大舎人寮
『大舎人寮』
陰陽寮と同じ、天皇の側近事務などを司る役所である中務省の管轄下にある。
寮の長官である大舎人頭が一名。
副官である大舎人助が一名。
更にその下には、審査官である允が一名と、書記である属が一名と、事務官僚の人員構成は陰陽寮と変わらない。
大きく変わるのは、その下に連なる実技官僚の構成だ。
父上が所属していた『大舎人』。こちらの定員数がなんと400名。これでも大分減った方で、律令制が施行された当初は800名もいたらしい。
大舎人の下には、公文書の作成や書写を担当する史生が約40名。最下級職、使部の管理、監督を行う寮掌が約10名いる。
父上が所属していた大舎人の主な職掌は、帝の居住区である内裏を警護すること。また、帝が行幸する時はお供として必ず同行することだ。
俺がまず目指すべき場所、それがこの大舎人だ。
だが、大舎人になるためには、条件がある。
年に一回行われる選抜試験を受け、成績上位に入ること。そうすれば晴れて大舎人になれる。
定員数が400もいるから案外余裕……と、思うかもしれないが、この試験というのが筆記だけでなく実技もあるため、ある程度文武両道でないと割と落ちる。
そしてもう一つ。これが重要なのだが……、21歳以上であること。
この条件を満たさないと、そもそも試験が受けられない。
寮に入った時の俺は15歳だから、6年も待たないといけない。
現代だったら小学生が入学して卒業するまでの期間に相当する。
長い長い6年だった。
でも仕方がない、規則だから。それに父上だって、もしかしたら同じように数年待っていたかもしれない。
むしろこの6年はチャンスだと思った。
情けなくて、弱くて、何も出来ない自分を、徹底的に鍛え直す準備期間。
万全の状態で挑めば、きっと選抜試験なんてすぐに通過できる。
父上にできて、俺に出来ないなんてことは絶対にあり得ない。
俺はそう信じて、まずは最下級である『使部』と呼ばれる部署に入った。
ここでの仕事内容は、簡単にいうと雑用係だ。定員は約70名。
使部は大舎人寮内だけでなく、中務省や、別の役所にまで行って、使いっ走りをやらされる。つまり状況によっては、陰陽寮の雑用を任されることもあった。
陰陽寮は占いの他、祭祀を行うこともある。だからその準備を手伝うために駆り出されることも多かった。
ちなみにこの時、保憲は19歳で暦部門の学生、忠行様は39歳で陰陽博士。
特にこの時の忠行様はかなり忙しくされていて、1日に何度も占いや祭祀を行うために、平安京を東奔西走していた。
加えて、陰陽寮は人員不足に悩まされていて、俺も頻繁に陰陽寮へ足を運んでは、忠行様の祭祀を手伝った。
大変そうだと思う反面、真剣な面持ちで祭祀に臨む忠行様のお姿は、いつ見てもかっこよかった。実力も確かで、やんごとないお方々からの信頼も厚いし、その後の効果も絶大だと好評だった。
かっこよくて、羨ましいとも思った。
もし父上も生きていたら、こうして誰かの力になって、周囲から評価されて、信頼もされていたのだろうか。
一度そんなことを考え始めると、そんな父の姿をすぐ近くで支えられている保憲のことがもっと羨ましくなって、段々と俺の腹の中で、モヤモヤとした負の感情が湧き上がってくる。
いくら考えた所で、父上がいない現実は変わらないのに。
「いつも手伝ってくれてありがとう、晴明」
「お力になれて光栄です。いつでもお呼びください」
この時の忠行様は、何か言いたそうにしていたが、俺はそれに気が付かないふりをして、足早に陰陽寮を後にした。そして、そんな負の感情を殺すように、俺は黙々と一人、鍛錬に精を出した。
◇◇◇◇◇◇
天慶2年(939年) 4月
この年、賀茂家にとって喜ばしい出来事が2つあった。
1つは、次男の保遠が元服を迎えたこと。
この時保遠は14歳。保憲と同じように、陰陽寮に行き、忠行様と同じ陰陽部門の学生になった。
「おめでとう、保遠」
「ありがとうございます。晴明さん」
賀茂家の後を継ぐのは保憲だから、次男である保遠は、保憲の身に何かあった時のための控え。という立ち位置になる。残酷に思えるかもしれないけれど、当時における嫡男以外の役割なんてそんなもんだ。
保遠自身、その役割を理解した上で陰陽寮に入り、その後も献身的に保憲を支え続けていた。
「……晴明さんは……」
「? どうした? 俺がなんだ?」
「……いえ、……」
保遠は俺の顔をじっと見つめた後、
「……小耳に挟んだのですが、今、陰陽寮の天文部門はひどい人員不足らしく……、天文博士の中原善益様が頭を抱えていらっしゃるとのことです」
と、突然陰陽寮についての話題を投げかけてきた。
「……そうか」
「はい」
「……」
「……」
対して俺がそっけない返事を返すと、しばらく微妙な間が続いた。
「……それで?」
保遠は想定していたのと違う返事が返ってきて慌てているのか、困ったように視線を泳がせていた。
「……以上です。……では……、私はこれで……、」
そして結局、申し訳なさそうにしながらそそくさと去って行った。
おそらく、暗に「お前はいつになったら陰陽寮に来るんだ」と言いたかったのかもしれないが……。残念ながら、まだこの時の俺は、陰陽寮に異動するという考えは微塵も持っていなかった。
俺の頭の中にあったのは、父上の後を継いで、父上が生きていたという証を証明する。という、今思うとてんで的外れな意地だった。そして的外れであることに気付くのに、俺は10年もかけてしまった。
……とまぁ、間抜けな俺の話は一旦置いといて……。
話を戻して、賀茂家に起きた、喜ばしい出来事はもう1つある。
それは、保憲が長男を儲けたことだった。
「光栄?」
「そうだ。いい名前だろ?」
保憲の腕の中にすっぽりと収まってすやすやと眠っている。真っ白い布に包まれた、生まれたばかりの小さな赤子。
後に20年以上にわたって、俺と行動を共にすることになる、ある意味での問題児、賀茂光栄。
父親である保憲によく似た、ちょっとクセのある生成色の髪が、憎らしいほどにそっくりだった。
「ほら、光栄、晴明だぞ」
保憲が腕を傾けて、光栄の顔をよく見せてくれた。
だが光栄は角度が気に入らなかったのか、それとも俺の顔が気に入らなかったのか、突然泣き出してしまった。
「おっと、どうした光栄。腹でも空いたか」
保憲の腕の中で元気に泣き続ける光栄。
まさかこの赤子が、数年後にはとんでもないクソガ……、わんぱくな小僧に成長するとは、この時は誰も思わなかった。
以下平安裏話、
ちなみにこの時期(承平5年(935年)から天慶4年(941年))は、平将門の乱と藤原純友の乱が勃発していた頃でもあります。
取り扱おうか悩んだんだのですが、晴明と直接的な関係は無いのと、将門公を取り扱うのはどうしても畏れ多いというか、、、なので断念しました。
誅殺された将門公の御首は、しばらく平安京の東市に梟首されていたそうですが……、果たして晴明や保憲は、その御首を見たのでしょうか……?
なお、晴明は将門公との直接的な関係はありませんでしたが、忠行が平将門の乱と藤原純友の乱を鎮めるため、当時密教僧も知らなかった、とある密教修法を朝廷に奏上し、それが功を奏したのかは不明ですが無事鎮圧した。という話が残っております。
忠行は多分将門公と同世代であり、ワンチャン顔を合わせていた可能性もあります。
さすが忠行プロだぜ




