木洩れ日と日だまりのあいだに
ラマルの日記をまた読み返して、今頃ラマルは父親母親に初めて会い、色んなことを報告してるのかと優しい気持ちになった。
「セージ様! 大変です、《聖杯》が枯れました!」
「大神官様?! どうし、え?」
「説明している暇はありません。ラマル様はどちらへ?」
「ご両親の墓参りですが」
「行きましょう、今すぐ!」
フードが外れて汗をかいた大神官様の姿に、ただ事ではないと危機感が芽生えた。《聖杯》が枯れた──ミズリーアの悲劇だ。
「ティイガはどうしてるんだ?!」
「探していますがわかりません。それよりセージ様が行った方が確実です。間に合わなかった──!」
間に合わなかった? まさかラマルに何かあったのか?!
「ラマルに何か?」
「そんなことより、眠りの森へ! 手遅れになるかもしれない──早く!」
急かされては何も訊けず、厩舎に向かった。『セージ遅いわよ、早く乗って!』ミントは興奮した様子で、既に鞍が装着されていた。大神官様が先に付けさせたのだろう。
──胸騒ぎがする。今まで何度もミントに救われて来た俺は、もう迷わなかった。
「眠りの森だ! 急ぐぞ!」
「私は後から行きます。ですから──」
「わかりました!」
『飛ばすわよ!!』全力で駆けるミントの手綱をなんとか操り、考えた。
ラマルに何があったんだ? 間に合わなかったら──手遅れになったら俺は、自分を許せるのか?
「何だ、この霧?」
眠りの森に近づくと一帯に霧が立ち込めているのが見えた。早朝ならともかく、今は真っ昼間だぞ。おかしい──ミントの首を霧の中に向かわせようとすると、ミントが立ち止まってしまった。
「どうした、ミント?」
『行けない──ごめんなさい、セージ』
「わかった」
素早くミントから降りて、お墓があると聞いた林の中央へ走り出した。胸騒ぎが強くなる。頼むから、間に合ってくれ──! 遠くラマルの立ち姿が見えて、何も考えずに飛び出した。
「だずげてくれ! 誰でも良いい゛! この狂ったガキを止めろぉ!」
男の声──助けてくれ? どういうことだ?
「何してるんだラマル!」
「があアア!! うぐ~~~っっ」
ラマルが動くと男が苦しみ出した。よく見えないな……地面に横たわって居るのか?
「帰って。どうやってきたのかわからないけど──セージには見せたくない」
鈍器──よく見ると重厚な鎚だった。それを俺に真っ直ぐ向けて、ラマルは俺を拒絶していた。思わず足が止まった。止まらないでラマルの武器を奪ってしまえば良かったと気づいても、もう遅い。
「今の、はラマルがやったのか? それは誰なんだ──! まさか、ルター?」
心当たりはそれしかなかった。しかし何故、ラマルがルターの罪を知っているんだ?
「知ってるなら話は早いよね。僕の邪魔をしないで欲しいんだ。お願い──帰って」
「じにだくな、っがほっ。ひき……たじゅけ……」
真摯なラマルと泣き叫ぶ気力もないルター。俺はラマルを止めなければならない。とにかく今はそれしかわからなかった。
「復讐なんて止めろ!」
ありきたりな言葉しか思い浮かばない。くそ、だから俺って奴は──!
「止めてなんになるの?! こいつはね、セージは知らないだろうけど僕の人生を悉く壊したの! 軽々しく止めろなんて言わないでよっ」
悉く壊した──それはつまり、ラマルの両親を殺した? そこまで考えて、今は気を散らしている場合じゃないと気づく。
ラマルに考え直させる方法──。
「俺の為に止めてくれないか?」
「なに、それ──」
ラマルは自分の為に復讐している。自分が生涯罪を負うとしても、初めから覚悟しているに決まって居る。そんなことでは止まらないだろう。ラマルなら──俺だ。
「ラマル、お前を愛している。お前に復讐だとか人殺しなんて似合わない──だから止めてくれ!」
虫の良い話だと、自分でも思った。どんなに真剣な思いでも、こんな状況で信じてもらえる訳がない。
「女として見られない癖に『愛してる』なんて言わないでよっ!! だったら、抱き締めてキスして一生離さないで! ……できないでしょ? 家族ごっこじゃ足りないんだよぉ!!」
それはラマルの望み。俺が拒絶し続けたせいでしまい込ませ、挙げ句諦めさせてしまった願い。知っていた、わかっていた、受け入れたいと幾度となく願ったさ!
「そうすれば止めるんだな?」
まだ──間に合うかもしれない。あの子を愛しても、良いのかもしれない──鼓動が酷く煩く聞こえた。
「──っ──こいつが、こいつが居るから──!!」
本気だ。振りかぶったラマルは本気で殺そうとしている。もう、一か罰か──!
「嫌いだ!」
こちらを向いた。虚ろで。
「そんなお前は──嫌いになる!」
見て居られなくなり、背中を向けた。これで止められないなら、俺はお前の罪も背負う──遅過ぎた俺が悪いんだ。
どす、と腰に衝撃が伝わって、抱き付かれたんだと遅れて理解した。
「『行かないで──!』やだよセェジ。ヤダ……やだぁっ! 僕を嫌いにならないで! セェジの言うことなんでも聞くからお願い、お願いセェジ。『捨てないでっ! 捨てちゃ嫌だ!!』」
たまらずラマルを抱き上げる。嫌だ、と繰り返す唇を塞いだ。
好きだ──捨てる訳がない、愛してるんだから。そんな気持ちが伝わるように、小さな口の中に入り込んで奪う。息も、叫びも、孤独も──。
この子は、誰かを殺さずには居られないほど寂しかっただけなんだ──。
息が続かなくなったラマルを解放して地面に立たせ、頭を手のひらで包む。
「愛している。好きだラマル。お前しか要らない──」
「ひ、人殺しなんてしないから。キスもいらない、会えなくても良い──嫌いにだけはならないで。好きじゃなくて、良ぃ~~っ……う、ふぇええ~~」
ラマルはまた俺の足にしがみついて、聞こえて居るのか居ないのかわからない。それでも何度だって伝えよう、死ぬまでだってずっと。
「ずっと、ずっと好きだった。俺をまだ好きで居てくれるか……?」
「好きなの……どうしても好き……。セェジが好きだよぉ!」
また泣き出したラマルの顔を上に向けさせる。女として愛している。そう伝わるように、膝を付いて抱きすくめるとわざと腰をラマルの体に当てた。
啄んでからキスを深め……いつまでもこの甘い果実を貪ってしまいそうで。濡れる頬を手で包んで逃がさない。ラマルも夢中で俺の背中に手を回した。
「結婚しよう、ラマル」
それが一番正しい。今までが間違っていて──何度も傷付けてしまったが──ラマルと結ばれることだけが真実なのだと悟った。
「な、な、なんて……セェジ、今──」
パチリと見開いた目と目が合った。零れる透明な雫がとても綺麗だ。
また欲しくなって、頬を舐めてから赤く柔らかいそれに口づけた。息が上がったラマルの耳元で、今度こそ聞き漏らされないように囁く。
「結婚しよう。一生離さない」
「夢。──夢だ、これ」
顔を真っ赤に染め上げたラマルは、まだ信じてくれなかった。俺がしたことを考えれば当たり前かもしれないが──信じてもらえないと、少し悲しいな。
「何をすれば信じてくれる?」
「い、いい良い! 覚めないで欲しいから何もしないで!」
「じゃあ、結婚してくれるか?」
どんな瞬間よりも幸せそうにラマルは頷いて。
「僕、今なら死んでも良い──ずっと、ずっとね。セェジのお嫁さんになりたかったんだ!」
そんな嬉しくて物騒なことを言ってくれたのだった。
愛しい。これが愛かと思うと動けなくなるほど打ちのめされていた。俺の一言で『死んでも良い』とまで言うラマルを、どうして諦めていられたのか──愚かな自分が憎かった。
もっと早く、守護者の予言通りにしていれば──こんな事態になる前に、愛し愛される喜びを分かち合えたと言うのに。臆病な俺は逃げ出していたんだ。
「馬鹿な俺を許してくれるか?」
首を横に振るラマルは変わらない笑みのままで──。
「セージが憎かったことなんてない。ちょっぴり怒ったことはあるけど──許すところなんてないよっ」
好きだ。もう一度だけキスをして、それから未来のことを考えよう──。
ルターは痛みで失神していた。ラマルがすぐに周囲の薬草を採って来て痛み止めを作り、折れている箇所に固定していく。
右手首、右肘、左肘、右膝──真剣に手当てしているラマルがこの傷を負わせたんだと考えて、胸が痛んだ。
「セージ、僕ね、反省してる。罰も受けるしちゃんとルターが動けるようになるまで責任取る!」
悲しい顔をしたせいだろう、勘違いしたラマルは必死に俺に嫌われまいとしている。
まったく……これくらいで嫌いになる訳がないだろう──? 今日からじっくり、教えてやらないとな。
「これは罰を与えられなかった大人達の罪だ。お前の憎しみや復讐心は当然で──何もしてやれなかったことが辛い」
「今からだって殺してやりたい。……けど、そうだよね。司法に任せれば、良いんだよね……──っ」
納得し難い表情で手当てを続けるラマルの目には、まだ怒りや憎しみが残っていた。
「ゆっくりと二人で、向き合って行こう」
ラマルを見つめてそう告げると、暗い光は途端にかき消える。
「セージが居てくれるなら、大丈夫! セージが好きな僕は殺さないよ。うんっ」
手当てが終わった頃に大神官様と憲兵達が林を抜けて来た。霧のせいで大神官様以外は迷っていたらしい──さっきまでの俺達を見て居たんだと、腫れた目と頬を見ればわかった。
フードを被り直す余裕がないのか、その美貌は俺に今更ながら畏怖の念を抱かせた。
説明を求められる前に、重傷のルターを病院に運んでもらうように誘導すると、大神官様が突然こんなことを言い出した。
「間に合いませんでしたが、私は出頭することにします」
「大神官様?! 何を言ってるんですか? 今何の関係が? じゃなくて、罪なんか犯すはずないですよね?」
慌てふためくラマルの肩を叩いて落ち着かせる。俺には何となくことの次第が理解出来た。『間に合わなかった──!』その意味がようやく追い付いていた。
「ルターを告発する為ですね?」
「はい。もう少しで準備が整うはずだったのですが……申し訳ない」
「な、なんの話をしてるの? ルターを告発するのになんで、なんで……」
「ルターが直接罪を犯した証拠がなかったんだ、今までは」
「じゃあ僕のせいだ?! 出頭なんて止めてよ、ルターは今回のことでちゃんと裁かれるでしょう? 大神官様が僕なんかのために罪を犯すはずない!」
大神官様が、ラマルの頬を張った。
「ラマル、聞き分けなさい。それに自分をなんか、と貶めるだなんて──己に謝りなさい。私の罪はあなたに復讐をさせてしまったことなのです。私はルターが神子の為に用意された資金を流用していると知りながら、今まで何もして来なかったのですから」
知りながら何もして来なかった──それは俺と同じ罪で、大神官様の気持ちがよくわかった。
ラマルは張られた頬を押さえて、ぼんやり何かを見ていた。昔を振り返っているようにも見えた。
「ラマル、何も死刑になる訳じゃない。お前のせいでもない……今は見送ろう。それが俺達に出来ることだ」
「そんな──そんな……わかりました。けれど僕は謝れない。──名無しさん」
「はい」
「僕の部屋に遊びにくる約束、まだ守ってもらってないですからね?」
「はい。必ず遊びに行きます」
「その時、僕に謝りますから──打ち合わせしましょう?」
ラマルは両手を挙げて首を傾げた。まだ腫れの引かない赤い目に、晴れ間から差す光が反射した。
「益々守らなくてはなりませんね……もちろんです」
パチンッと手が鳴ると、微かに残った霧も全て風に浚われた──そして大神官様は、残っていた二人の憲兵を連れて出頭しに行った。
「ラマル、墓参りをしよう。大神官様が作ってくださった時間だ」
「うん」
ラマルが持って来ていた花を供える。それは、花言葉に詳しくない俺でも意味を知っている花だった。──『あなたを偲ぶ』この国で、もっとも墓参りに選ばれる花。
「──何を言うつもりだったんだ? 俺が居たら言えないこと、ってのは何も邪魔させない為の方便じゃなかったんだろ?」
あの時のラマルに、そんな復讐心があったとは思えない。
「うん……あのね、愛する人が居ます、って言うつもりだった」
寂しそうな笑顔。喜びと切なさが混ざって……どこにも行けない気持ちは涙になるんだろう──そんな詩的なことを自然に思わせる表情だった。
俺は墓の前で手を合わせた。きちんと花も用意してあったのに、持って来られなかった──つくづく格好付かないな。
「……お義父様、お義母様と呼ばせて頂きます。まだ式は挙げて居ませんが、誰よりも先にご報告させてください」
「セ……セージ?」
「出会った当時は少年だと勘違いをしていました。今振り返れば、その時から今まで──ずっとお嬢さんに惹かれていました。何度も泣かせてしまい、傷付けて来た私ですが……」
ラマルを見つめる。お墓から見ると正面になるように肩を抱いて、墓石に刻まれた名前に向き直った。一世一代。
「ラマルを想うこの気持ちでは、お二人にも負けないつもりです。必ず幸せにしてみせます。どうか、お嬢さんとの結婚をお許しください」
深々と頭を下げる。──墓石に頭を下げても返事がないことはわかって居る。ただ俺が挨拶したかったのだ……ふ、と風が止んだ。
「『娘をよろしく。ラマル、結婚おめでとう──』」
「お父さん、お母さん!!」
今のは──はっきりと俺にも聞こえた。確かに……男女二人の声が。
「ラマル、今のっ」
ラマルを見れば──瞼を閉じ歯を見せて笑っていた。それは大切な人の前でしか見せない、さり気ない瞬間だった。
そして喜びの雫がまた零れ出したのを見て、何も言わずに頬を拭ってやる。
「し、死ななくて良かった──。僕……さっき、死んでも良いって思った。新年祭では生まれてきて良かったって思った。でも、今。死なないで居て本当に良かった……初めてそう思った」
それがどんな《奇跡》なのか、俺にはわからない……あの日記にも、ラマルが『死にたい』、『死んでしまえば良かった』と感じた瞬間の話は書いていなかったのだから──しかし、何度となく思ったのだろうと伝わって来た。
この瞬間、俺達は《奇跡》と立ち会ったんだ。
ポロポロと愛が溢れて、優しい風が吹き抜ける。日だまりの中のラマルは、神子でも孤児でもなく。一人の、命ある人間だった。
「めでたく祝福してもらえて良かったな」
頷いて肯定される。ラマルは今の出来事を言葉に出さないことで、色褪せないようにしたいのだろう。そう感じた。
「この場所では、晴れたらいつも日だまりの中に居られるんだね。凄く素敵な場所……そう思わない?」
「ああ、思う。お前には日だまりが似合うよ」
「ほんと? じゃあ、じゃあね──僕は木洩れ日が良い。セージだけの木洩れ日になりたい、って思ったことがあるんだ。覚えてないかな?」
それはひょっとすると──俺の家で寝る前に、そんな話をしたことがある気がした。いや、あった。あの時、何かを言おうとしたラマルは眠ってしまったんだった。
「──よし、約束通り一生、俺はお前専用の日だまりで居よう。だから、ラマルは俺だけの木洩れ日で居てくれ」
「はは……どうしたんだろ。結婚しよう、って言われた時より──う、嬉しいよ? 変だね、僕」
「変じゃないさ、ラマル。俺も、今がどんな時より幸せだ」
それを証明するように、抑え切れない気持ちを伝える為に、唇を触れ合わせて離した。幸せの息をもらすラマル。
「愛してる、セージ。日だまりのようなあなたが好き」
「俺も愛している。ずっと木洩れ日で居てくれ──日だまりの為に」
「うん。──うん」
そして心までとろけるような木洩れ日で、俺を包んでくれた。
明日晴れるだろうか? 昨日の雨のように、まだ見ぬ星のように。
明日晴れるだろうか? 心の空に訊ねてみよう。
降り積もる雪、海風の熱。梢の囁き──そんな何もかも。光に移ろう、闇に溶けてゆく。
そして木洩れ日と日溜まり──その間には。愛が、愛が満ちる。
木洩れ日と日溜まり、その間には──いのち、芽生え、育つ。
あの子は笑うだろうか? 涙の後のように、木洩れ日のように。
笑ってくれるだろうか? あの子の返事はここにある。
森で出会い、すれ違っても、まだ惹かれ合う──そんな毎日が。霧に煌めき、鮮やかに踊る。
やがて喜びと幸せ、悲しみさえも、遥か時を越えて。
木洩れ日と日だまりのあいだには、愛が満ち満ちている──。
・
・
・
<おわり>
木洩れ日と日だまりのあいだに、愛が満ちるまで。
いかがだったでしょうか?
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
かなり自己満足な作品ではありますが、それだけに思い入れは強いです。
この作品の何かが、誰か一人の──例えばあなたの──心を揺らせたならば、それ以上に幸せなことはないな。と思います。




