第4幕・1 深淵の鍵
薄暗い墓地と薮が、この世の深淵のような雰囲気をかもし出しているサンミラノの西の外れは、不気味さと暗黙の了解から、街の人々が立ち入らない場所だった。
薮を背に建つ六つの倉庫が、それぞれが誰の所有物か、それが意味している事を人々はよく知っていたからだ。
何に使われているかも、現場を見なくても知っていた。
左端の倉庫の横には二台の自動車が停まっていて、雲に隠れた太陽を恋しく思いながら、薄暗い場所で寂しく主を待っていた。
彼らの主は、オレンジ色の白熱灯が照る倉庫の中にいて、中央にあるガラクタの塊のような大きなオブジェの側で(彼らはそれを『アイリス』と呼んでいた)大きな鞄の中身……少女の姿をした人形……に注目していた。
「随分と可愛らしい『鍵』ですね。これでは私どもでも探し当てるのに少し時間がかかったかもしれません。なにせ、本来はただの金属の鍵なのですからね。この人形を見るだけでも、イアソンの技術力の高さだけは評価できます」
「腕前のほどはともかく、胡散臭い野郎ですよ。丁寧に取扱説明書を残して消えるんですからね、意味が解りませんや。何を考えているんだか」
カーネルが言うと、山高帽を被ったスーツ姿の男は、それもそうですね、と答えた。
「ところで私は、彼に幾つかの質問をしなければなりませんが……気分は優れませんか?」
男は後ろを振り向く。男の目線の先には、入り口付近で木箱を椅子にし、頬杖をついて座っていたスーヴェンがいた。彼は呼びかけられると男に鋭い視線を投げ返す。
男の横で、カーネルが代わりに口を開いた。
「気遣いは必要ねぇですよ。アナタの要望通り連れてきましたが、ご覧の通り生意気なクソガキだ。大した怪我でもないのにトムは大袈裟なんだ。病院まで手配することはなかった」
「そんなことは、どうでもいいです。大切なのは、彼が私の知り得ない事実を知っていて、私にはその情報が必要だということです。いずれは喋っていただけなければなりませんが、今の方が監獄で拷問をするより人道的でいいと考えています」
言いながらスーヴェンに近づくと、眼鏡をキラリと光らせた。
「あなたが何かを知っていることはすでに明らかなので、隠す事は無意味だということをよく理解してください。君はイアソン・ヴォードの自宅へ行きましたね? 私は自らイアソン・ヴォードの家を捜索しましたし、トムからもおおまかな事は聞きました。どうなのでしょう、君はそこで何を知りましたか? あのカゴの中は何でしょうか」
スーヴェンは鋭い視線のまま、渋々と口を開いた。
「僕があの家で知った事は、あんたにとっては些細な事だ」
「些細か大事か、それは私が判断することです」
「それでも、あんたが……あんたたちが『アイリス』が必要だと思っているうちは、何も話したくない」
スーヴェンの態度が気に喰わないカーネルは、早くも青筋を額に浮かべて何の躊躇も無く拳銃を彼に向けた。
「面倒くせぇガキだぜ。てめぇ、どうしてここにいるのかわかっちゃいねぇのか?」
「カーネルさん、あなたは我慢を知るべきでしょう。肉親の命を脅かすのは、恨み辛みがあろうと見ていて気持ちいいものではありません。どうぞ仕舞って下さい」
男は優雅な物腰で、カーネルの拳銃に触れた。
「あんたは、オヤジのような悪人でもなさそうだけど、一般人とは感覚がずれている。『アイリス』が何であるか知ったら、誰だって反対する。それは個人だったり、もっと大きな組織だったりするだろうさ」
「私は広い視野と長い目を持っているだけです。多少の乱暴であっても、選択することはときに有意義なのですよ。君の若い頭では、理解し難いことかもしれませんが」
「乱暴な選択が有意義でも『アイリス』である必要はないよ。もっと別のやり方があるだろ。それを考えるのが政治家じゃないのか」
スーヴェンは憎々しく言ったが、男は聞こえない振りをした。
そして、人形を興味津々に見ていた白髪混じりの小柄な男を見やった。
「オロンズ室長、どうですか?」
「ふうむ、興味深いものです。ええ、本当に」
答えたオロンズは、瞳をキラリと光らせ妖しく笑った。腰を屈めて慎重に人形を取り出す。
「オートマタという人形の存在は不可思議極まりない。浮島と同じく、科学から見れば全くの不明の代物ですからな」
人形の腕を持ち上げて、感触を確かめるように撫で回す。人形の首が仰け反って、ガラスの目玉はオロンズに向けられた。何かを訴えるように空虚な灰色が彼を捉える。
「素材、原理、歴史。何もかも摩訶不思議。……動かしてもよいですかな?」
「まだ万端の準備は整っていませんよ、オロンズ室長」
「確かに。しかしこれは爆発物ではなく、ただの大きな人形ですぞ」
「一応は『兵器』の名がついています」
「これの十倍の力があって、初めて『兵器』と呼べるでしょうな。大丈夫、止める方法も知っていますぞ」
オロンズは目を輝かせて言う。玩具を目の前にした子供のようだった。
男は溜め息を吐くと、オロンズに背を向けた。
「動かすんですかい?」カーネルが眉動かして言った。「代行者も見つかっていないですぜ」
「いえ、もう当てはあります。オートマタ職人は、イアソンひとりではありませんから」
オロンズは倉庫の中央へと人形を運ぶ。台座と思われる唯一の平たい鉄板の上に人形を乗せると、ポケットから紙切れを取り出し……取扱説明書の最後のページを切り取ったものだ……ふむふむ、と頷きながら『アイリス』を模索する。
一本のコードを取ると、先端の金属部分を人形のうなじの穴に差し込む。
人形は体を痙攣させる。
右の目玉が外れた。
床に落ちると同時に破裂する。
黒い粘液が散らばり、その中央に新たな鍵が出現した。
オロンズは汚い物を触るように鍵をつまむと、服の裾で粘液を拭き取った。
鍵は『T』型で、対の部分は顔にあった。二つの歯車がまるで目のようで、鼻の位置に二つの穴が並んでいる。右に差し込むと『アイリス』は起動する。鍵を回すと停止するので気をつけるように、とも。
カーネルは落ち着かない様子で、葉巻をくわえて火をつけた。
トムは眉間に皺を寄せて成り行きを見守っている。
男は相変わらず表情を変えず見ていた。
オロンズは熱い息を細かに漏らす。
彼の手に握られた鍵を、腕を伸ばして、
その穴に……
「うわあああっ!」
突風がぶつかったような衝撃。誰もが驚いて動きを止めた。
一階の窓の部分の板を破って、何かが突っ込んできたのだ。
それはカーテンがクッションとなって、ごろごろとくるまりながら床にぶつかった。
「馬鹿やろう、着地点はきっちり測れと言ったじゃねぇか!」
「無理言うなよ、狭い場所なんだから! いたた……」
二つの声。
そして……




