第2幕・3 ネコと美人と、箱の中身
配達員が出て行くと、一課に残されたのはマイク課長と事務員メリーアンヌ、それにガットだけだった。メリーアンヌが引き続き書類をまとめていると、ガットが側に寄ってきたので声を潜めて話しかける。
「大変ねぇ、課長さんも」
「中間管理職ってぇのは上からも下からも挟まれて辛い立場だからな。オメー今夜でも酒に付き合ってやらねぇか」
「そんなことをしたら奥様に誤解されてしまうわ。アナタも一緒でないと」
「ははは。勿論、俺も行くさ」
そう言うと、ガットは軽い身のこなしでデスクの上に飛び乗った。いつ見ても肥満猫の身の軽さには驚かされる。脂肪など無いように動くのだ。
「どうしたの?」
メリーアンヌは立ち上がり、ガットの行く先を見た。彼はエディのデスクの上に置いてある木箱に興味があるようだ。そういえばあれは何かしらね、と今頃になってメリーアンヌは気になった。今まで荒れ果てたデスクルームの片付けで手一杯だったので、箱のことなど少しも気に留めていなかった。近づいて、ガットの横から自分も箱を覗き込む。
「これは何かしら? 誰かからのプレゼント? 灼けちゃうわねぇ」
「かっかっか。アイツにも惚れた腫れたの浮いた話でもありゃあいいんだがな、こりゃ差出人戻しの荷物でぇ」
「あら、エディ君は配達以外にも仕事があるのねえ。何か気になることでもあるの?」
「この差出人の名だが……」
ガットは伝票の記名部分を指す。「ヴォードてぇのをどっかで聞いた気がしてなぁ」
「あああああああああああっ!」
ガットの横で、いつの間にかいたマイクが頬をおさえて叫び声をあげた。移動する気配を感じなかったので、メリーアンヌは心臓が飛び出そうなほど驚いた。
「か、課長さん! 急に出てこないで下さいっ」
「あああっ! 箱が開いてるぅぅぅ!」
「え?」
メリーアンヌとガットは声を揃えた。箱が開いている?
「本当だわ」よく見ると箱の蓋が二センチほどずれていて、中の暗闇をのぞかせていた。
「あれほど壊すなと言ったのにぃ!」
マイクは頭を抱えて唸る。これから身に降り掛かるものを考えて恐怖しているのだろう。
ガットはそんなマイクを放ったらかしにして、箱の蓋をそろりと開けていた。
「あっ、いいの? 開けちゃって」
と言いつつ、箱の中身に興味を引かれていたメリーアンヌは強く止めずに、一緒になって中をのぞいた。何があるのだろう、分別あるガットが開けるくらいなのだから、すごいものが入っているに違いない、と心を躍らせる。
そろり、と開けた、箱の蓋。
その中にあったものは……
※ ※
「はいよ、頼まれとった自転車、ハーレースペシャルやぞっ」
「ありがとう……って何だ、この後ろに付いている機械は!」
エディは戻ってきた三輪自転車を見て、礼もそこそこにツナギ姿の青年に飛びついた。修理に出して戻ってきた三輪自転車の後部には、コードや筒や螺子が剥き出しの無骨な機械がくっついていた。
「何て、エンジンやがいね。見たことないんかえ? 揮発油を燃料に動く自動車の心臓部分やよ。貨物車にも搭載されてるんやけど、アレは自転車に付けるにはデカ過ぎやし、オレが改造して自転車用にしたんや。これで計算上は時速四十キロメートルはいける! ブルートロッコより速く走れるんやぞ!」
自慢げに話す男は、ハーレー・ジムニスト。ロックリバーの機械職人だ。
背が高く、いつもサングラスを掛けていて油まみれで、ぼさぼさ頭の青年(おそらくトリティと同じ年の頃)は、外見は誠実そうだが話してみればただの機械バカである。
だが侮る事なかれ、祖父はブルートロッコの製造にも関わった機械の匠で、ハーレーは祖父の技術を受け継いだ若き技術者だ。
空の駅支社の裏の路地を少し入った所に彼の工場はあり、空の駅支店で使用されている自転車や貨物車の製造・修理を任されている。
「小型化で強度が下がったのが結構難しくって、それクリアさせるのが大変やってン。でもいい仕事やったわー」
「いやいやいや、よくないんだって! なに『お腹いっぱいです』みたいな、満足気な顔してんだよっ」
エディは迫るが、ハーレーは満足そうに笑っているだけだった。
「サービスなんやから金はいらんよ。あ、でも乗ったら感想は聞かせてや」
「俺は修理してくれって頼んだんだ、エンジン付けろなんていつ言った!」
「言ってないけどさぁ、好意やがいね。そんな怒らんといてや。顔怖いよ」
「これは会社のだから、改造なんかしたら駄目なんだ。俺が怒られるだろ」
「大丈夫やって。そんな大層なことでもないやろ、エンジン付けたくらい」
「大層なことだよっ! これじゃ配達に行けないじゃないか。早く外せよ」
「……そんなに言うんなら外すけど。要るようなっても、オレは知らんよ」
エディが怒るので、ハーレーは工具を手にして口を尖らせて渋々と外しはじめた。
今の時点で他の配達員から三十分の遅れだ。『時間帯お届け』は五課の担当なので時間にそれほど縛られていないが、エディは焦っていた。遅れれば遅れるほど、他の課や利用客に迷惑をかけることになり……最後には、自分がマイクに叱られるわけである。それだけは嫌だった。
「まだ?」ブルッと身震いをしたエディは、首を長くしてハーレーに訊く。
「まだやわ。若モンが生き急いだらいかんよ。寿命縮むよ」
「生き急ぐとか、そういうことじゃないんだって!」
マイペースなハーレーに少々うんざりし、エディは落ち着こうと深く息を吐いた。
※ ※
メリーアンヌは箱の中身を見て絶句した。
「予想外だ」これにはガットも驚いている。
マイクは衝撃で顎が外れそうなほど口を開いていた。目の前に、誰も予想しないことが起きていた。
箱の中には、白く細い、華奢な腕が入っていた。
「これは……事件というものではないの?」腕が入っているなんて尋常ではない。メリーアンヌはただならぬ事態に困惑していた。「子供の腕よ」
「ううん、昨日の奴はこいつが狙いだったのか?」目を丸くして、ガットは言った。
「どういうこと?」
「この箱の中身が何なのかってぇのは、ひとまず置いといて。犯人は箱の中身が目当てだったんじゃねえのか。この箱ががっちり封をされているのを俺は見てるんでぇ、外から誰かが開けたに決まってらぁ。犯人は箱の中身を狙ってたんでぇ、きっと」
「そうね、他に盗まれた物は無いようだし……ああ、でも箱の中にはやっぱり、その、子供の死体が入っていたのかしら? この腕は何なのかしら」
「それも含めて事件でい。こりゃ本格的に自衛団が必要だな」
自衛団とは、各市町村の民間人によって結成された警備団体のことである。フェブルマーリ王国の防衛はすべて軍の管轄で、軍の中の警衛隊という部隊が地方に駐在している。しかし警衛隊が配置されているのは都市だけで、田舎までは彼らの手や目が届かない。届かせるつもりもないらしい。
彼らがどん詰まりの田舎街に来る事はほとんど無い。
自分の身は自分で守る、ということで、自衛団は壮年と青年を中心に結成されていて、大抵事件の犯人は自衛団の手によって捕まり、警衛隊がいる都市まで連行される。
ロックリバーから一番近い部隊所はサンミラノにあるが、大抵はその場で叱られて終わりになる。空の地において、逃げ場がないこと、また、狭い場所での情報の伝達は虫が知らせるよりも早く、そのため重罪はほとんど起こり得ないものだった。
「とりあえず、守衛室に行って知らせてくるわ」
そう言ってメリーアンヌは駆け出した。これほど重大な事件は無いと、そして自分が関わる事ができるなど、この平穏な田舎に居てそうそう有り得る事ではないと、内心事件の発生に楽しく思いながら。
「あいつぁ大丈夫か?」
メリーアンヌの表情を見逃さなかったガットは、少々不安になった。女というやつは噂話が大好きだから、ここで起きた事をべらべら喋ってしまうんじゃないかと心配になる。当事者になったことを自慢したい気持ちは分からなくもないが。
「……おいマイク」彼女に一言あったほうがいいんじゃないか、と言おうとしてマイクに向き直ると、彼はすでに正気に戻っており、箱の中身に手を触れていた。
「おいおい、触るな壊すなってぇ言っときながら、オメーが触るのかよ」
だがマイクはガットの言葉を聞いていないようだった。「……猫将軍」
「なんでい」
「これ、人の腕じゃないよ」
一瞬、沈黙。
「あん?」なんだって?




