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 「それでね。関本先輩が……。」

 次の週、私はいつも通り大学にやってきた。講義はあまり理解できていなかったが、出席さえすればこっちのものだ。授業態度の真面目な綾瀬さんという印象だけは、崩すわけにはいかない。

 そうこうしているうちに昼休憩となり、私は紗南と一緒に学部棟のテーブル席に腰掛けていた。ここまでは、大体いつも通りだ。だが、今日は普段と違う点があった。それは、紗南の話す内容が惚気話ばかりだと言うことだ。

 「何があっても私を優先してくれるの。レストランでもソファ側に座らせてくれるし、レディファーストってこう言うことなんだあって思った。」

 「ふうん。関本先輩ってそういうところ気にするタイプなんだ。」

 そういえば、晶馬くんも映画館で、必死になって私に奢ろうとしてくれたっけ。今考えてみると、あれも彼なりに男子として頑張ろうとした結果だったのかもしれない。

 「また二人で遊びに行く約束をしたんだ。ああ、楽しみだな。」

 「どこに行くの?」

 「町外れにある丘だよ。」

 「丘?」

 「うん。『星見の丘』って言ったらわかるかな。その筋では結構有名らしいんだけど。そこにはね、UFOの目撃証言がたくさんあるの。だから二人で見にいってみようって。」

 それなら私も知っている。名前の通り、本来は天体観測で使われることの多い場所なのだが、同時にUFOの目撃証言も多い。つい最近も動画サイトにUFOを撮影したという動画が上がっていた。赤く輝く円盤状の光が不規則に飛び回っている、と言うものだった。だが、私の見立てでは、あれは偽物だ。根拠があるわけではないが、CGで作ったものだと思う。

 「いつ行くかはまだ決まっていないんだけどね。今週の土日は無理だろうから、多分来週の土日かな。」

 なんにしても、そういうのはサークルで行ったほうがいいのではないだろうか。その方が機材も揃っているし、効率的だ。だが、私はそう言い出せなかった。二人が楽しいのなら、私が口を出す謂れもないだろう。

 「ならしっかりと撮影してきてね。UFOが見つかったらすぐに連絡して。」

 「もちろん! ところでなんだけど。」

 「何?」

 正直私は、この時意外に思っていた。紗南の方から惚気話を打ち切るとは思っていなかったのだ。

 「理衣は誰かと付き合おうとは思わないの?」

 私は思わず目を丸くした。突然なんだと言うのだ。

 「どうしたの、急に。」

 「えっとね。理衣は私に協力してくれたでしょ。だから私も、理衣に好きな人がいるなら協力しようかなって。」

 この子は本当に、人の心にズカズカと入ってくる。それがいいところでもあるのだが、細やかな気遣いができるとはいえない。

 「気持ちは嬉しいけど、大丈夫だよ。そんな人、いないし。」

 私は晶馬くんとのことを誰にも話していなかった。ついこの間まで中学生だった子と付き合うなんて、言えるはずがない。

 「そう? 本当に?」

 「何よ、私が嘘をついているって言うの?」

 「そう言うわけじゃないんだけど……」

 ならどう言うわけだと言うのだ。私は無言で、彼女に続きを促した。

 「怒らないで聞いてね。理衣、私が恋愛の話をする時、すごく寂しそうな顔をすることがあるから、何かあるのかなって。」

 「えっ?」

 そんな顔、していただろうか。私自身すら気づかないうちに、感情が漏れ出ていたと言うのだろうか。紗南のことをあまり心の機微が読めない方だと思っていたが、案外鋭いのかもしれない。

 「もしかして、もしかしてなんだけど。理衣も関本先輩のこと、好きだったりする?」

 前言撤回。やはり紗南は紗南だ。

 「いやいや、それはないから。安心してよ。」

 「本当? だったらいいのだけど。」

 紗南としては、手に入れたばかりの関本先輩を誰かに取られるなんてあってはならないのだろう。綺麗な宝石を持っているのは自分だけでいいのだ。だから、少しでも宝石に触れる可能性のある人には牽制しておきたいのだろう。だが、その中に私が含まれているとは思っていなかった。私に協力すると言ったのも建前なのか。正直、少し寂しい。

 「もし私が関本先輩のことを好きなんだとしたら、紗南に協力なんてしないよ。私、そこまでお人好しじゃない。」

 「そう、かな。ごめん、変なことを聞いちゃった。」

 「いいよ、大丈夫。」

 「でもでも、協力するって言ったのは本当だよ!」

 「はいはい。どっちにしても、協力してもらうことなんて何もないから。」

 私は自分の本音を隠せていると思っていた。しかし、紗南にも榊先輩にもある程度見透かされていた。これは、注意しなければならないかもしれない。

 その時後ろから声をかけられた。

 「そこのお二人さん、一体何のお話かな?」

 「あ、栗栖先輩。」

 紗南が笑顔で手をあげる。振り返ると、そこにはニヤニヤと笑っている栗栖先輩の姿があった。珍しいことに、素面である。

 「栗栖先輩、別に大した話じゃないですよ。」

 「そんなこと言わないでくれ。せっかく先輩が相談にのってやろうとしているのに。」

 栗栖先輩は空いていた椅子を持ってきて、私たちのテーブルに着いた。

 「それで、綾瀬の好きな人がなんだって?」

 「だから、そんな人いませんってば。」

 「それはそれでどうなんだね。花の女子大生が恋愛もせずに青春を終えるなんて、あってはなるまいよ。」

 「そういうものでしょうか。」

 「そういうものだ。」

 断言されてしまった。

 「まあ、冗談は置いといてだ。綾瀬、ありがとう。」

 「えっ? 何がですか?」

 「城戸のことだよ。君が言ってくれたんだろう? 城戸に告白するように。」

 ああ、そのことか。私は喚き散らす後輩の姿を思い出していた。

 「されたんですか? 告白。」

 「ああ、されたされた。実に情熱的なものだった。私も思わずクラっときてしまったよ。」

 思っていたよりも、城戸くんはずっと早く行動に移したらしい。その行動力は賞賛に値する。これからは、自分一人でもその行動力を発揮できるようになってほしいものだ。

 「それで、返事は?」

 「もちろんOKしたさ。じゃないと感謝なんてしない。」

 それもそうか。なんと恐ろしいことに、うちのサークルメンバーはこの数週間のうちにほとんどが誰かと付き合うことになったらしい。

 「いやあ、男子から告白されるのなんて初めてでなあ。思っていたよりも嬉しいものだな。」

 「すごい! 理衣って愛のキューピットなの?」

 「恥ずかしいこと言わないでよ……。」

 「でもでも、私と関本先輩、それに栗栖先輩と城戸くんの間を取り持ったわけでしょう? やっぱりキューピットだよ。」

 「素晴らしい。これからはキューピット綾瀬と呼ぼう。」

 「やめてくださいってば。」

 私は思わず辺りを見回した。誰かに聞かれていないだろうか。その瞬間、隣の席に座っていた男子と目があった。少し目が落ち窪んでいる。確か、紗南に関本先輩とのことを相談された時にもいたような気がする。

 「どうした、キューピット綾瀬。」

 「本気でそう呼ぶつもりですか? 先輩。」

 「冗談、冗談だって。そんな顔をするな。それで、何かあったか?」

 「いえ、最近同じ人と目があうなと思って。」

 「同じ人? どいつだ。」

 栗栖先輩が振り返って見たが、すでにその男子はいなくなっていた。

 「すみません。もういないみたいです。」

 「そうか。まあ、偶然だろう。」

 私にはそうは思えなかった。彼は、紗南のファンなのではないだろうか。本人の気づいていないところで、紗南は妙に人気を集めている。彼女の側に近づきたいという男子は少なくないはずだ。そんな折に関本先輩との交際の事実が広がって言ってしまったら……。

 「綾瀬、おおい。大丈夫かあ。」

 栗栖先輩の呑気な声に、私の思考はかき乱された。思わず深くため息をついてしまう。まあいい。

 「ところで先輩、一つ聞きたいんですけどいいですか?」

 「何だ? 言ってみなさい。」

 「それじゃ遠慮なく。先輩は城戸くんのこと、告白される前から好きだったんですか?」

 「何だ、そんなことか。ああ、好きだぞ。」

 栗栖先輩の頬が僅かに赤くなった。さすがに正面から聞かれると、栗栖先輩といえども恥ずかしいらしい。

 「自分で言うのも何だが、誰が見ても私から城戸への好意は明らかだったんじゃないか?」

 「そうですね。見るからにって感じでした。」

 「だろう? だったらなぜそんなことを聞くんだ?」

 「いえ、好きなら先輩の方からさっさと告白したらいいのにと思ったものですから。」

 先輩の方から告白していれば、城戸くんも悩むことはなかったのだ。思わせぶりな態度を取り続けるのは、あまり感心できることではないと思う。

 「いやいや、言ってくれるじゃないか。まあ、確かにその通りなんだが。」

 「では、なぜ?」

 「そうだなあ。私といえど、告白するのにはそれなりに勇気がいると言うのが一つ。それに、付き合う前の甘酸っぱい関係を味わいたかったと言うのが一つ。後は、まあいいじゃないか。」

 どうやら先輩にも羞恥心というものはちゃんとあるらしい。プイと横を向いてしまった。

 「いやいや、それじゃあ納得できませんよ、あとは一体——。」

 「ダメだよ理衣。先輩恥ずかしがっているじゃない。」

 紗南に制止されてしまった。これでは私の方が空気の読めない人間のようではないか。

 「乙女心は複雑なのだよ。」

 まるで黄昏た空を見上げるかのごとく遠い目をしている栗栖先輩に、私はやる気を失ってしまった。

 「わかりました。もういいです。」

 「拗ねるな拗ねるな。何にしても、だ。綾瀬のおかげで私たちの関係は一つ進展した。改めて礼を言うよ。」

 「別に大したことじゃないですって。」

 実際に私がしたことは、城戸くんへの意地悪であって真っ当な応援ではない。それなのに、こんなに感謝されると背中が痒くて仕方がない。

 「さて、では元の話題に戻ろうか。綾瀬、お前はどんな男が好きなんだ?」

 「戻すんですか、話題……。」

 「あ、でも私も聞いてみたいかも。理衣のタイプ。」

 どうしてこうなった。私は彼女たちと違って恋愛についてなんて語りたくないのだが。

 「いいじゃないですか、そんなの。」

 「そうはいかない。後輩について色々知っておくのも先輩の務めだ。」

 「他にもうちょっとあるでしょ、先輩の務め。」

 「いいじゃない、理衣。好みのタイプだけでいいんだからさあ。」

 二人して身を乗り出して私に畳み掛けてくる。鬱陶しくて仕方がない。これは適当にでも言っといたほうが良さそうだ。

 「わかりましたよ。言えばいいんでしょう、言えば。そうですね。誠実で、優しい人がいいです。」

 「それは大体誰でもそうだろう。もっとこう、あるだろう?」

 「何フェチとか、愛したい派か愛されたい派かとか。」

 何が彼女たちの興味を引いているのだろうか。私はちょっと引きつつ、質問に答えた。

 「フェチっていうようなものはないかな。どっちかっていうと愛されたいタイプだと自分では思う。」

 「ほう、意外だな。」

 「そうですか?」

 「ああ。綾瀬はどっちかっていうと愛情の強いタイプだと思っていたからな。」

 「確かに、クールな見た目に反してそういうところありますよね。」

 「ギャップ萌えだな。」

 二人は勝手にきゃあきゃあと盛り上がっている。どうして女子はこうも恋愛ネタが好きなのだろうか。

 「せっかくだし、私が誰か紹介してやろうか?」

 「えっ? いいですよ。迷惑でしょう?」

 「いや、そんなことはないぞ。私はこれで男友達が多くてな。綾瀬に合った男を紹介できるかもしれない。」

 「先輩、妙に顔が広いですもんね。」

 「誠実で優しくて、愛してくれる男がいいんだったな。そういう懐の深そうな男なら何人か知っている。会ってみるか?」

 「いや、そういうのは求めていないんで。」

 「いいじゃないか。彼氏がいるっていうのも、いいものだぞ。なあ、香月。」

 「そうですね。幸せです!」

 「例えば経済学部の川野なんかいいんじゃないか?すごく誠実で、筋は通す性格だ。一度心に決めた相手には、どこまでも尽くすと評判だ。」

 「そんなこと言われても。」

 「法学部の熊田もいいかもしれんな。名前の通り熊のような大男だが、見た目に反して紳士的な男だ。他にも文学部の——。」

 「いいって言っているじゃないですか!」

 思わず大声を出してしまった。我慢の限界だった。私の恋愛は、私がどうにでもする。研二くんに対する気持ちを持ったまま、他の男に靡くなんてありえない。

 突然大きな声をあげた私に驚いたのだろう。二人は固まってしまっている。そんな二人に、私は続けた。

 「二人とも、彼氏ができたからって少し盛り上がりすぎなんじゃないですか? 私のことは私が決めますから放っておいてください!」

 シンとする空間。まるで時間が凍ったかのようだった。その気まずさに、私はハッと我に返った。

 「——すいません。ちょっと声を荒げてしまいました。」

 「あ、ああ。こちらこそすまなかった。そうだよな。君のことは君が決めるべきだ。お節介が過ぎたな。許してくれ。」

 「ごめん、理衣。ちょっと調子に乗っちゃったみたい。」

 二人とも慌てて頭を下げた。もともと悪い人たちでないことは私もよくわかっている。私もこれ以上引っ張るつもりはなかった。

 「いえ、わかってくれたのならいいんです。それにしても、栗栖先輩。本当に顔が広いんですね。あんな風にポンポン名前が出てくるなんて。」

 「ん? ああ、そうだな。サークルを掛け持ちしたりして割といろんなところに顔を出しているからな。自然と知り合いも増える。」

 「そうなんですか。初耳です。」

 そんなに男友達が多いと、城戸くんも気が気ではないんじゃないだろうか。これから城戸くんは、さらに苦労することになるのかもしれない。

 「あ、もうこんな時間、そろそろ行かなくちゃ。」

 紗南が時計を見てそう言った。私も自分の時計を確認すると、次の講義の時間が迫っていた。

 「何だ、二人とも講義が入っているのか。大変だな。」

 「先輩はないんですか?」

 「ああ、今日はもうない。城戸が終わるまで待っていようかな。」

 「それじゃ先輩。私たちはこれで。」

 「ああ。……本当にすまなかった。」

 「もういいですって。では。」

 私たちは立ち上がると、次の講義の教室へと向かった。


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