第22話 願いごとの天秤
1
「私とサロは、ここで待ってます」
風もときどき強く吹きつける岸壁の上で、マーガレットは言った。
マーガレットのドラゴン・サロは、ブリッツシュラーク大陸に降り立った途端、病気にかかったように元気をなくした。
コカトリスが言っていたことは本当だった。
岸壁から先へ歩いていくと、小さな村があった。石を積んで土で固めたような建物ばかりだった。
竜王の情報やマーガレットのためにも宿屋を探した。
見つけた宿屋の男店主は、最初は喜んで迎え入れてくれた。しかし、エヴァンたちが泊まらないことを伝えると、怪訝な顔をする。
「ここに泊まらずにどこに泊まる気だよ。他に泊まれるところはないぞ」
「私たちは、竜王に会いに行こうと思って、この大陸に来ました」
エヴァンが店主に言った。
「ケッ、また、竜王だの天龍だのに願いごとか。やめときな。どうせ、無駄さ」
「無駄とは? 竜王はいないんですか?」
「さあな。行ったやつらの中で、竜王に会えたというやつはいない。だから、実際にいるかどうかもわからない。天龍がいる神殿までどのくらいの距離なのかも不明だ。到底歩いて行けるとは思えん。ほとんど、行ったっきり戻ってこないか、無理だと判断して帰ってきてる。バカスカ雷が落ちて、一生に一度当たるかどうかの雷にずっと命を狙われ続けるんだぞ」
宿の店主は、一晩泊まってから帰れと言わんばかりに、あきれたように目をそらした。
バリバリゴーンと、轟音が響いた。
近くに雷が落ちたようだった。
悲鳴をあげたカーラに抱きつかれたエヴァンも、思わずカーラを抱きしめた。
クグー
ファムも雷に驚いたのか、翼を広げて飛んだ。
「近いな」
驚いた様子を見せなかった店主は、ちらっとエヴァンたちを見た。
「え、あ」
エヴァンとカーラは、さっと体をはなした。
「珍しく近くに落ちたな。村や海岸付近は、あまり落ちないんだがな」
ファムがまたエヴァンの肩に戻ってきた。
「って、そのドラゴン、今飛んでいなかったか?」
店主は、目を見開いてファムを指差した。
「飛びましたけど……」
「ここではドラゴンは飛べないのに、なんでそのドラゴンは……子供ドラゴンだから飛べるのか、いやそれはありえない。どんなドラゴンも飛ぶことはできない」
「あ、あの、どうしてここはドラゴンが飛べないですか?」
エヴァンは聞いた。
「よくは知らない。昔からそうだったとしか言えない。ドラゴンが赤いいかづちにおびえるとか、黒い雲の気流をさけているとか、天龍が威圧して飛べないようにしていると言われている」
「竜王ではなく……天龍」
「うちらは昔から天龍と言っている。あの真っ黒な雲の上、天には神殿があり、龍が住んでいるという言い伝え。本当のところはわからないぞ。そんな子ドラゴンじゃ飛べても乗れないんだろ。それでも行くのか」
「……はい、どうしても叶えなければならないことがあるので」
エヴァンは、ほんの少しだけ迷った。
しかし、なんのためにここまで来たのか。ここまで連れてきてくれたマーガレットや、帰りを待つコカトリスのためにも迷いを強く消した。
「そうか。止めはしないが……」
店主にエヴァンはじっと見つめられた。
――うっ。
「以前、あんたと似た顔を一度見たことがあるような」
店主は、あごに手を当てて宙を見た。
――もしかして、エヴァンは一度ここに来ているのか?
「その人と話しましたか?」
エヴァンは聞いた。
――どうしてエヴァンはここに来たんだ?
「探している人がいるとかで、仲間に引き入れたいと数人で話していたな」
「仲間……」
「その人がどうなったかは俺は知らない。それっきりだからな。最後に言っておくが、赤いいかづちに当たれば、体は一瞬で消し飛ぶ。普通の雷と違って、こっぱみじんだ」
エヴァンとカーラは、目を合わせて息を飲んだ。
――普通の雷に当たっても命は落とすのに、赤いいかづちは、体をも一瞬で消えてしまうとは。でも、エヴァンはここを切り抜けた。
エヴァンは、カーラにマーガレットと一緒に待っててもいいと伝えた。
しかし、カーラも一緒について行くと言ってきかなかった。
カーラは、昔のエヴァンがたどった道を今のエヴァンとともに行きたかったのだ。
マーガレットには、村を出る前に宿屋のことと赤いいかづちのことを伝えた。マーガレットは宿には泊まる気はなく、サロと一緒に野営しながら待つ意思は変わらなかった。
2
エヴァンとカーラは、宿屋の店主に教えてもらった村から先へ続く道を進んだ。
真っ黒な雲は、体の長いドラゴンが何重にも重なりあって、うごめいているように不気味だった。
いつまでも見ていられそうで、時間の感覚をくるわす。
ただ、時間を浪費させるのではない。まるでみずからの足で夜へ向かっているようだった。
ジャリジャリと細かな石が広がる平原を永遠と歩き続ける修行のような道が続く。まっ平のようでわずかに上りになっていて、少しずつ体に負担をかける。
かすかに頂上が真っ黒な雲におおわれた山らしきものが見える。
どのくらいの距離にあるのかもわからない。近いのか遠いのかさえ判断できない。
常にうす暗く、いつ夜になったのか、朝になったのかもわからない。
歩いては休み、歩いては休みをくりかえす。
お腹が減るのと、眠くなることが、時間経過があったことを知らせてくれる。
それと、進めば進むほど、カーラの疲労もたまっていくのもわかった。一歩一歩がとても重い。まるで重石をつけられているような足どりだった。
村を出て誰ともすれ違わず、生物を見かけることは一度もなかった。
どのくらい経ったかもわからなくなったとき、2人の前に大きな川があらわれた。
道は川にはばまれ、川を渡らない限り、先へは進めなかった。迂回しようにも、どこまでも川は延びている。しかし、川の先の道は、ギリギリあるように見える。
そして、川は浅いようには見られなかった。泳ぐにしても、真っ直ぐには進めるような穏やかな流れではない。
エヴァンとカーラは、ときどき近くでなる雷鳴を呆然と聞いているほかなかった。
ただ流れている水面を吸い込まれそうに見ていると、黒い影が水底から浮かび上がってきた。
水が不規則に流れて、水面が山なりに盛り上がった。
2人の胸の鼓動が強くなって、一歩を足を引いてその正体がわかるのを待った。
「あなたたちは、この川を渡りたいですか?」
まるで落ち着いた女性のような声を発したのは、水中から現れたドラゴンだった。
顔だけで、エヴァンの2倍はあった。その大口を開ければ、ひと飲みにされてしまうのは言うまでもない。
顔が水面から出ているだけだったが、水中に続く胴体を見ると、蛇のように長いタイプのドラゴンのように思えた。
日本の昔話や中国でたたえられている体の長い龍。
額には、いわゆるドラゴンの珠がうめこまれている。顔が動くたびに、きらりとみずから小さな光をはなっていた。
「ね、ねぇ、エヴァン。今、ドラゴンが話したの?」
あっけにとられていたカーラが言った。
エヴァンはうなずいてみせた。
―あなたは、人と話せるのですか?
エヴァンは、念のため、心の中からドラゴンに声をかけた。
「もちろんです。私は誰とでも話せます。だから、こうして声をかけているのですよ」
ドラゴンは、口を開いて言葉を返した。
エヴァンは、話し方からそのドラゴンに敵意は感じられなかった。
「私たちは、川向こうに行きたいのですが……」
「私が向こう岸に連れて行ってあげますよ」
「ほ、本当ですか。ありがとうございます」
エヴァンとカーラは、笑顔をみせた。
「ただし、条件があります」
「は、はい」
「私の願いごとを天龍にお願いして欲しいのです」
エヴァンは黙った。
このドラゴンの願いを聞けば、叶えられる3つの願いはすべてうまってしまう。エヴァンもとい平均は、心の中で頭を抱えた。
石になった人をもとに戻してもらえる。
コカトリスを元のコカトリスに戻してもらう。
エヴァンは、この2つは絶対にお願いするつもりでいた。3つ目は、個人的な願い、ディリィを生き返らせてもらうことを考えていた。
――いや、聞いたうえで、このドラゴンの願いではなく、自分の願いを伝えることもできる。聞くだけ聞いて、向こう岸までいければ。
――本当に、それでいいのか?
しかし、カーラの体力を考えると、歩くことが精一杯で限界も近く、この幅のある川を泳ぐことは不可能なのは明らかだった。
エヴァンは、決意を固めるように深く息をはいた。
「わかりました。あなたの願いごとを天龍にお願いします」
エヴァンは、川から顔を出しているドラゴンを見つめて言った。
「おやさしき方、ありがとう。長年、私はずっとこの川で暮らしています。いつかは、天龍のように空を飛べるようになると思っていたのですが、いつになっても飛ぶことができません。この私が飛べるように、羽をさずけて欲しいのです。それが私の願いです」
「……わ、わかりました」
エヴァンは、一緒に聞いていたカーラとともにうなずいた。
「天龍のもとへたどり着いたときには、必ず」
と言ったものの、エヴァンはなぜこのドラゴンがそんな願いごとを頼んできたのか理解できなかった。
そもそも飛べないドラゴンなのではないのか、と。それに気づいていないだけなのではなかろうか。
「では、川をお渡りください」
ドラゴンがそういうと、水中に沈んでいた長い長い体が水面に浮かび上がらせた。
「遠慮なく私の上を進んでください」
エヴァンとカーラは、ドラゴンの顔横からよじ登って、ドラゴンの上に立った。
向こうの川岸までドラゴンの背が続いていた。
ドラゴンは、2人が向こう岸まで渡るのを静かに待ってくれた。
「ありがとうございました」
「あなたの願いは必ず伝えます」
「よろしくお願いします。今まで私の背を渡って帰ってきたものはいないのです。ぜひ、私の願いを叶えてください」
ドラゴンは、最後にそう言って、川の中へ体を沈ませていなくなった。
今まで目の前にドラゴンがいたとは思えないほど、うす暗く乾いた景観に変化はなかった。
2人は、大きな存在を失って、不安が立ちこめる。
雷鳴がより近くに感じられるようなって、真っ黒な雲はより厚く重くのしかかってきたように。
また遠くで赤いいなづちが、一瞬で雲から赤い柱を突き落としていた。
エヴァンとカーラは、これから先、さらに過酷な道のりになることをこの目で実感した。




