第十一話 シアワセの青い鳥
砂子は、「全国版ヒーロー名鑑」を手に、夜の中を歩いていた。
知恵熱のようになった頭を冷たい空気が冷やしてくれるのが、心地よい。職業柄、夜型人間の砂子であるから、暗くなった町の方が落ち着くのは当然と言えた。
告白そのものに気をとられてパニックになっていた脳がようやく冷静になると、砂子は今やらなくてはならない事に気付いた。
津賀と恋ができるかどうかはともかく、津賀が悲しい思いをするのは砂子も悲しかった。それは、ヒューマニズムというよりももっと根源的な気持ちだと砂子は思っている。
欲求に従おう。
そうすれば選択は自動的になされる気がする。
よぼよぼと点滅する外灯の明かりを頼りに、砂子は「ヒーロー名鑑」の最後のページを開いてみる。歩きながら本を読むのは慣れていた。
正義の味方委員会 TEL・03-1637-××××
「よっし……」
砂子は思わず呟いて軽く拳を突き上げた。
クレームつけまくってやる、声変えて何度もかけてやる、嘆願書も送っちゃる。絶対にツガケンをクビになんかさせないから。
叩きつけるように本を閉じると、妙なやる気が湧いてきて。同時に、腹ごしらえをしたくなった。砂子はコンビニでおやつを買って来なかったのを後悔した。
午後7時過ぎ。みめ屋、まだ開いてるだろうか?
その頃。当の津賀賢太郎本人は、みめ屋前の駐車場横に設置された電信柱によじ登っていた。
「この野郎、ちょこまか逃げやがって!貴様にはプライドってモンがないのか!?」
怒鳴る火村に津賀は
「だだだってしょうがないじゃん!オレアンタと違って血統とか関係ない低予算ヒーローなんだもん」
言い返しながらぴょんと隣の電柱に跳び移る。火村は赤い光を纏って、半分宙に浮くような感じでそれを追いかけた。
「ちょ、うっそ!飛べんの!?」
ウワアアアやばい……。
嫌な汗が、津賀の背中を伝っていく。ライザーシャープの唯一の長所はすばしっこさだけ。相手が飛べるとなるとその利点も半減してしまうのである。
津賀はマンションの給水タンクに飛び移る。だが火村が振り下ろした剣は、タンクを完全に破壊するほどの威力を持っていた。間一髪で避雷針の所まで逃げていた津賀は、火村のケタ違いの攻撃力に震え上がりつつも、マンションの住人にすごく申し訳ない気がして、
「ちょ、ちょっ待ってタンマ!ほら!管理人さんに言わないとやばいよこれ……こ、こんなにしちゃって……」
と、オタオタしながら吹き出る水に近づいた。火村がそれを好機と見たのは当然である。
「隙ありっ」
横凪ぎの剣筋が、初めて津賀の胴体を捉らえた。
「にゃぐっ」
蹴られた猫のような声を出して、津賀はマンションから墜落。落ちると言うより、ぱちん、と叩きつけられる形でマンション直下のアスファルトにぶつかった小柄な身体が、バウンドしてから憐れっぽく転がった。
「ちょ……タンマっつったのにい……」
吐き出した言葉と連動して脇腹の辺りに鋭い痛みが走り、津賀は病気の子供のような咳を数回。濃紺色の装甲は、切り裂かれこそしなかったものの、剣の当たった部分は事故車のようにへこんでいる。津賀は外灯につかまってどうにか立とうとしたが、火村に頭を掴まれて吊り上げられ、ジタバタともがいた。
「や……やめてえええその持ち方痛いよ痛いよ……」
「お前ねぇ……」
火村は、呆れて溜息をついた。
「悪に味方するならするで、俺を敵と割りきれよ。やる気あんの?お前」
火村は、津賀に全く殺気が無い事に苛立っていた。津賀は掠れ声で
「……ムリですよう」
と足をバタバタさせるばかりで。
「お前に構ってるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。もういい。奴らのアジトは自分で探す。邪魔だけはするんじゃないぜ」
そう告げて火村は手を離そうとした。しかし津賀は
「そ……それもムリなんだってば……」
まだそんな台詞を吐く。頭にきた火村は、津賀の鳩尾を蹴り上げた。
「みぐ」
と、鳴き声を上げてダンゴ虫のように丸まった津賀の首筋に、火村は剣を突き付けた。
「ふざけるな。俺は、お前みたいな中途半端なコウモリ野郎が今日までヒーローをやっていた事に我慢がならない!……それに、それに……」
火村は。まくし立てながら自分でも何だか解らない、モヤモヤした罪悪感のようなものに心を掻き立てられていた。悪の味方をしているのに殺気の無いライザーシャープと戦っていると、段々と、何かが崩壊しそうな気分になってくる。
クッ……何だ、これは……。
火村は焦りを覚える。
一方、津賀は、鳩尾の一発で意識がめろめろになってしまっていた。火村の言葉も首筋の剣も、まとまらない思考の断片となってぐるぐると頭の中で回転している。
ただ、遠くで砂子の声が聞こえたように思った。
と、その時突然に
すこーん!
乾いた音。
「誰だ!」
火村が、鎧に投げ付けられた小石の飛んで来た方向を振り返っているうちに、なんとか、這うようにして津賀は剣先から逃れる。
ずいぶん遠くの方に、本を抱えたおダンゴ頭の女が走り去って行く姿が見えて、火村は
「な……何だあの女…嫌がらせか?」
困惑した。
何だ、この町は。
「どうかしてる……正しいのは俺のはずだろ?一般人までお前に味方すんのか?おかしいって、絶対。ここは悪の巣窟か?おい」
崩れそうな信念を必死で建て直そうと、火村は剣を握りしめる。
「馬鹿な……俺は正義の、味方なんだぞ」
火村は、崩壊していく自分の正義にすがりつくように剣を振った。津賀は、
「はにゃ……」
と、腑抜けた声を出し、かわそうとするが既にフラフラだった。火村は勝利を確信する。
けれど、
ああどうして、心が苦しいんだ?正しいのは俺なのに。
「クソッ!」
振り下ろした炎の剣が津賀の頭に命中した。赤い目玉にパキン、と亀裂が入る。クラリとよろめいた胴部にもう一撃。火村は手応えを感じた。だが、いつものような、悪を倒している爽快感が全く無い。濃紺色の津賀の身体が、ブロック塀に突っ込む様は、何だか撃ち落とされた鳥のようで、
しかも、それは青い鳥なのだった。
火村はギュ、と痛む心を懸命に抑えた。
砂山砂子は、スカートのスリットの事も、髪形の乱れるのも無視して、全速力で走っていた。
ツガケンが、ツガケンが死んじゃう!誰か呼ばなきゃ!
言うまでもなく、火村に石を投げたのは砂子だった。みめ屋の前で、首筋に剣を突き付けられたライザーシャープを目にした途端、咄嗟に手が出てしまったのだ。
やってから、気付いた。
あれは、昼間見て来たドラゴン何とかという人気ヒーローではないか。
それがなぜこんな町にいて津賀を虐めているのかは砂子には分からなかったが、とにかく。何とかしなければ。
警察呼ぶか?いや、警察はあいつの味方をするかもしれない……じゃあ、頼るのは……
砂子の足は真っすぐに、コーポ村石へと向かう。
「お願い助けて!ツガケンが大変なのっ!」
その大声に、コーポ村石の古びた階段下に溜まっていた、レヴ、ネロ、そして白根と瓜生も、心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。
激しく息切れして今にも泣きそうな砂子に、ネロが心配そうに尋ねる。
「せ、センセイ……どうしたの」
何かを説明しようと口をパクパクさせながらも、一言も出てこない自分に苛立った砂子は、ヒーロー名鑑の「竜戦士キングドラゴン」のページを開いてみせて、
「コイツ……この赤いのに、やられちゃう……っ」
喘ぐようにやっと、それだけ告げる事ができた。
「つがさんが……?」
ネロの怯えた声に、砂子は、コクリと頷く。
「ちょいまちお姉さん、ツガケンて、もしかして、津賀賢太郎のこと?ライザーシャープの!?」
白根が素っ頓狂な声を上げた。砂子は声にならない声で答える。瓜生は、ヒーロー名鑑を手に取って穴があくほど見つめ、
「ば、馬鹿じゃねえのか。何考えてんだアイツ……キングドラゴンつったら実力派人気トップの花形ヒーローじゃないか。それに喧嘩売ったのか?ライザーシャープのくせに?」
そう言って、ガリガリとアイパッチの下の目を擦った。
「格が違う。死ぬぜ、アイツ」
「マ、マジすか……」
落ち着かない様子の瓜生と白根を振り返ったレヴが
「手伝ってよ」
当然のように言った。
「えっ」
「はっ?」
妙な表情で固まる二人にレヴは続けた。
「手伝ってよ。頭のコレ、返すから」
「いや、それは君……」
瓜生は神経質にアイパッチの位置を直しながら。
「無理でしょ。奴はあれでもウチの組織の敵なんだし……助けるのはちょっと」
「悪魔お前……何考えてんだかわかんねえ奴だなあ相変わらず。よりによって、俺達に頼むか?ふつう……」
白根も呆れた顔をした。
「別に、聞いてみただけ」
レヴはそう言って、アパート裏の月極め駐車場に車を取りに行った砂子とネロの後を追った。その後ろ姿を見送りながら、瓜生は。
「え、あ、そうなの……なんだ」
拍子抜けしたようにそう呟いた。隣の黒い全身スーツの白根は、ボンヤリと突っ立っている。瓜生には、部下が何を考えているかが、何となく判った。
「…………」
コーポ村石、と書かれたコンクリートの柱に、暗い蛍光灯が付いていて。その薄明かりに照らされながら、瓜生と白根が思い浮かべたのは。
小柄な猫背の鳥男。
ひん曲がった自転車、鼻歌、
ライザーシャープはいりまーす
司令官と部下は、津賀のマヌケな挨拶を思い出して同時に吹き出した。
「瓜生さ……じゃねえ、ダーク司令官。シャープ、まじでブッ殺されちまうんすかね……」
「どうだろうな……その方が助かるっちゃあ助かるけどな……」
瓜生は寒そうにマントの衿を立てた。
「……マジかあ……」
白根は下を向いて、スーツに縫われた三ツ目のドクロマークを眺める。
「ていうか瓜生さん、」
あえてそう呼んだ、のだと判った。だから瓜生は訂正しなかった。
「何だよ」
「何ってわけでもないけど……ライザーシャープって俺らの、敵なんすよね」
「そうだけど」
「実質これ横取りじゃねーんすかこれ……いいんすか。あいつは〈俺らの〉敵なんじゃねーんすか」
瓜生はため息を吐いて、アイパッチの下の目を掻いた。
「くっそ、世話焼かせやがる」
30万で買った、中古オートマ車のハンドルを握る砂子の息切れは、治まっていた。それどころか
「行くよ、いいね」
まるでカーレースにでも出走するような気迫で砂子はアクセルを踏んだ。
助手席にはレヴ、膝の上に魔力鍋を被ったネロ。
そして後部座席には、瓜生と白根。
「やっぱ来んの?」
バックミラー越しにレヴが、少し面白そうに尋ねると
「ライザーシャープはいずれ俺らの支部で仕留めんだよ。その方が明らかにおいしいじゃん」
と言ったのは白根。瓜生は
「受信機だよ、受信機。キミ、約束ちゃんと守ってよね」
弁解がましく付け足した。
ライザーシャープを救う会。
奇妙な五人の混成チームは、時速50キロで走り出す。




