がれていたのだ。何年もかけて研究し、あらゆる手段を試したのだろう。この研究室に散らばる紙片の山が、その執念を物語っている。それでも、ギルバートの術式は破れなかった。

 アビゲイルは黙って聞いていた。ギルバートの魔術式の強固さは、実際に目にしたことがある。あの魔術式はギルバートが残した最後の防壁であり、ドラコを守るための祈りだった。ギルバートは自分の死後も、ドラコが安全に眠り続けられるよう、最強の術式を組んでいたのだ。その祈りが、マリアムの計画の前に立ちはだかった。


「だから、ドラコを起こすしかなかった。棺から出てきたドラコを倒す。そのために、ドラコを目覚めさせる必要があった」


 マリアムが水晶に目を向けた。燃えるイルドブルの映像が、その瞳に映っている。


「転機は一年前だった。ギルバートが病で死んだ」


 マリアムの声が低くなった。


「あの魔術式を発動できる者が、一人だけ残った。ギルバートの娘、エルザ・ヴェンツェルだ。ギルバートの血を引く者だけが、あの棺の封印を解ける。エルザが棺に魔術を使えば、ドラコは目を覚ます」


 マリアムが立ち上がり、壁に貼られた紙片の一つを指差した。日付が書かれている。ギルバートの死の翌日だった。


「ギルバートが死んだその日から、ボクは準備を始めた。エルザを棺の前に追い込むための計画を。一年かけて、各地の吸血鬼の集団を組織し、配置した。イルドブルの防衛網の弱点を調べ、宮殿への侵入経路を計算し、エルザが倉庫へ逃げ込むように誘導する動線まで設計した。そして、あの夜を迎えた」


 アビゲイルの目が見開かれた。全てが繋がっていく。

 物語の始まり。イルドブルを襲った吸血鬼の集団。エルザとベアトリクスが宮殿の倉庫に逃げ込み、追い詰められたエルザが父の言葉を思い出し、棺の中のドラコを目覚めさせた。あれは偶然ではなかった。最初から、仕組まれていたのだ。エルザが恐怖に駆られて棺に魔術を使うよう、全てが計算されていた。

 あの夜、エルザは死の恐怖の中にいた。ベアトリクスは重傷を負った。多くの人が殺された。その全てが、マリアムの計画の第一歩だったのだ。


 アビゲイルの手が、透明な壁の上で握りしめられた。宮殿の倉庫で、恐怖に震えるエルザとベアトリクスの姿を、ドラコから聞いていた。ベアトリクスは吸血鬼の攻撃で瀕死の重傷を負い、ドラコの吸血によって命を繋いだ。あの出来事が、ベアトリクスの人生を永遠に変えたのだ。


「あなたが……あの襲撃を仕組んだのですか」


 アビゲイルの声が低かった。怒りが、静かに燃えている。


「吸血鬼の集団を使って、エルザを追い込んだ。エルザがドラコを起こすように。全ては、ドラコを棺から出すために」

「そうだよ」


 マリアムは否定しなかった。悪びれもしなかった。


「ボクの狙いは最初からドラコの命だった。エルザの血を狙っていたのは、敵を惑わすためさ。財団がダンピールの血で不老不死の軍隊を作ろうとしている。そういう噂を流せば、ドラコたちは、財団の狙いはエルザだと思い込む。その間にボクは、本当の研究を進められた」


 周到だった。あまりにも周到で、用意周到で、そして冷酷だった。


「ダンピールの血には、正直なところ、あまり興味がなかった」


 アビゲイルの拳が震えた。エルザの血を狙うと見せかけて、本当の標的はドラコだった。財団がエルザを追い回していたのは、囮だった。ダンピールの血で不死の軍隊を作るという話も、真の目的を隠すための煙幕。エルザたちが命懸けで逃げてきた日々。フローレンスが戦い、レイラが残り、アビゲイル自身があの少女と戦った。仲間たちが傷つき、命を懸けた全ての瞬間が、マリアムの掌の上だったのだ。 

 アビゲイルの歯が、きつく噛みしめられた。


「ダンピールの力は、確かに吸血鬼を殺す力がある。可能なら手に入れたかった。だけど」


 マリアムが壁際の棚に目を向けた。硝子の瓶に入った標本が並んでいる。あの不気味な瓶の正体を、アビゲイルは悟った。


「前段階の実験で生み出したダンピールの力は、不安定だった。制御できない。暴走する。仮に安定したとしても、ドラコを倒せるかどうかの確証が持てなかった」


 アビゲイルの目が、棚の上の標本に釘付けになった。液体に浸された、小さな何か。先ほどは何の実験か分からなかったが、今のマリアムの話を聞いて、嫌な予感がした。あの瓶の中身は。


「マリアム。あの瓶の中身は、何ですか」


 声が震えていた。聞きたくなかった。だが、聞かなければならなかった。

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