第7章 1
夜、テレビを見て笑っていたコーリャの伯父は、ふと眉をひそめた。
コーリャが馬鹿に静かだ。普段から、やかましく騒ぐ性質の子でもないが、今夜は輪をかけて大人しい。テレビや動画を見るでもなく本や参考書を読むでもなくただぼうっと一点を見つめて固まっている。
「コーリャ?」
声をかけると、甥は俊敏に振り向いた。
「何?」
警戒を滲ませた返事に伯父はたじろぐ。
「いや……何でもないよ」
「そう」
コーリャは再びむっつりと口を閉ざす。明瞭な意味も無く伯父の心がかき乱される。
「お前……何か悩んでいるのかい?」
また伯父の方を見たコーリャは緩慢な仕草で首を振った。
「ううん、違うよ。そんなことないよ」
コーリャは立ち上がり、居間を出て行った。二階への階段を上がる軽い足音が聞こえる。伯父は思わず溜息をついた。甥が普段どれだけ陽気そうに振る舞っていても、母親の死が彼の心に陰を落としていることは想像に難くない。かといって、相談される前から余計な口を挟んでは、コーリャの傷をいっそう抉ることになりかねない。彼を我が家に迎えるにあたって相談したカウンセラーにきつく言われていた注意だ。
助けを求められるまでは、ただ見守り続けることしか自分にはできない。甥が家族のように信頼してくれるまで。もどかしい思いを呑み込んだ。
どうして彼女は、モスクワに行こうと言ったのだろう。
マリヤはあの後、ろくに理由も説明せず帰ってしまった。コーリャの手紙を貸してくれと言って。あの手紙の内容に鍵があるのは何となく想像がつく。返してもらったら、ロシア語ができる友人に翻訳を頼もう。
マリヤは多分、今の生活から逃げ出したいのだろう。ロシアに戻った方が、自由で自分らしい生活が出来ると思っているんだ。トモダチだからって僕を巻き込まないでほしいね。
だけど、モスクワ……か。
ロシアには、父親がいる。いや、ロシアといっても広すぎて到底見つけ出すことなんてできっこないだろうけど。でも、もしその近くて遠い敵の国で、自分のルーツを見つけたら? 今いるこの家より、この町より向こうの方が心に馴染んだら?
それに、なんと言っても……あれほど憧れた国、ロシア。いつか絶対に、お金を貯めて父親に会いに行くと幼い心に誓ったっけ。今マリヤの口から飛び出した提案は、長年の夢を叶えるまたとないチャンスじゃないのか。アルバイトで稼いだ金はこの年にしては十分過ぎるほど溜まっていた。生活費のつもりで伯母に差し出した最初の給料を、そっくりそのまま突き返されたのだ。
コーリャはベッドに寝転がり、携帯の画面を眺めた。マリヤとは連絡先を交換した。だが、彼女が今も携帯を自由に使えるかどうかは知らない。
本当は分かっていた。荒唐無稽だ。二人きりでロシアになんて行けるはずがない。金があると言ったってたかが知れているし、パスポートだって必要だ。何より、伯父たちが絶対に許さないだろう。
明日またマリヤが来たら、その話題は出さないようにしよう。寝返りを打った時に、まだ課題を済ませていないと気がついた。




