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魔術師様の執着  作者: うる


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9/23

9.

翌朝。  石造りの古い宿屋の一室で、私は身支度を整えていた。  木製の雨戸の隙間から、薄暗い朝の光が差し込んでいる。


 コン、コン。


 格子窓が、外から叩かれた。


「おはよう、ルチア。迎えに来たぞ」


 鍵を開けて窓を押し開くと、そこには朝日を背に、漆黒のローブをなびかせたクライヴ様が浮いていた。  街並みを眼下に見下ろす姿は、まさに物語に出てくる魔法使いそのものだが、やっていることはただのストーキングに近い過保護な送迎だ。


「おはようございます……って、まだ朝の鐘も鳴っていませんよ? 塔までは歩いて行けますから、わざわざ来なくても」 「何を言っている。昨日の今日だぞ」


 彼は窓枠に手をかけ、当然のように部屋へ侵入してくる。


「私が目を離した隙に、またドラゴンやら何やらが君を攫いに来たらどうする。 私が毎朝迎えに来て、帰りは送っていく。決定事項だ」


 有無を言わせぬ迫力だ。  どうやら昨日の雪山での一件が、よほどのトラウマになっているらしい。  私はエプロンの紐を締め直しながら、ため息まじりに頷いた。


「分かりました。では、お願いします」 「うむ。しっかり掴まっていてくれ」


 彼は嬉しそうに私の腰を抱き寄せると、転移魔法の詠唱を紡いだ。  視界が歪み、一瞬にして宿屋の景色が消え去る。  馬車も徒歩も必要としない、この世界で最も贅沢な通勤手段である。


 ◇


 一瞬で、塔の正門前にある石畳の広場に到着した。  はずだった。


「……あ?」


 着地した瞬間、クライヴ様の喉から不機嫌そうな唸り声が漏れた。  塔の正門前には、見慣れないものが停まっていたのだ。


 4頭立ての白馬に引かれた、巨大な箱馬車。  漆塗りの車体には金箔の装飾が施され、扉には「聖なる十字と杖」の紋章――この大陸で絶大な権力を持つ『聖教会』のエンブレムが描かれている。  その周囲を固めるのは、鎖帷子チェーンメイルの上に白いサーコートを纏い、ハルバードを手にした数名の聖騎士たちだ。


「……チッ。朝から胸糞悪い連中がいるな」


 クライヴ様が露骨に舌打ちをした。  その殺気を感じ取ったのか、馬車の重厚な扉が開き、一人の女性が降りてきた。


「――やはり。空間転移の魔力反応……ご帰還ですね、クライヴ殿」


 純白の修道服ハビットに、金糸の刺繍が入ったストラをかけた、高位の聖職者と思われる女性だ。  知的な顔立ちに、銀縁の眼鏡をかけ、手には魔力を帯びた白い杖を持っている。  彼女は鋭い眼光でこちらを見据え――そして、クライヴ様に腰を抱かれている私を見て、ピクリと眉を跳ねさせた。


「……ほう? これは驚きました」


 彼女は眼鏡の位置を直しながら、信じられないものを見る目で私たちを見比べた。


「あの『人間嫌い』で有名な大魔導師様が、わざわざ空間転移を使って、女性をエスコートして出勤ですか。  しかも相手は……貴族でもない、ただの平民の娘のようですが?」


 彼女の視線が、私を品定めするようにじろじろと舐め回す。 (いや、見えないかもしれませんがこれでも立派な男爵家の令嬢だし)。 厳格な身分社会において、聖職者が平民を見る目は冷ややかだ。


「……グレンダ枢機卿か。何の用だ」


 クライヴ様が私を背に隠すように前に出た。  その声は、私に向ける甘いものとは別人のように冷酷だ。


「私の敷地内に薄汚い馬車を停めるなと言ったはずだ。消し炭にされたいのか?」 「相変わらずの暴君ぶりですね。ですが、今日は公務です」


 聖女グレンダ様は、怯む様子もなく一歩踏み出した。


「昨日、北の山脈で観測された異常な魔力反応……および、封印されていた『黒竜』の完全消滅について、調査に参りました。  あれほどの高位竜を一撃で葬り去る力……教会の認める『聖属性』でも『精霊魔法』でもない、禍々しい『闇』の力とお見受けしましたが?」


「…………」


「もし貴方が、教会が禁じている『深淵の闇魔法』に手を染めているなら、見過ごすわけにはいきません。  貴方を異端審問にかける必要があります」


 異端審問。  その言葉が出た瞬間、聖騎士たちが一斉に剣の柄に手をかけた。  この時代、教会に背くことは死を意味する。たとえ英雄であっても例外ではない。


 だが、クライヴ様の周囲に、バチバチと黒い雷が走り始めた。


「……面白い。神の威を借る狐風情が、私を裁こうというのか?」


 彼はニヤリと凶悪に笑った。


「いいだろう。試してみるか?  その仰々しい馬車ごと、お前たちが崇める神の御元みもとへ送ってやってもいいんだぞ」


 ヒィッ、と聖騎士たちが悲鳴を上げて後ずさる。  完全に「魔王」だ。  まずい。このままでは出勤初っ端から、塔の前が血の海になる。


 私は意を決して、クライヴ様の背中から飛び出した。  二人の間に割って入る。


「――お待ちください! お二人とも!」


「ルチア?」 「貴女は……?」


 私が割って入ると、二人の視線が集まった。  私はエプロンの裾を整え、精一杯の礼儀作法カーテシーで挨拶をした。


「申し訳ありません、聖女様。  主人は少々……いえ、かなり朝の機嫌が悪いもので。売り言葉に買い言葉はそこまでにしませんか?  立ち話もなんですし、中でお茶でもいかがでしょう」


 私の提案に、グレンダ様は怪訝そうに目を細めた。


「……家政婦風情が、この私に意見を?  まあいいでしょう。どのみち、中を調べさせてもらうつもりでしたから」


 彼女は私を一瞥すると、顎で塔の方をしゃくった。


「案内なさい。  ――そして、貴女が何者なのかも、じっくりと調べさせていただきますよ。  あの『魔王』に首輪をつけている飼い主さんが、どんな女性なのかをね」


 彼女の言葉に、ドキリとした。  その視線が、私の右肩――シャツの下にある痣のあたりで、一瞬止まった気がしたからだ。


 (……嫌な感じ)


「ルチア、無理に招き入れる必要はないぞ。私が全員追い払って……」 「ダメです。穏便に済ませますよ」


 私は殺気立つクライヴ様をなだめ、重い鉄の扉を開いてグレンダ様を招き入れた。


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