お気の毒に
2月17日 辛亥
渋谷駅。
空はどんよりとした厚い雲に覆われており、風も強い。厚手のコートを着込んでいないと、自然と体を震わせてしまうほどの寒さが、東京の中心部を襲っている。
多くの人々が行き交う渋谷駅のスクランブル交差点。電光掲示板には明日の夜から関東平野部では雪が降るだろうとの予報が映し出されている。
約束の時間となり、保憲と晴朗が渋谷駅へ行くと、実資、そして一人の女性が待っていた。
「こんにちは、初めまして」
「初めまして、安倍晴朗と申します。今日はよろしくお願いいたします」
「賀茂保憲です。よろしくお願いいたします」
「若杉夏帆です。よろしくお願いします」
明るく長い茶髪をふんわりと巻いてからハーフアップにまとめ、ブラウンのチェック柄のダブルボタンコートに身を包んだ、若杉と名乗る女性は儚げに微笑みながらペコリと頭を下げた。
「突然の相談なのに、引き受けてくださってありがとうございます」
「大丈夫ですよ。四大生は時間にだけは余裕があるので、それに渋谷は……色々とありますから」
お互いの挨拶もそこそこに、4人は早速若杉が住んでいるマンションへと歩き出した。
「あの、失礼ですが……、本日は……彼氏さんは……?」
「一応伝えたんですけど……『くだらない』の一点張りで……。今日も朝から友人と出かけてくると言って、帰ってくるのも夜になるそうなので、気にしないでください」
「そう、ですか……」
若杉は申し訳なさそうに「すみません……」と小さく謝った。
家に向かう間、若杉は少しだけ自分のことを話してくれた。
彼女は写真を撮るのが趣味で、職業も趣味を活かしたフォトグラファーとして、渋谷を拠点に活動していた。
これまでは心霊写真は「どうせ加工」だと全く信じていなかったが、自ら心霊写真を撮ってしまったのが決定打となり、現在は写真を撮ることも怖くなってしまい、現在撮影自体は休んでいるのだという。
一方で彼氏はというと、定職には就いておらず、「いつか自分の店を持つ」等といった目標のもと、アルバイト先を転々としているらしい。
それを聞いた3人は、彼氏の『どうしようもない碌でもなさ』をひしひしと感じつつ、目的地へと歩みを進めた。
そうして渋谷駅から徒歩でしばらく歩いた、閑静な住宅街。
丁字路の突き当たり正面に、そのマンションは構えられていた。
「見た目は普通のマンション、だな」
「マンション自体はな」
「階数は?」
「5階です」
4人はオートロック付きのマンションに入って、エレベーターで5階へ上がった。
長い廊下を歩き、508号室と書かれた部屋の前までやってくると、若杉は鍵を取り出して玄関を開けた。
すると、男性用の靴が何足を散らかった、お世辞にも綺麗とは言えないような玄関が広がっていた。
「す、すみません散らかってて……!」
若杉は急いで散らかっていた靴を端に寄せたり、シューズボックスの中に適当に詰め込んでいく。
シューズボックスの上には若杉と彼氏がどこかの遊園地で撮ったであろう写真が飾られており、近くにはその遊園地で買ったであろうクマのぬいぐるみとドライフラワーが飾られている。
「お待たせしました……! どうぞ」
「お邪魔します」
玄関入ってすぐ左手にトイレ、目の前には脱衣所、さらにその奥は浴室で換気をしているのか、浴室に設置されている鏡が、玄関にいる晴朗たちを映し出している。
南向きの物件ではあるのだが、天気が曇っているせいか、リビングは昼間であるにも関わらず少し薄暗い。
北東にはカウンターキッチン、南東には寝室、南はバルコニーと、二人暮らしには十分の広さを持つであろう1LDKの物件だった。
「随分と賑やかなお部屋ですね」
「……人形がお好きで?」
「はい……遊園地に行くたびに、買っちゃうんです……」
晴朗は部屋の至る所に飾られている、クマやらネコやらの大小様々な動物のぬいぐるみに視線がいった。実資が聞いてみると、若杉は「もう30過ぎなんですけど……中々卒業できなくって……」と、照れ気味に答えた。
「ふうん……」
「写真の撮れた場所が……こちらになります……」
若杉は恐る恐る、心霊写真が撮れた場所であり、かつ事故物件になる原因となった、かつて女性が刺殺されたとされる場所でもある、寝室の扉を開けた。
扉を開けてすぐ左手にはクローゼット、右手には大きな窓があり、中央にベッドが設置されている。さらにはこちらの部屋の至る所にも、ぬいぐるみが置かれている。
「確か、写真が撮れたのはカーテンの内側、でしたね」
「はい……あの時は……こんな感じの画角で……」
若杉が自分のスマホを取り出して、当時の撮影状況を再現し、保憲が寝室に入ろうと一歩踏み出した瞬間、
「ん?……」
浴室から、水の流れる音が聞こえ始めた。
晴朗と若杉が様子を見に行くと、勝手に給湯器が作動し、浴槽に水が溜まり始めていた。
「え……何で……?」
「AIの遠隔操作かなにかですか?」
「いえ、ウチにはそういった機器は、置いてないです……」
若杉は不安げな表情のまま答えると、「若杉さん」と、今度はリビングから実資の声が聞こえた。
二人がリビングに戻ると、天井の照明が消えていた。
晴朗は実資に「お前が消したわけじゃないよな?」と視線で訴えると、実資は「そんなわけがない」と言いたげに、ただ首を横に振った。
「もう……、最近変えたばっかりなのに……」
若杉が不満を漏らしながら、壁のスイッチを押して再び照明を付けた。と同時に、ひとしきり寝室を観察した保憲もリビングに戻ってきた。
「……」
「あの……どうでしょうか……?」
若杉が恐る恐る晴朗に幽霊がいるかどうかを聞くと、晴朗は渋い表情のまま、
「……以前依頼をされたという『自称陰陽師』とやらは、どういった感じでお祓いをしてたか、覚えていらっしゃいますか?」
「えっと、あの時は、リビングの中央で……、床になんか、よくわからない魔法陣みたいなものを描いた紙を広げて……」
「はぁ……」
「片手でなんか……、こんな感じのポーズをしながら『なんとかたまえ〜』……みたいな、おまじない? みたいなものを唱えて……」
「……はぁ……」
当時の状況を思い出し、『自称陰陽師』がやっていたであろう、片手で人差し指と中指を立てるありがちなポーズを真似しながら話す若杉を、3人は「(なんで陰陽師が祝詞……?)」と、困惑したような、それでいてうんざりとしているような表情で聞いている。
「……____それで、大体2、30分で終わったかな……?」
「……なるほど……」
「これでもう終わりかと思ったのに……お金返して欲しいくらいですっ」
「それは……お気の毒に……」
それなりの額を支払ったのか、若杉は頬を膨らませて怒りをあらわにしていた。
「……」
「あの……それで……幽霊は……」
「……幽霊以前に、色々と気になる所が……、あるというか……」
晴朗は少し話しづらそうに、言葉を詰まらせながらも、
「先に結論から申し上げますと……」
話を続けようとした時だった。




