第27話「枕の姫」
翌日の祝日。
堀田は、隣町の大きな総合病院を訪れていた。
目的地は精神科の『開放病棟』。
予約は取ってある。それでも案内板を前にすると、足が止まった。
「よし……」
深呼吸して、自動ドアをくぐる。
受付を済ませ、面会時の注意事項へ目を通した。
面会は30分以内。
スマートフォンやベルト、小さなイヤホンなど、一部の持ち物は持ち込めない。
異物の誤飲や、自傷・他害を防ぐためだという。
太い赤文字を見て、堀田はごくりと唾を飲んだ。
看護師に案内され、カードキーの扉を抜ける。
4人部屋の一番奥。
『木南綾目』
その名前を確認し、恐る恐る扉をノックした。
「木、木南さん……?」
ほかのベッドはカーテンで仕切られている。
だが、綾目の周囲だけは全開だった。
「……何だ、これ」
大量の真っ白な枕。
その中心で、1人の少女が上半身を起こしていた。
肩まで伸びた黒髪に、白い肌。
細い身体をピンク色のパジャマに包み、胸には1つの枕を大切そうに抱えている。
中学生の堀田には、少し年上に見えた。
「誰?」
綾目は目を閉じたまま微笑んだ。
「あ、初めまして。今日面会予定の堀田です。山﨑くんのツテを辿って、話を聞きたくて来たんですけど」
「あら、そうなの?ふふふ!そんなこともあったかしらねえ!」
甲高い声。
毛先を撫でながら、指を細かく動かしている。
会って数秒で、堀田は完全に彼女の調子へ呑まれていた。
「……あの、単刀直入に聞きますけど」
一度息を呑む。
「桜谷瑠璃子って知ってますか?」
「えい!」
「うわっ!?」
突然、枕が飛んできた。
堀田は反射的に抱き留める。
「あはは!合格!あなたも枕の民の仲間ね!」
「枕の民……?」
枕を見る。
太いマジックで、人の顔らしきものが描かれていた。
丸い点が3つ。
2つの目には長いまつ毛。
「それ、サクラタニ。可愛いでしょ」
「桜谷!?」
堀田は思わずベッドの柵へ身を乗り出した。
「あの!何でその名前知ってるんですか?下の名前、瑠璃子じゃないですか!?」
「そうそう。そうそう、うんうん」
何度も頷く。
答えになっているのか分からない。
綾目は別の枕を耳へ当てた。
「キミノはねえ、サクラタニをゆりらんらんちゃん以外に触られるのが気に食わないのー。えー!?そうなのー!?返してもらわないとね!」
「君野!?」
その隙に、『サクラタニ』の枕を奪い返された。
綾目は大切そうに抱き締める。
「この子はいちばん大事な子で、永遠に私のものなの。キミノはサクラタニのぬいぐるみの妖精さん。こっちはトグチ。私に針を刺すけど優しいの。それでね――」
そこからは、ひたすら枕の紹介だった。
どの枕にも違う顔と名前が描かれている。
彼女の話では、気に入った人間は枕の妖精となり、その国で永遠に暮らすらしい。
やがて堀田の存在など忘れたように、綾目は枕たちと笑いながら話し始めた。
30分は、あっという間だった。
これ、1回じゃ無理だ。
もっと仲良くならなければ、情報は引き出せなさそう。
病院を出た堀田は、大きく息を吐いた。
「あの……また来てもいいですか?」
「ふんふんふん!いいわよ!」
綾目は枕とじゃれ合ったまま、明るく答えた。
その日の放課後。
図書室では、君野が机へ突っ伏して眠っていた。
堀田と桜谷は、少し離れた本棚の奥で話している。
「最近、あいつおかしくないか?」
堀田は声を落とした。
「ずっと寝不足だし、昨日と同じ間違いまで繰り返してる。他に脳の異常とかあるんじゃないか?」
「君野くん、変な夢を見ているのよ」
「変な夢?」
「黒い何かに襲われる夢。今飲んでいる薬が合っていないのかもしれない」
「そうなのか……」
君野が綾目と出会った可能性。
その考えが、再び堀田の頭をよぎった。
しかし、今通っている病院は綾目のいる病院とは違う。
本人へそれとなく聞いてみても、ほかの病院へ通った記憶はないという。
なら、昔?
桜谷も?
目の前の桜谷へ聞くには、あまりにもデリケートな話だった。
下手に探って警戒されれば、何も聞けなくなる。
「……それにしても、本当にどうしちゃったのかしら」
桜谷が眠る君野を見つめる。
「こんなの、初めてなのか?」
「……ええ」
その表情には、いつもの余裕がなかった。
やがて堀田が席を外したあと。
桜谷は1人、本棚へ背中を預けた。
薬の問題じゃない。
この異常には、覚えがある。
「また……キスが効いてない?」
爪を噛む。
以前も、一度だけ効かなかった。
あの時、自分の気持ちは君野だけへ向いていただろうか。
堀田に背負われて。
抱き上げられて。
自分でも分からない感情が、ほんの一瞬でも入り込んでいたのなら。
そして図書室で――。
眠っている自分へ、君野がキスをしていたとしたら。
「彼は、私を愛していたから効いた……?」
なら。
呪いを成立させるのは、どちらの気持ち?
それとも――。
「私の気持ちが……折れたから?」
桜谷の顔が強張った。
理由は分からない。
けれど、このままではまずい。
「キスがなければ……彼は壊れてしまう……」
1時間後。
「ばいばい、堀田くん」
「ああ。明日は乾燥わかめ持ってくるなよ」
駅前で堀田と別れ、君野と桜谷は2人で住宅街へ入った。
「ねえ、君野くん」
「なあに?」
「……もし、キスが効いてなかったら言ってね」
「え?」
心臓が跳ねた。
ばれた……?
「何のこと?」
「あなたが壊れてしまうから」
「壊れるって?」
「今みたいな状態よ。昨日と同じことを何度も繰り返したり」
「もうわかめ持ってこないよ……」
「でもね」
桜谷は足を止めた。
「今はもう、あなたが壊れてしまってもいいって思ってるの」
「え……?」
「壊れてしまえば、石膏で固めたみたいに、ずっと私のそばへ置いておける。フィギュアみたいに」
「な、何言ってるの?」
「そうなれば、私はもう何も考えなくて済む」
桜谷は虚ろな目を伏せた。
「それが本意よ」
そして、悲しげに君野を見る。
「……でも、不本意なの」
「……」
「だから、あなたは私を好きになるしかない。そうすれば、またいつもの日常に戻れる」
君野は唾を飲み込んだ。
桜谷さんは、好きでこんなことをしているわけじゃない。
たぶん。
彼女だって、この終わらないやり直しから抜けられない。
「僕からキスをしなければ……僕はこのままおかしくなるってこと?」
桜谷は静かに頷いた。
僕は桜谷さんが好きだ。
でも、今キスをしたら。
今度こそ本当に、彼女が僕の中から消えてしまうかもしれない。
また、何も知らない僕へ戻る。
それだけは――。
「……しないのね」
桜谷が歩き出す。
「キスすれば、きっと悪夢もなくなるわ」
「……桜谷さんは、僕のこと好き?」
「好きよ」
迷いはなかった。
「嫌いだったら、ここまで執着しないわ」
その時、強い風が吹いた。
桜谷の三つ編みと黒いスカートが揺れる。
夕暮れの中、枯れ葉が一斉に舞い上がった。
まるで、彼女の周囲だけに降る紙吹雪のようだった。
「……」
そうなんだ。
じゃあ。
あの悪夢は、やっぱり桜谷さんなんだ。
「行きましょう」
桜谷が先へ歩き出す。
君野は、その背中を見つめた。
「……!」
足が止まった。
いた。
夢の中で自分を追い続けている、真っ黒な影。
それが今――。
桜谷の背中へ、ぴったりと張り付いている。
夕暮れの光の中。
桜谷の影と黒い化物は、風船の紐のような細い影で繋がっていた。
それが見えているのは、君野だけだった。




