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第52話「脳内楽園」



 きらびやかな光に包まれたカップルシートへ、君野(きみの)が先に腰を下ろした。


 堀田(ほった)も、その隣へ堂々と座る。


 少しでも気を抜けば、緊張で逃げ出しそうだった。


 冷たい夜風が、2人の頬を撫でる。


 ――ここで、キスする。


 隣の君野は、頬を赤く染めていた。


 潤んだ瞳でこちらを見上げ、何かを待っている。


 だが。


 座った途端、周囲からの視線が気になった。


 身体が固まる。


「堀田く……」


「……」


 係員がスマートフォンを構える。


 その瞬間。


 堀田は反射的にピースサインを作った。


 パシャッ。


 パシャッ。


「……」


 キスどころか。


 肩を寄せることさえできなかった。


「ありがとうございました」


「……どうも」


 撮影が終わる。


 堀田は君野の顔を見ることもできず、逃げるようにベンチを離れた。


 ――やっちまった……!


「……なんか、あっけなかったな」


 スマートフォンを受け取り、無理やり笑う。


「そうだね……」


「写真も、ぎこちないし」


「う、うん。急かされちゃったからね」


「……」


 係員のせいではない。


 画面には。


 妙に距離を空け、揃ってピースをする2人。


 いたたまれない沈黙が落ちた。


「……帰る?」


「……そうだな」


 その瞬間。


 近くのカップルのニット帽が飛ぶほど、強い夜風が吹き抜けた。


 さっきまで綺麗だった光が。


 急に遠く見えた。


「悪い。帰る前にトイレ行ってくる」


「うん。ここで待ってる」


 2人は入口近くの土産店へ向かった。


 堀田がトイレへ入ったあと。


 君野は1人で売り場を歩いていた。


 可愛らしい菓子。


 雑貨。


 施設のキャラクターグッズ。


 眺めているうちに。


 少しだけ気持ちが軽くなってきた。


 中央には、大きな吹き抜けがある。


 頭上を見上げると。


 高いガラス窓の向こうに、冬の星空が見えた。


「綺麗……」


 やっぱり。


 本物の星が1番綺麗だ。


「……ふふ」


 思い出す。


 ポテトを口にくわえ。


 必死に左右へ振っていた堀田くん。


「あれ、絶対キスしたかったよね……」


 普段なら。


 絶対に見られない姿。


「そういうところが好きなんだもん……」


 手には。


 施設のキャラクターが付いた、2本のシャープペンシル。


 君野はノック部分の顔を。


 ちょん。


 と触れ合わせた。


「僕に、魅力なかったのかなぁ……」


『――君野くん』


「……!」


 耳元。


 少女の声。


『君野くん。おいで』


「……誰?」


 振り返る。


 誰もいない。


 昨日。


 部屋で聞いた声と似ていた。


 全身に鳥肌が立つ。


『「僕ギャグ」、ありがとう』


「……え?」


『君野くんがおすすめしてくれた漫画、面白かった』


「『僕ギャグ』知ってるの?」


 いつの間にか。


 本棚から何冊も消えていた漫画。


 散らかっているとはいえ。


 まとめてなくなったことだけは、ずっと引っかかっていた。


『あなたから借りたものだから、返したいの』


「そうだったんだ……」


『2階へ来て』


「持ってきてくれたの?」


『うん』


「ありがとう!」


 漫画を知っている。


 その事実だけで。


 警戒心が薄れた。


 君野は声に導かれるまま、吹き抜け脇のエスカレーターへ向かった。


「お待たせ……」


 トイレから戻った堀田は、足を止めた。


「……君野?」


 いない。


 土産物の棚を見回す。


 その時。


 ダダダダダッ――!


 頭上から激しい足音が響いた。


「きゃっ!」


 女性の悲鳴。


 堀田が見上げる。


「……は?」


 下りのエスカレーターを。


 君野が逆走していた。


「君野!!」


 一目で分かった。


 様子がおかしい。


 周囲の客が慌てて避ける中。


 君野は何かに取り憑かれたように、段差へ逆らって走り続けている。


「おい!どうした!」


 堀田は隣の上りエスカレーターへ飛び乗った。


 だが。


 君野はすでに2階へ辿り着き、そのまま奥へ走っていく。


「まさか……」


 嫌な予感がした。


 ――綾目あやめ


 こめかみに鋭い痛みが走る。


「待て、君野!」


 君野には。


 堀田の声が届いていなかった。


『そう。アヤメちゃんっていうの』


「アヤメちゃん……」


 少女の声は。


 耳ではなく、頭の奥へ直接流れ込んでくる。


 まるで。


 骨伝導イヤホンをつけているみたいだった。


 頭に薄い靄がかかる。


 なぜ従っているのか。


 そんな疑問すら浮かばない。


『こっち。吹き抜けのそば』


「うん」


 中央。


 吹き抜け近くの木製ベンチ。


 だが。


 周囲に少女の姿はない。


「どこ?」


『ベンチの近くに、漫画を置いたの』


 近づく。


「ないよ?」


『下を見て』


「下?」


 透明な手すりへ近づき。


 1階を覗き込む。


「見えない……」


『もっと近く』


「うん」


 真下は角度が悪い。


 君野は靴を脱ぎ。


 ベンチの上へ乗った。


「どこ?」


『君野くん』


「ん?」


『こっちへおいで』


「……!」


 吹き抜けの中央。


 何もない空中に。


 ピンクのパジャマを着た少女が浮かんでいた。


 柔らかな光に包まれ。


 宙に立っている。


「……綺麗」


 恐怖より。


 先に見惚れた。


 テーマパークの演出なのかな。


 霞んだ頭で。


 そんなことを考える。


『もう、そんなに悩まなくていいんだよ』


「僕……何か悩んでたっけ」


 少女が近づく。


 手を伸ばす。


 その瞬間。


 少女はいたずらっぽく笑い。


 吹き抜けの中央へ遠ざかった。


「待って……」


 触れたい。


 その衝動だけが。


 高さへの恐怖を消していった。


「きゃあ!やめて!」


 悲鳴。


 堀田が2階へ駆け上がる。


「……っ!」


 吹き抜け。


 君野が。


 透明な手すりをよじ登っていた。


「君野!!」


 身体が。


 向こう側へ傾く。


「行くな!!」


 走る。


 ほとんど同時に。


 君野の身体が宙へ乗り出した。


「っ……!」


 ――誰が渡すかよ!


 堀田は飛びついた。


 片手でコートの襟を掴み。


 もう一方で腰のベルトへ指をかける。


「戻ってこい!!」


 全体重を後ろへ叩きつけた。


 ベルトが軋む。


 肩が抜けそうになる。


 それでも。


 離さない。


「うおおおっ!!」


 君野の身体が。


 手すりの内側へ戻った。


 2人はもつれ合い。


 ベンチから床へ転がる。


「ぐっ……!」


 背中。


 脇腹。


 激痛。


 でも。


 堀田はすぐに君野を抱き寄せた。


「君野!」


「……」


「行くな……!」


 目は開いている。


 なのに。


 光がない。


「漫画……」


「え?」


「取りに……」


「もういい!」


「堀田くんにも……貸してあげたくて……」


「分かった!分かったから!」


「アヤメちゃんが……」


「……っ」


 その名前に。


 背筋が凍った。


「もう喋るな!」


 周囲で誰かが叫ぶ。


「救急車!」


「呼んでます!」


 男性が駆け寄り。


 君野の呼吸と脈を確認する。


「君野!俺見ろ!」


「……」


「大丈夫だから!」


 君野の視線が。


 ゆっくり。


 こちらへ向いた。


「……キス」


「え?」


「したかった……」


「……」


 目尻から。


 涙が1粒。


 床へ落ちた。


「君野……」


 堀田は。


 何も考えなかった。


 そのまま。


 君野の唇へ。


 自分の唇を重ねた。


「……」


 遅かった。


 腕の中から。


 力が抜ける。


「君野?」


 返事はない。


「おい……」


 深い眠りへ沈むように。


 君野の意識は。


 途切れた。


『――君野くん』


 声だけが。


 頭の奥に響く。


『おいで』


 優しかった声。


『来て』


 少し強く。


『来なさい』


 苛立ち。


 執念。


 遠くで。


 堀田くんが何か叫んでいる。


 誰かが身体へ触れている。


 誰かが電話している。


 でも。


 全部。


 遠い。


『ふふ』


 少女が笑う。


『もう遅いわ』


「……」


『君野くんは、もう私のもの』


「あれ……?」


 気づけば。


 1人だった。


 一面。


 真っ白な世界。


「僕……死んじゃった?」


 声だけが響く。


「……」


 視線。


 誰かに。


 見られている。


 何もない白い世界の奥に。


 小さな黒い点。


「……なに、あれ」


 黒い点が。


 ゆっくり膨らむ。


 中心に。


 巨大な単眼が開いた。


「……っ」


 見られている。


 目を逸らせない。


 巨大な存在が。


 ゆっくり。


 近づいてくる。


「ひっ……」


 大きな口。


 針山のような牙。


「いや……」


 次の瞬間。


 怪物が。


 凄まじい勢いで迫った。


「来ないで!!」


 君野は走る。


「堀田くん、助けて!!」


 どうして。


 さっきまで。


 あんなに楽しかったのに。


「うわあああっ!!」


 冷たい何かが。


 足首へ絡みつく。


「……っ!」


 世界が反転した。


 巨大な口が。


 目の前。


「嫌だ……!」


 上下から。


 闇が閉じる。


 君野の身体は。


 そのまま飲み込まれた。


「ほんと……醜い化け物」


 ピンクのパジャマ姿の綾目(あやめ)が、冷めた目で怪物を見上げた。


「そこ、どきなさい」


 巨大な単眼が彼女を向く。


 だが。


 綾目を認めた途端。


 大きく開いていた口が。


 縫い合わされたように閉じた。


「どけって言ってるでしょ!!」


 綾目が怒鳴る。


「この疫病神!!」


 怪物は。


 叱られた犬のように身体を縮め。


 静かに道を開けた。


 その奥。


 古びた鉄格子。


 1人が立つことすら難しい。


 大型犬を2匹押し込めた程度の。


 狭い檻。


 綾目は。


 ゆっくり中を覗き込む。


「……」


 その口元が。


 大きく吊り上がった。


「やっと見つけた」


 檻の中には。


 彼女が。


 ずっと探し続けていた宝物が。


 閉じ込められていた。


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