陰陽師
天暦元年(947年)4月
ついに保憲が暦博士に就任した。
この時の保憲は30歳。
忠行様は50を迎えられたが、この頃はまだとても元気で、現役バリバリの陰陽博士。保遠も忠行様の下で地道に勉強し、得業生まであと一歩、というところまで来ていた。
昨年には三男の保章が元服。陰陽寮に行くのかと思いきや、別の思惑があったのか、典薬寮に配属していた。
親子揃って博士の任に就いたことで、やんごとない方々の間でそれなりに話題となったのか、二人に対する占いや祭祀の依頼が、更に増えていった。
ここ最近の二人の一日のスケジュールは……、午前中は陰陽寮で学生たちの育成と暦の計算。午後は貴族たちからひっきりなしに舞い込む占いの依頼をこなし、そして夜は祭祀の執行と……。忠行様も保憲も、多忙に多忙を極めていた。
対して俺は……。未だ大舎人で足踏みをしていた。
数度、内裏に侵入しようとしていた不届者数名を一人でぶっ飛ばして捕縛した、という功績はあったものの……、貴族たちの間でそれが話題に上がることは一度たりとも無かった。
「……星……」
この日も俺は、夜の警備で内裏の外周を周回しながら、子どもの頃に忠行様と保憲と共に見上げた夜空に浮かぶ星を、それとなく見つめた。
「そういえば……、俺が久々に喋ったのも、夜空の下だったか……」
あれからもう、20年という月日が経とうとしていた。
俺はこの時26歳。
あの時は、うんと腕を伸ばせば、あの星々に手が届きそうなくらい近くに感じていたのに、今はどんなに伸ばしても届きそうにない。
「……何やってんだろうな……俺……」
俺はこの20年。何をやっていたのだろう。
保憲はあんなに活躍しているのに、俺はまだ、スタートラインにすら立てていない。むしろ遠ざかっているような、そんな気さえしていた。
「あの時……、変な意地を張らずに……、素直に陰陽寮に入っていれば……。今頃アイツと……、肩を並べられていたのだろうか……」
今更、『後悔』という二文字が頭の中に浮かんだ。
このまま意地を張り続けて大舎人にいても、おそらく出世は見込めないまま、老いていくだろう。仮に子孫を残せたとしても、彼らにも同じような惨めな思いをさせてしまうかもしれない。
けれども、以前にあれだけ「俺なら行ける!」と言い張って、今更「やっぱり無理そうなので陰陽寮に行きたいです」なんて、あまりにも情けなさすぎるし、仮に言ったとして、果たして保憲も忠行様も、受け入れてくれるのだろうか。
それに、いずれは光栄が元服を迎える。あいつは間違いなく陰陽寮へ行く。何かと苛立たせる小僧ではあるが、そこは賀茂家の子。きっとすぐに頭角を見せるだろう。
「……俺は、どうすれば良いと思いますか……? ……父上……」
俺は夜空に向かって問いかけたが、答えが返ってくるはずもなく、星だけがキラキラと瞬いていた。
◇◇◇◇◇◇
天暦5年(951年) 12月
答えが見つからないまま、更に4年の月日が過ぎた。
いつの間にか、俺は30になっていた。
34歳になった保憲はついに来年、陰陽頭へ昇進することが決まったのだという。
いくらなんでも早すぎるだろう。それとも俺が遅すぎるのか?
この時の俺はまだ、陰陽寮全体が深刻な人材不足に陥っていたことを知らなかったから、失礼にも保憲の不正を疑ってしまっていた。
そんなこの年の暮れは、俺にとって最初で最大の転機が訪れた。
大晦日の大内裏で毎年催される宮中行事、追儺式。
俺は方相氏と共に鬼を追い払う役目を担う、儺人として参加することになった。
そして、方相氏と儺人が儀式を始める前、鬼に対して供物を捧げて祭文を誦みあげる陰陽師に、保憲が抜擢された。
「『今年今月、今日今時、時上直府、時上直事、時下直府、時下直事____……」
この日俺は、初めて保憲が祭祀に臨んでいる姿を見た。
「『大宮の内に、神祇官の宮主のいはいまつり、敬ひまつれる。天地の諸の御神たちは、平らけくおだひにいまさふべしと申す____……」
暦博士でありながら、祭文を誦み上げる役に選ばれた理由が、この時よくわかった。
保憲の言葉には力がある。
加えて占いの精度の高さ、暦の計算能力の高さといった実力もあって、人望もあって……。捻くれまくっていた俺とは違って、自然と人を惹きつける力が、保憲にはあるんだ。
祭壇の前で、泰然とした態度で祭文を誦みあげる保憲の姿は、夜なのに太陽のように輝いて見えた。
清々しいほどに完璧で、白眉最良という言葉が似合う男は、保憲の他にいないだろう。
「『……____奸ましき心を挾みて、留まり隠らば、大儺の公、小儺の公、五の兵を持ちて、追ひ走り刑殺さむものぞと聞こしめせと詔る』」
祭文を誦み終えると、最後に保憲は立ち上がって、膝を大きく持ち上げてから力強く地を踏み締める。邪を祓うための特殊な歩法反閇を踏んで役目を終える。
俺もいつか、あんなふうになれるだろうか……。
「……陰陽寮……」
俺は役目を終えて、同じ陰陽寮の職員であろう男と会話をしている保憲を見ながら、手に持っていた、桃の枝で作られた杖をギュッと握りしめた。
「陰陽師になれば……、____!」
祭文=陰陽師が誦む、祝詞のようなもの。
追儺についてはep.10をご参照あれ!!
追儺式は毎年2月に京都の平安神宮というところで、節分祭として復元、催されているそうです。陰陽師役も実際に出ていらっしゃるとか。生で見てぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!




