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第4幕・2 アイリス

 エンジンが外された自転車は、キィキィと妙な音をたてても空を走る事ができた。

 空からごちゃごちゃした埃っぽい街並を確認すると、民家がまばらになっている西側の外れに目を向ける。墓地と倉庫を目印に自転車を下降させた。

 自転車は加速し、坂道を走るように車輪は激しく回転する。


 だが……目測を誤ったエディは、イアソンに伝えられた倉庫の前の道に降りるつもりが、板張りされた窓に突っ込んだのだった。







「いたた……」


 木の板には前輪が先にぶつかったとはいえ、エディはよく生きているな、と二度目の奇跡を感じた。

 布に助けられたらしい。それにしてもカビ臭い布だった。


 這い出ると、異様な空気を感じた。顔をあげると、男たち……奇妙な物を見る彼らの目に気づき、自分が場違いであることを察してエディは怯んだ。

 だが見覚えのある顔もあった。


 坊主頭の大男と、アイリスに関わっているらしい青年。


「おうオメーら。とうとうここまで来ちまったぜぃ。アイリスは返してもらうぞ」


 ガットも出てきて(やっぱりどこも負傷していない様子だった)エディの横に並ぶ。


「……おや貴方は」山高帽を被った紳士のような男がガットの出現で、我を取り戻した。「猫将軍の呼び名高い、G・トラジーロ大臣ではないですか?」

「誰でい、そいつは? 俺はただのベクターズカンパニーの隠居よ」


 ガットが知らぬ振りをするので男は少しだけ首を傾げるが、すぐに納得した様子だった。


「……そうですか。それでそのご隠居がなぜここに? 窓から入るとは行儀が悪いですね」

「すまねぇな。だが何も無くここへ来たわけじゃねぇよ。荷物を取り戻しに来たんだ」

「荷物?」

「アイリスという名の人形だ。配達途中にそこのボーズの男に盗まれちまったんでい。配達中の荷物はベクターズカンパニーの大切な預かり物、エディから横取りしたオメーたちは窃盗罪か、強盗罪だ。しょっぴかれたくなけりゃ大人しく返しなぁ」


 エディは本当にガットがいてくれてよかった、と感じていた。一人ではただ突っ走るだけで、どうにもできなかっただろう。彼のように正論を準備する頭も回っていなかった。


「そうですか……貴方にいくらかの包みを渡すことは難しそうですね」

「見ての通り、俺にゃ袖の下が無ぇもんでな」


 山高帽の男とガットが睨み合う横で、エディは倉庫の中を見てアイリスの姿を捜した。


  ……。


 微かな音を聞いて振り返った。

 アイリスだ。

 アイリスは変な機械に座らされ、じっとエディに左目を向けていた。灰色の瞳が灯りに照らされ、色の渦を作っていた。微かに開いた口からアイリスから音が漏れる。


 横に居た白衣を着た男が、機械の側でこちらを窺いながら手を震わせていた。


「アイリス!」


 エディが一歩を踏み出したとき。


 ゼンマイが緩んだオルゴールのように、男は不自然に首を回した。

 機械のようなぎこちない動きに、エディは違和感を覚える。

 

 胸騒ぎがした。


 目は自然に違和感の元を探っていた。

 

 男にあった不自然なもの。


 男の首突き刺さった一本のコード。

 そこから鮮血が流れ、衣服を朱に染めていた。

 コードの先は機械に続いている。


 虚ろな瞳。滴る血液。青ざめた皮膚。


「どうした、エディ」


 エディの様子に気付いたガットが、彼の目が向く先を見て……ガットも体を強張らせる。


   アアアア……


 間延びした静かな音。


 金属がぶつかる音。

 何本ものコードが機械から伸びてきて、床に散らばったガラクタを拾い集め出した。素早い動きでガラクタを機械の体に貼付け、アイリスの体をおし上げながら飲み込んでいく。


 歯車と銅板がまるで顔にも見える天辺に、男の躯が捩じ込まれた。


 エディの感覚は閉じていた。映るもの、聞こえる音、埃の臭い、ざらついた空気。巨大な危険が、狂気が、彼の中にまで入り込んできて、理解し、動くことを阻害していた。


「なにボケっとしてんでい!」最初に声を出したのはガットだった。


「おら、行くんで! さっさとしろ!」ガットが頭でエディを押す。


 よろけたエディは、理解しないまま扉に向かって走り出した。刹那、彼のいた場所にコードがぶつかって自転車を拾って体に付けた。


 エディは振り返った。

 アイリスは。機械は?


 金属が擦り合う酷い音がして、機械の下部から人間の足が出てきた。靴も履いている。さっきの男の足だ。そこにコードが次々にガラクタを張り合わせていき、男の足を軸にして機械は自らの脚を作り出した。


   ぎしぎしぎしぎしぎしぎしぎしぎしみしぎしぎしぎしぎしぎしぎしぎし


 金属の軋む音は獣の咆哮のように凶暴だった。顔の目の部分にある歯車が回り、一歩を踏み出す。

 体中からガラクタが落ちて、コードが拾い集める。

 同じ事を繰り返して機械は徐々に均衡のとれた体になっていく。と、機械の外面を突き破るようにアイリスの上半身が現れた。


 右腕と頭だけを、機械の頭の横に。

 うつ伏せにぶらりと下げて。ミルクのような白い肌は裂けて黒いものを垂らし、美しい花が枯れて死んでしまったことを伝えていた。


 エディは声も無く、アイリスを見ていた。


 ガットは失った少年の姿を見て頭を振る。

 それから、少しの動揺は見せたものの一瞬ののちに不気味な機械を睨んでいたスーヴェンに向かって言った。


「あの機械は『アイリス』だ。そうだろ、そこの若いの」


 突然声をかけられ、機械に意識を取られていたスーヴェンはハッとしてガットを見た。


「そうだよ。製造法に書いてあった『アイリス』より、寸法は小さいみたいだね」

「奴は十分の一の試作品だと言っていたがなぁ、破壊力は確かにあるようだ」


 バリバリと破裂するような大きな音がして、ガットの言葉は遮られた。

 機械はコードを伸ばして二階を破壊し始める。

 倉庫全体が歪みはじめ、彼らは外に出た。


 みしみしと倉庫が唸っている。金属が激しくぶつかり合う音がしている。


 エディは倉庫に背を向けていた。イアソンの腹が立つほどのんびりした声を、頭の中で聞きながら。


 ……動き出したら、破壊でしか止められない……


 それはつまり、アイリスを破壊するということ。

 エディはぎゅっと唇を噛み締め、轟音がする中で思い出していた。

 昨日の出来事。今日の出来事。

 砂糖の何倍も甘い時間は簡単に溶けて無くなる儚いものなのに、記憶にはっきりと残っている。目の奥が熱くなった。鼻の奥が痛くなった。


 それらをぎゅっと体の中に閉じ込めた。


 力を抜くと、痛みに負けていろいろなものが溢れ出してきそうだった。


 我慢する。


 落ち着つこうと、息を吐いた。


「止めないと」


 耳を澄ましてやっと聞こえるような小さな声だった。だがそれほど小さくても、ガットにははっきりと聞こえていた。


「……そうか。だが、オメーがやるこたぁねぇよ。あの若いのも目的は一緒だ」

「うん、でもさ。どうにかしないと。……放っとけないよ」


 突然、倉庫からの爆発音。


 振り返ると、倉庫から離れた場所で、スーヴェンが息を切らせて立っていた。


「やあ、ごきげんよう」


 と、暢気な挨拶をしている。だが、青年の顔は青ざめていて、目はうつろだった。

 疲れきっている様子だった。


「大丈夫かい」ガットが声をかける。

「大丈夫か、だって?」スーヴェンは頭を押さえて、ガットを見る。


「大丈夫なわけないだろ! 死人が二人も出て、どこが大丈夫なんだ! 早くどうにかしないと、取り返しのつかないことになるのに」


 鉄の扉を吹き飛ばし、粉塵を巻き上げて機械が出てきた。元の五倍はありそうな巨大な機械には八組の足と、コードが絡み合ってできた二本の太い腕。鉄板の顔はそのままに、蜘蛛に似た姿をした機械は腹からガラクタを大量に落とし、短いコードがそれらを拾い集めている。その中に山高帽の男の首があったのを、エディとガットは見逃さなかった。男の歪んだ顔……ひん剥いた目玉やただれた口、潰れた額はエディの脳裏に焼きついた。


「自業自得だよ。何も考えていなかったせいだ」とスーヴェンは冷ややかに言った。

「何があったんでい?」ガットが尋ねる。

「あの役人が止めようと躍起になってたけどね、でも相手は兵器で、イアソンの作った物だ。いろいろやっている内にアイツは機械に喰われたんだよ、簡単にね。それから機械の中で爆発が起きた……でも壊れていないんだ」


「イアソンの話だと、原理はオートマタを作るときと同じだそうだ。複雑なやつぁ失敗も多いみてぇだが、あの試作品にもイアソンの『意思』が組み込まれているってぇことだ。アイツがどんな『意思』を込めて作ったか知らねぇが、面倒なモンを作りやがって」


 ガットは、彼にしては珍しく疲れた表情を見せて溜め息を吐いた。


 だが次を考え出す間もなく、地面を揺らす地響きで彼の大きな腹が揺れた。

 見れば自動車が勢いよく向かって来ている。倉庫の側で二台並んであった自動車のうち一台に……運転席には恐怖で顔をくしゃくしゃにしたカーネルが乗っていた。


 スーヴェンは呆気にとられたエディの襟首を掴んで、薮に放り投げた。

 後に続いて別の影が薮の中に飛び込む。


「何するんだ、いきなり」薮の中に倒されたエディは、抵抗の声をあげた。

「真正面に突っ立ってるなんて! 死にたいのか? それなら『アイリス』の前に放り投げてやるよ!」

「なんだよ、投げることないじゃないか! ちょっと言ってくれればいいのに」

「君がボーッとしてるからだ! 助けてやったんだ、礼ぐらい言えないのか?」

「う、うるさいっ! 俺は助けろなんて、頼んでない!」

「ええい、止めねぇか二人とも!」


 言い合う二人の若者の頬に、ガットのネコパンチが炸裂した。


「喧嘩がしてぇなら後にしろ! そんな場合じゃねぇだろう!」


 衰え知らずの気迫に、若い二人は気を縮める。

 ガットは鼻から大きく息を吐いた。その息で、怒りの炎を消すかのように。



 その間にも、勢いよく走り出した自動車を肉食の虫が獲物を捕らえるように、機械の手が易々と絡めとった。

 カーネルは見栄も威厳も捨てて醜く喚いていたが、機械は容赦なく自動車を小さく丸めていく。元の形が判別しないほど潰された……だが運転席のカーネルは隙間で息を持ったままで……自動車は悲鳴と共に体に取り込まれた。


 命乞いの断末魔を聞いたエディは、骨の髄まで広がる恐怖に足が震えそうになる。

 だが、エディは耐えた。拳にぎゅっと力を込めて息を吐く。

 目の前の恐怖に心を乱されても、忘れてはならない事が、彼に平静を取り戻させた。


 もう一度息を吐く。


「……何とかしないと」呟いてから、機械を見た。

「ちったぁ待ってろい。なんとかすらぁな」


 ガットは険しい表情でエディに言ってから、スーヴェンに向かって、鍵はどうした、と尋ねた。


「どの鍵のことか知らないけど……イアソンから預かっている鍵は持っているよ」


 言いながら、スーヴェンはポケットから鍵を出しす。


「そいつぁ機械を破壊する鍵だそうだぜい。そいつを使えば『アイリス』は止まるとよ」

「そうか、やっぱり停止の鍵なんだ。説明書を僕は読んだんだ……それには鍵穴の位置は顔の真ん中だった。差し込んで回すだけの簡単なことだよ。顔に辿り着くまでが大変だけれど」


「むう、そうだなぁ」ガットは考え込むように俯いた。しばらくして顔を上げると、厳しい表情で二人を見た。



「よし、オメーら。博打で命ぃ賭けられるかい?」


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