22.
ドスンッ!!
重い地響きを立てて、クライヴ様が焼け焦げた庭に降り立った。
膝をつき、激しく咳き込むその姿は、舞踏会で私をエスコートしてくれた優雅な大魔導師とは別人のようだった。
「ゲホッ……ハァ、ハァ……ッ」
彼は荒い息を吐きながら、抱きかかえていた「古びた杖」をそっと地面に下ろした。
まるで、壊れ物を扱うかのような優しい手つきで。
「……あんな、ただのゴミのために?」
私の隣で、エミルが信じられないというように呟いた。
私も同じ気持ちだった。
伝説の魔導書でも、強大なアーティファクトでもない。魔法の初心者すら使わないような、古くて傷だらけの木の杖。
あんなもののために、彼は私を置いて炎に飛び込んだというの?
「……チッ。しぶといな……」
エミルの口から、微かに舌打ちのような音が漏れた気がした。
しかし彼がすぐに私を庇うように前に出たため、気のせいだったのかどうかは分からない。
「行こう、姉さん。あんな人、もう見る必要ないよ」
「でも……」
「姉さんを置いていったんだよ!? 自分のガラクタのために!」
エミルが私の腕を強く引いた。
その声に反応したのか、うずくまっていたクライヴ様が弾かれたように顔を上げた。
「……ルチア!?」
アメジストの瞳が、私を捉える。
彼はよろけながら立ち上がると、私に向かって手を伸ばそうとした。
「無事だったか……! よかっ――」
しかし、彼の言葉は途中で凍りついた。
私の周囲に転がる、無残に切り裂かれたガーゴイルの死骸。
そして、恐怖で涙を流し、弟の腕の中で震えている私の姿を見たからだ。
「あ……」
クライヴ様の顔から、サッと血の気が引いていくのが分かった。
自分が目を離したほんの数分の間に、私が魔物に囲まれ、死の危険に晒されていたのだと、彼はその光景からすべてを悟ったのだ。
「今さら、安堵したような顔をしないでください!!」
エミルが鋭い声で吠えた。
「あなたは姉さんを見捨てた! 魔物がうろつくこんな場所に、たった一人で置き去りにしたんだ!
僕が駆けつけなかったら、姉さんは死んでいたかもしれないのに!!」
「……ッ!!」
クライヴ様は、まるで透明な剣で胸を貫かれたかのように、大きく息を呑んでよろめいた。
いつもなら「黙れ小僧」と一蹴するはずの彼が、今は一言も言い返せない。
「違う……私は……」
かすれた声が漏れる。
彼は血の滲む手で自分の顔を覆い、ギリッと歯を食いしばった。
「私は……何ということを……。
あんなに……二度と、大切なものを失わないと誓ったのに……ッ!」
後悔。絶望。自己嫌悪。
最強の魔導師が放つその悲痛なオーラに、私は胸が締め付けられるような痛みを感じた。
彼が命がけで守ったあの「古びた杖」は、きっとただのガラクタじゃない。彼にとって、決して失ってはいけない「過去の贖罪」か何かなのだ。
だからといって、私を置き去りにしていい理由にはならないけれど。
「……姉さん、帰ろう。馬車が待ってる」
エミルの手が、私の背中を押す。
私はクライヴ様を見た。
彼は顔を覆ったまま、一歩も動こうとしない。引き止める資格すらないと、自分を罰しているようだった。
「……クライヴ様」
私がその名前を呼ぶと、彼の肩がビクッと跳ねた。
「あの杖……無事で、よかったですね」
「ルチア……違うんだ、これは……」
「お世話になりました。……さようなら」
私は彼に深く一礼すると、背を向けた。
炎の熱と、煙の臭い。そして、初めて知る「胸が引き裂かれるような痛み」を背中に感じながら。
エミルに手を引かれ、暗い森の小道を歩き出す。
振り返ってはいけない。振り返ったら、きっとあのボロボロの彼を放っておけなくなってしまうから。
(これでいい。私は、私の帰るべき場所へ戻るだけ……)
◇
一方、焼け落ちていく塔の前に一人残されたクライヴ。
彼は地面に転がる「古びた木の杖」を見下ろしていた。
それは、かつて彼が「勇者」と呼ばれていた頃。
『かつての仲間(魔法使いの少女)』の遺品だった。
「……私は、また……」
過去の幻影に囚われ、今、目の前にある一番大切なものを、自らの手で手放してしまった。
彼の目から、大粒の涙が零れ落ち、焦げた土に染み込んでいく。




