第26話「黒い悪夢の化物」
翌日の祝日。
駅を出た堀田ほったは、総合病院の精神科病棟へ向かった。
『開放病棟』
案内板の前で足を止める。
面会の予約は取ってある。
それでも、身体がわずかに強張った。
「よし……」
深呼吸し、自動ドアをくぐる。
「すみません。11時に木南綾目きなみあやめさんへ会いに来た堀田です」
受付を済ませ、簡単な注意事項を確認したあと、看護師に案内されて病棟へ入った。
4人部屋。
窓際の一番奥に『木南綾目』の名前がある。
「き、木南さん……?」
扉をノックし、病室を覗く。
ほかのベッドはカーテンで仕切られていた。
だが綾目の周囲だけは全開だった。
「……何だ、これ」
大量の真っ白な枕。
その中心で、1人の少女が上半身を起こしている。
白い肌。
肩まで伸びた黒髪。
細い身体に、ピンク色のパジャマ。
胸には、1つの枕を大切そうに抱えていた。
「誰?」
綾目は目を閉じたまま微笑んだ。
「あ、初めまして。山﨑くんの知り合いで、今日面会予定の堀田です」
「あら、そうなの?ふふふ!そんなこともあったかしらねえ!」
甲高い声で笑いながら、手を細かく揺らす。
独特な調子に、堀田は出会い頭から圧倒された。
「単刀直入に聞くんですけど、桜谷瑠璃子さくらたにるりこって知ってますか?」
「えい!」
「うわっ!?」
突然、枕が飛んできた。
堀田は反射的に抱き留める。
「あはは!合格!あなたも枕の民の仲間ね!」
「枕の民……?」
表面には、太いマジックで顔らしきものが描かれていた。
丸い点が3つ。
2つの目には、長いまつ毛。
「それ、サクラタニ。可愛いでしょ」
「桜谷!?」
堀田は枕と綾目を交互に見る。
「あの、下の名前は瑠璃子ですか?」
「ふんふん……そうそう。うんうん」
答えになっているのか分からない。
綾目は別の枕を手に取り、耳へ当てた。
「キミノはねえ、サクラタニはそうだって言ってる!」
「君野!?」
綾目は堀田から『サクラタニ』を奪い返し、大切そうに抱いた。
「キミノはサクラタニのぬいぐるみの妖精さん。こっちはトグチ。私に針を刺すけど優しいの。それでね――」
突然、枕の紹介が始まった。
どの枕にも顔が描かれ、それぞれ名前があるらしい。
綾目は自分をどこかの国の姫だと思っているようだった。
気に入った人間は枕の妖精になり、自分の国で暮らしている。
話しているうち、堀田の存在など忘れたように、枕へ笑いかけ始めた。
「あの……また来てもいいですか?」
「ふんふんふん!えへへ。みんながいいって!」
結局、30分の面会で分かったことはほとんどなかった。
病院を出た堀田は、大きく息を吐く。
「はあ……」
でも。
あの世界には、
『キミノ』
『サクラタニ』
が確かにいた。
偶然とは思えない。
「また来るしかねえな……」
堀田は手汗の滲んだ拳を握った。
翌日の月曜日。
昼休み。
「おい、君野。何食ってんだ?」
弁当を食べ終えた君野きみのは、白い袋から何かをつまんで口へ運んでいた。
「これ?乾燥わかめ」
「乾燥わかめ!?」
「お菓子持ってこようとして、間違えちゃった」
「じゃあ食うなよ!」
「食後に何か食べないと、口が寂しいんだ」
「せめてふやかせよ」
「ふやかしたら、それはもうわかめだもん!」
「ふやかさなくてもわかめだろ!」
そこへ、桜谷さくらたにが戻ってきた。
「君野くん、それ何?」
「乾燥わかめ」
「どうして?」
「間違えて持ってきたんだと」
堀田が笑う。
「そんなもの、おやつみたいに食べすぎちゃ駄目よ」
「そうなの?」
「水分を吸って膨らむから」
「でも、まだお腹すいてるよ」
「分かった!」
堀田が立ち上がった。
「俺が購買でお菓子買ってくる。それ分けてやる」
「ほんと?」
「ほら、行くぞ」
君野の肩を掴み、2人で教室を出た。
そして翌日。
「おいぃ!何でまたわかめ食ってんだよ!」
「え?変かな……」
「昨日も同じことやっただろ!」
「……昨日?」
堀田の顔から笑いが消えた。
「お前、これ2回目だぞ。大丈夫か?」
放課後。
図書室の机では、君野が深く眠っていた。
堀田と桜谷は少し離れた本棚の奥で話している。
「最近、変じゃないか?」
堀田は声を落とした。
「ずっと寝不足だし、昨日と同じ間違いまで繰り返してる。脳とか大丈夫なのか?」
「連日、悪夢を見ているのよ」
「悪夢?」
「黒い何かに襲われる夢。薬が合っていない可能性もあるし、今度お母さんへ話してみるわ」
「……そうか」
堀田は眠る君野を見る。
最近、薬が変わったとは本人から聞いていた。
その時。
木南綾目のことが頭へ浮かんだ。
君野が以前、あの病院へ通っていたのなら。
そこで綾目と会っていた可能性は?
桜谷も?
聞いてみたい。
だが本人を前にして軽々しく出せる話ではない。
明日、また綾目へ会う予定がある。
そこで探るしかない。
「……本当に、どうしちゃったのかしら」
桜谷が眠る君野を見つめた。
「こんなの、初めてなのか?」
「……ええ」
その表情には、いつもの余裕がなかった。
放課後。
図書室で1時間ほど眠ったあと、君野は堀田と桜谷と一緒に学校を出た。
駅前で堀田と別れ、桜谷と2人になる。
住宅街へ入ったところで、桜谷が口を開いた。
「ねえ、君野くん」
「なあに?」
「……もし、キスが効いていなかったら言ってね」
「え?」
心臓が跳ねた。
ばれた……?
「何のこと?」
「あなたが壊れてしまうから」
「壊れるって?」
「今みたいな状態よ。昨日と同じ間違いを何度も繰り返したり」
「もうわかめ持ってこないよ……」
「でもね」
桜谷は前を見たまま言った。
「今はもう、あなたが壊れてしまってもいいって思ってるの」
「え……?」
「フィギュアみたいに飾っておけるもの。そうなれば、私はもう何も考えなくて済む」
「な、何言ってるの?」
「本意よ」
桜谷の瞳がわずかに揺れた。
「……でも、不本意なの」
君野は唾を飲み込んだ。
「呪いのキスが効かないと、僕はこのままおかしくなるってこと?」
桜谷は静かに頷いた。
「……」
「しないのね」
「え?」
「今、あなたからキスしてくれてもいいのに」
「……桜谷さんは、僕のこと好き?」
「好きよ」
迷いのない答えだった。
「嫌いだったら、ここまで執着しないわ」
「……」
「行きましょう」
突風が吹き、黒いスカートと三つ編みを揺らした。
桜谷は1人で先へ歩き出す。
君野は、その背中を見つめた。
「……!」
足が止まる。
まただ。
夢の中の黒い影が――。
桜谷の背中へ、ぴったりと張り付いていた。




