第十二話 ルールは混沌
津賀賢太郎の横倒しになった視界には、半透明のトゲのような物がチュラチュラと降り注いでいた。
わあ……頭打ったりすると星が見えるって、コレかぁ……
津賀は、トゲの雨に重なって立ち尽くし、こちらを見下ろしている火村の足にピントを合わせた。怪我など負っていないはずなのに、火村は微かに震えて見えた。その足が、向きを変える。
あ、やばい。
反射的に津賀は、手を伸ばしその足を掴んだ。
「い……行かないで火村さん」
フラれた女子みたいな言葉を搾り出した自分が少しおかしくて、津賀はちょっと笑いたくなったが、呼吸だけで手一杯の肺にその余地は無かった。
「やめろ、離せっ」
火村は掴まれた足を振り払おうと、津賀の頭を蹴った。目玉部分の、プラスチックに似た安っぽい赤い破片が痛々しく飛び散り、火村は泣きたくなる。
「頼むからもう邪魔しないでくれ!これ以上は、駄目だ…お願いだ」
津賀はしかし、手を離さなかった。
「で、でも……でも、離したら、アンタ、行っちゃうでしょ、オレの小さい友達も、お兄さん達も、みんな、斬るんでしょ……」
青い装甲は亀裂だらけで
「想像しちゃうと……怖くて離せないんだもん……」
耳横の尖った部分は折れて無くなっていた。
ひどく苦しい感情が、胸をえぐり、火村は目を逸らす。
畜生何だコレは…。
津賀とて、死ぬかも、という恐怖が無かったわけではない。というより、頭の中は、死の恐怖にガッチリ捉らえられていた。けれど、死にたくないと思う恐怖は、そのまま、火村を止めなければお隣りのグレイム兄弟が感じるであろうものなのだ。一度そこに気付いてしまうと、津賀はもう、自分自身が恐怖、痛みを感じれば感じるほど、それを彼ら兄弟のものとして置き換えて想像してしまい、たまらなかった。それをまた自分に置き換えて悲しくなってみたりもして、1人ハウリングを起こしていた。そしてその想像と反復が、火村の足から手を離さない為の最後の力となっていたのである。
物理的に身体が壊滅状態の津賀に対し、火村は火村で、ひどい精神的なダメージを受けていた。攻撃すればするほど正義の味方としてのアイデンティティーが揺らいでいく。小鳥にも似た間抜けで非力なライザーシャープは、火村がこれまで出会ったどんな人間より素直でイイ奴に見えて。
それを俺はこんなズタズタにしてしまった…
と思うと、苦しくて泣き出しそうになる。けれども、世界を滅ぼせる力を持つ闇竜の玉を手にした魔族に味方し、火村の行く手を阻む敵である事は事実なのだった。火竜の玉を受け継ぐ戦士としての血が、火村自身の感情を、許してはくれない。火村は刃を下に向け、剣を縦に真っ直ぐに持った。
「……俺は、正義を、守るものを、捨てられない……許してくれ、もう終わりにさせてくれ」
亀裂の入った津賀の装甲からは、刺し貫く力に耐えられるほどの強度が既に失われている。火村の足を掴んだまま、もう動く事も出来ない津賀は悲しい声で
「火村さん……泣いてるの?」
と呟いた。
ああ……。
歯を食いしばり、目を閉じて、火村が、
剣を、
突き立て
……ようとした瞬間。
「ちょい待ってよ!」
その声の方に顔を上げた隙に、火村の、剣を持つ手首が背後から押さえられてカクンと止まった。
「……な、」
火村はすぐに状況が掴めなかった。どうやら何者かに、腕だけでなく、羽交い締めのような形でかっちりとロックされている。眼帯をした黒ずくめの男と、妙なドクロマークの全身スーツを着た男が、闇に紛れて走って来た。
「おい、シャープしっかりしろ、死ぬな」
「せーの」
眼帯男、瓜生と全身スーツの白根は、津賀の身体を両側からヒョッと持ち上げ、運び始めた。
「ま……待て、お前ら一体……」
火村が困惑した声を出すと白根が
「ライザーシャープは俺らの敵なんだよ。勝手にブッ殺すんじゃねえ、馬ァ鹿!」
学のなさそうな罵声を返した。
「な……待てッ!離せ!」
火村が振り解こうと、力を込めた、瞬間
カアン!
と、視界が暗くなり、鎖のようなもので素早く、グルグルと後ろ手に体を縛られた。何やら深い鍋のようなものを被せられ、視界を奪われたようだった。金物の匂いが火村の鼻をつく。そこに女の声が届いた。
「ツガケンは、アンタなんかよりずっと、いいヒーローなんだから!誰も真似できない、すごい、えらい子なんだから!なめんなばか!赤ベコ!」
「センセエ、はやく」
今度は子供の声。続いて、何か、蝙蝠の羽ばたく音がして、火村は背中に風を感じた。
バン!
これは、車のドアか。そしてエンジンが、遠ざかる。
「くっ……」
火村は、ようやく鎖をちぎった。鍋を外す。車の姿はもう、見えない。しかし心は、どこかホッとしていた。
火村は、青い鳥を、殺さずに済んだのだ。
銀行強盗のように急発進したオートマ車は、火村に対する怒りの治まらない砂子の荒々しい運転で、裏道を飛ばしまくった。
「イエーイ!奪還作戦成功フゥー!」
狭い車内の中で白根が立ち上がって、1人1人と手を打ち合わせて回る。
後ろから火村を押さえ付けていたのは、レヴ。上から魔力鍋を被せたのはネロ。駐車場の入口の鎖で、火村をグルグル巻きにしたのは砂子だった。
「つがさん」
助手席のレヴの膝の上から心配そうに後部座席に身を乗り出したネロと一緒に
「ツガケン、無事?生きてる?」
運転中にも関わらず砂子までが振り返ったので
「おい!お姉さん、前!」
白根が悲鳴を上げる。
変身の解けた津賀は、瓜生に支えられ、ぐったりと後部座席にもたれていた。
「クソッ、世話がやけるヒーローだなコイツ」
そう言って、瓜生がウエットティッシュを額に乗せてやると津賀は
「んん……きもちい……」
と、微かな声を出した。それを聞いてホッと溜息をついたのはネロや砂子だけでない。レヴも、そしてデストロイブラックの二人もだったが、瓜生は立場を思い出し、舌打ちしてごまかす。
「チッ……何で俺らがシャープの介抱までやってんだ畜生」
瓜生の言葉に白根もハッとなって、ウエットティッシュの箱を隠した。
「追ってこないね……」
バックミラーを覗いて砂子は呟き、薬局兼スーパーの裏に車を停める。
悪態をつきながらも、瓜生と白根が薬局に水を買いに行っている間に、車内灯のオレンジ色の中で、津賀は漸くちゃんと目を開けた。身体を起こしかけたが、叶わず
「み」
と呻いた。ヒーロー名鑑をめくるレヴの背中越しにネロが
「寝てていいんだよつがさん」
静かに声をかける。
「安心して。赤ベコ……じゃない、キングドラゴンは追って来てないから」
砂子は椅子を倒して後部座席の津賀を振り返った。津賀はしかし、掠れた言葉を搾り出す。
「……違うの違うの……狙われてんのはオレじゃなくって……グレイム家…」
「えっ!?」
ネロは驚いて小さな体を震わせた。
「な……なんで……?」
するとそれまで黙っていたレヴが
「ネロこれ」
ヒーロー名鑑から目を離さないまま口をきいた。
「見て」
レヴが指差した「竜戦士キングドラゴン」の説明ページの下の方には小さな明朝体で
魔族ファングル伯爵から闇竜の玉を取り戻すため、キングドラゴンは戦い続けるッ!
と書いてあり、見覚えのある黒い玉の写真まで掲載されていて。
「こ、これ……」
読めない漢字はあったが、おおよそを理解して絶句したネロを抱え直し、レヴは
「とりあえず、兄貴に知らせないと」
と、頷いた。津賀は、済まなそうに目を伏せる。
「お兄さん、ネロくん、ごめんね……オレ、また何にもできなかった…」
津賀は、自分が情けなかった。いつも、何とかしようとしてかえって危ない目にあわせてしまう。
オレのバカ……オタンチン。
そのような自責の念に捕われている津賀を、ドアを開けながら、レヴはふと振り返った。
「じゃ、おれたち行くんで」
放心状態のネロの背中を撫でながら、感情の薄い声で
「どーも」
そう言ってペコッと頭を下げて外に片足を踏み出してから、やっぱりもう一度振り返る。
「あ……違う、ありがとう、だ。ありがとうライザーシャープ、だ。間違えた」
言い直してから外に出て、車のドアを柔らかく閉め
「気をつけてね」
という砂子の言葉に会釈して飛び立った。二人が去った夜の空を、津賀は、呆けた顔でしばらく眺めていたが、やがて、少し血の滲む口の端を、にゃっと緩め、掠れ声で呟いた。
「……やばい……オレちょっと泣きそ……」
「ありがとう、て言ったね」
砂子は何だか胸が詰まりそうだった。
「あのね……ありがとうウル×ラマン、とか、ありがとう覆面ライザー、とか言うのは、ヒーローにとっては特別な言葉なんだよ……オレ、初めて言われた。クビになる前に聞けて、よかったな……うれしいなあ……」
そう言った津賀の目はゼリーのようにキラキラしていて、零れそうで。砂子は、思った。
ああ、ドキドキはしないけれど、これは間違いなく、いとしさだ、と。
「あ!いないじゃん悪魔!」
「……畜生、受信機どうすんだよ……ああ、これじゃ俺ら普通にシャープの世話してるみたいじゃねえか……」
デストロイ・ブラック団は、頼まれてもないのに水以外の、キズ薬、湿布、包帯、ひえひえパッド、カロリーメイトなんかを抱えて戻って来た。涙目の津賀を見た瓜生は、
「くっそ、何だこの状況!」
買ってきたティッシュを投げ付けた。津賀は、
「エヘ……アリガト…司令官」
と言って弱々しい手つきで鼻をかむ。
「お前ね、おかしいと思えよちょっとぐらい!俺達、悪なんだからね?解ってんの?」
言葉と裏腹に、テキパキと傷の手当てをしてくれる瓜生を津賀はニヤけて眺め、泣きそうな顔で剣を握っていた火村の事を思った。
その頃火村は、地竜の戦士、土屋悠人から連絡を受けて魔界に向かっていた。
「待て……つまり、じゃあ闇竜の玉の封印を解く方法を、伯爵は見つけたんだな?」
そういう事だ、と電話の向こうの土屋は深刻な声を出した。
「潜入した、いずみからの報告だ。間違いない。奴は、今夜、封印を解く儀式を行う。急いで来てくれ」
「ケホッ……わかった。いずみは、無事なのか」
少し噎せながら返事をした火村に、土屋は
「ああ。……それより、どうした竜二。泣いてるのか?そっちで何かあったのか?」
驚いたように尋ねてきた。
「いや……何でもない」
火村は、目頭を押さえて、少し深呼吸をした。