どこでそんな言葉を覚えてきたんだ
承平2年(932年) 3月
保憲が元服を迎えた。
現代でいうところの成人式だ。
現代では、式典そのものは20歳で統一されているが、当時は年齢に幅があり、大体15歳から18歳の間に行われる。
この時、保憲は15歳。ちなみに俺は11歳。
氏神様の神社へ行き、服装を大人の物に改める。そして角子を解いて、大人の証となる元結にまとめる。最後に『加冠』と呼ばれる、烏帽子を被る儀式を行なう。
「おめでとう、保憲」
「ありがとうございます。これからは成人として……一日でも早く父上のお役に立てるように精進します」
かっこよかった。
決して本人の前では言わないけれど。
忠行様と同じ服に袖を通し、烏帽子を被って、アイツは一足先に大人になった。
早く俺も元服して、同じ場所に立ちたいと、そう思った。
その後保憲は、『陰陽寮』の、暦部門で働き始めた。
と言っても、保憲はまだ学生身分なので、給料は発生しない。博士の下で必要な知識を培いながら、まずは陰陽部門にある専門職『陰陽師』になるため日々励む。
俺たちが陰陽寮を牽引する立場になる頃には、陰陽寮に所属しているすべての職員が『陰陽師』と呼ばれるようになっていたが、まだこの時は、陰陽部門にある選抜された成績優秀者6名のみが『陰陽師』と呼ばれていた。
この6名の中に選ばれれば、やっと晴れて一人前として認められる。
だから保憲は、暦の勉学をする傍ら、貴族からきた忠行様宛の占いの依頼に同行して、占術の知識も同時に培っていった。
忠行様が陰陽部門の博士なのに、なぜ暦部門なのかと当時は疑問に思ったが、忠行様は以前から暦博士の大春日と懇意にしており、息子の保憲を少しでも優遇してもらえるよう、あらかじめ根回しをしていたらしい。
現代の考えからしてみればセコい手法だが、当時は出世してなんぼ。こういった手法は、貴族間では往々にして行われていた。
対して俺はというと、10歳になってから新しく、運動も始めた。
賀茂邸から歩いて約2時間、伏見稲荷大社まで行って、稲荷山を一周して帰ってくる。早朝に保憲と忠行様が出仕する時間と同時に家を出れば、大体お昼過ぎには帰ってこられる。
最初は二人に止められたが、俺がケロッとした顔で帰ってくるところを見て、忠行様が、
「益材……流石お前の息子だ……。私の想像をはるかに超えて、立派に、逞しく育っているよ……」
と、「益材の子どもなら仕方ないか……」といったニュアンスで、なんとか認めてくれた。
この時の理解があったからこそ、俺は85歳まで生きられたんだと思う。だから容認してくれた忠行様には、本当に感謝している。
そして家にいる時は、保憲の弟たちの面倒を見ていた。
「おかえりなさいませ、兄上」
次男の保遠は大人しくて、利口だ。流石は賀茂家の血筋、毎日隠れて家人たちと喧嘩していた俺とは大違いだ。
「にいたま!」
そしてもう一人、あどけない滑舌で、帰宅したばかりの保憲に、まだおぼつかない足取りで駆け寄る、小さな童。
「ただいま、保遠、保章」
2年前に生まれたばかりの三男、保章だ。
あまり喜怒哀楽に差がない保遠とは違い、保章はいつも弾けんばかりの笑顔を浮かべていて、元気に邸内を歩き回っては家の者たちに愛想を振りまいている。
「晴明。いつも二人の面倒見てくれてありがとうな」
そう言って保章を抱っこしているアイツは最近、妙に背丈が伸びている。
気づけば俺と保憲の身長差は、頭一個分にまで広がっていた。
少し前までは俺とあまり変わらなかったのに、いつの間にこんなに伸びたんだろう。
毎日食べているものは一緒だし、俺もいつか、このくらい大きくなるのだろうと思っていた。……残念ながらその予測は外れてしまったが。
「別に、問題ない。そちらはそうだ?」
「良い場所だよ。暦博士の大春日弘範様という方が、とても聡明で、とてもよくしてくださっている」
「そうか、なら良いんだ。もし不当な扱いを受けたら俺に言え、代わりにぶっ飛ばしてやる」
「お前な……どこでそんな言葉を覚えてきたんだ」
「父上がよく言っていた」
「……」
冗談を言う俺を見て、アイツは苦笑していた。
「お前もあと数年したら元服するんだ。そうしたら一緒に、陰陽寮で働くことになるんだから、あまり刺激の強い言葉ばかり使うなよ」
「一緒に……、陰陽寮で……?」
この時俺は、保憲の言葉に違和感を持った。
早く俺も元服して、二人と同じ場所に立ちたい。
その思いはずっと変わらない。
けれども俺はこの時、『陰陽寮』で働くことは考えていなかった。
「にいたま! まんま!」
「そうだな、保章、まずは飯にするか」
確かに俺は、賀茂家に居候している状態だ。
でも俺はあくまで安倍家の人間、安倍益材の子だ。
もし、父上が生きていれば、俺だって数年後には父上のそばで働けていたかもしれないのに、その願いはもう一生叶わない。
保憲とは違って。
「晴明さん、どうかなさいましたか?」
「いや……何でも、ない……」
父と共に、同じ場所で生きているアイツが羨ましいと、俺はこの時初めて思うようになった。




