Effect5 追想 -recollection-
シュウがリサに呼び止められたのは、とある土曜の朝だった。
玄関口で靴紐を結び、今にも外出しようと思っていたシュウは、声をかけられて振り向いた。
「ねぇシュウ。今日も書店にいくの?」
「ん? ああ。そうだけど、それが?」
「私もいくわ。すぐに準備するから、少しだけ待っててくれる?」
「ああ、かまわないぞ。何か買いたい本でもあるのか?」
「いいえ。あなたと一緒。勉強よ」
シュウは休みに入ると、土日のどちらかはたいてい、町にある大型書店にいく。そこにある蔵書で、自学するのが常だった。
「勉強……ああ、なるほど。授業のためか」
「そ。私は学科担当だからね」
先月からリサたち3人の特別授業が開始された。
それらはシュウたち生徒側にとって概ね好意的に受け止められている。
やはりまだ自分たちと同じ年代の講師ともなれば、粗も目立つ。
しかし彼等は生徒たち以上に真剣に取り組んでいた。その必死さが生徒たちに伝わり、デパーチ・チルドレンにもかかわらず、それを鼻にかけない態度が、生徒側にとっていいカンフル剤となっていたようだ。
「俺は夕方までいるつもりだけど。リサは?」
「貴方に合わせるわ」
リサが今日着てきたのは、ハデな柄のTシャツに、ふとももから先がカットされたホットパンツだ。いつも楚々とした雰囲気の服を着る彼女にしては、ちょっとハデで露出も多い。
「今日、なんかいつもと服の雰囲気が違うなぁ」
「この前カズハと買い物にいった時に薦められたのよ。今の『サスガ』の流行なんだってね。せっかく『シューティング・スター』を出たんだから、色々冒険しないとと思って」
それから、リサは期待するかのようにシュウを見つめてきた。おそらく、服を褒めてほしいのだろう。 それはやぶさかではないが……、素直に褒めるのは面白くない。
「二人で服をキメて出るのって、まるでデートみたいだな」
「! 馬鹿ね。調子に乗らないでよ?」
「冗談だって。ただ、秋雄だったら感激するんだろうって」
「……秋雄の話はしないでよ」
「嫌いなのか?」
「嫌いじゃないけど……困るわ。ああいうのは」
リサは嘆息を交えながら言った。
「秋雄には悪いけど、私はそんなことを考える気にはなれないわ。アマルガムのパイロットは、圧倒的に殉職率が高い仕事だし……。EOMの脅威がぜんぜん晴れていない今、そんなことを考える余裕はないわ」
「まじめなんだな、リサは」
「……そういうあなたは? 彼女とか、いないの?」
「いや、いない。……俺もリサと一緒だよ。正直、そういうのを考える余裕はないかな」
「そうよね……安定した幸せを目指すなら、アマルガムパイロット……いえ、軍人を目指すべきではないわ。何か起こったとき、真っ先に矢面に立つのは軍人だもの」
アマルガムという具体的な対抗策ができたとはいえ、EOMの脅威は晴れない。パイロットであれば、まだアマルガムを操縦して対抗することができるが、普通の軍人は、EOMに対処する手段がない。しかし、それでも時間稼ぎや避難誘導を行うのは、軍人なのだ。
「リサはなんで軍人になったんだ?」
会話の流れから、自然と口をついて出た質問だ。リサは一瞬、言葉をつまらせた後、造り笑顔を浮かべて、首をふった。
「そういう暗い話はやめにしましょう? デートじゃなくても、せっかくのおでかけなんだから」
大型書店にやってきたものの、シュウもリサも、本を買うつもりはこれっぽっちもなかった。自分でお金を出すのには馬鹿らしい額の本を借りて、立ち読みしながら勉強するために来たのだった。
アフリカ大陸が解放されたとはいえ、まだどこのコロニーも資源不足だ。そのため、以前はあった製本サービスはなくなり、全て電子化された電子書籍に置き換えられていた。
シュウが今日の勉強のために借りてきた書籍を広げると、そのパッケージを見るなり、リサが呆気にとられた顔をした。
「……なにそれ?」
「なにって……EOMの生態やら、アマルガムに関する本やら色々だけど……」
「……それ、学者むけの学術書でしょ? そんなレベルの高い本、読んで理解できるの?」
「ああ、そういうこと。まわりくどい言い方をしているけど、中身は理科や数学の延長線上だよ。中学のころから読んでいるから、読めるようになったんだ。俺、元々はパイロットじゃなくて研究者を目指していたから」
「そうなの?」
「ああ。アマルガムはたしかにEOMに対して効果がある。だけど、あれだけでは抜本的な解決にはならない。EOMを全滅させようと思ったら、致死性のウイルスとか、もっと圧倒的な何かが必要だと思ったんだ。だけど、テストの成績がふるわなくてね」
苦し紛れに言うと、リサはかすかに眉根を寄せた。今のはとっさに口をついてでた謙遜――ではなく、紛れもない嘘だ。
おそらく、座学を担当しているリサは、シュウの学力を考えて、ある程度の大学ならいけると考えているだろう。
「シュウは、なんでパイロットになったの?」
「ん?」
さきほどリサにした質問を、今度は逆にたずねられた。
「理由? そう大したものじゃないし……ありきたりだよ」
「ありきたり?」
「そう。俺は……『トライアル3』の生き残りだから」
「――」
リサは、言葉につまった様子で見返してきた。
シュウが口にした言葉は、自分たちの世代にとってありきたりな――そう、悲劇だ。
『トライアル3』。それはアマルガムが開発される1年前にEOMによって壊された、3つめのコロニーだった。
「……ごめんなさい。嫌な事を思い出させたかしら」
「いや。気にするなよ。似たような奴らはたくさんいるだろ」
シュウの言葉は決してやせ我慢やポーズでもない。EOMパンデミックが起こったのは今からたった12年前。シュウたちの世代は、誰だってEOMパンデミックが起こる前の平穏な時代と、数年前まで蔓延していた徐々に窒息死するような鬱屈とした世界を体験している。
「リサがパイロットを目指した理由は……。と、聞かない方がよかったか?」
「言わないといけない雰囲気みたいじゃない………。でも、あなたみたいにまっとうな理由ではないわよ」
「まっとうな理由って何だよ」
シュウが笑いかける。それに答えず、リサは手の平のものを差し出す。
リサが差し出したのは、古びたロケットだった。いつかシュウにも見せたものだ。その中を開いてみせてみる。
そこには、今と比べて幼いリサと、軍服に身を包んだ2人の男性が映っていた。
「これが私の父と、私の兄。……私の兄が死んだっていうのは、以前言ったけど、覚えているかしら?」
「ああ」
「私の兄は、父と同じく『シューティング・スター』宙軍に所属していた。まだアマルガムが完成していなかった時代よ。EOMと遭遇すれば、それは死ぬことと同義。……そして、宇宙船で航行中に、あっけなくEOMに襲われて、殺されてしまった」
「……リサがパイロットになったのは、お兄さんの仇討ちってことか?」
「いいえ。違うわ」
端正な顔に表情を浮かべず、淡々と言うリサの言葉に、シュウは聞き入る。
「私は、兄のことが嫌いだった。兄は私と違って自信家で、天才だったわ。年が離れていたこともあったんでしょうけど、いつも私を馬鹿にしてた。『なんだ、そんなこともできないのか。俺はお前より3つは若いころから、そんなことできていたぞ』っていうのが口癖。3という数字が好きだったのかしらね」
思い出を語りながら、彼女は唇をゆがめた。
「私が、父みたいな軍人になりたいって言ったら、いつも馬鹿にしていた。お前なんか、軍に入ってもすぐEOMに食われるだけだって散々脅されたわ。……でもお笑い種よね。才能の塊のように豪語していた自分が、EOMに襲われてあっさり殺されてしまったんだもの」
「それが、お前のパイロットを目指す理由……?」
「そう。さしずめ死者への冒涜ってところかしら? 兄の訃報を聞いたのは、ちょうど、パイロットの第一次募集が開始された時だった。その時に、これだ、と思ったわ。私がアマルガムにのって、あいつを殺したEOMを、たくさん殺すの。それが一番、あの男を見返すことにつながるんじゃないかって」
「………。俺はその場にいなかったから、わからないけど」
「何?」
「兄貴は、お前に死んでほしくないから。そういう風に憎まれ口をたたいていたんじゃないのか?」
「――適当なことを言わないで。あいつがどんな嫌らしい性格だったのかも知らないくせに」
「そうだけどさ。……不器用な人っていうのも、世の中にいるんだよ。だってお前……」
「なに……?」
シュウは正直、言おうか言うまいか、相当迷った。しかしついには、観念したように息を吐きながら、言葉を紡いだ。
「口ではお兄さんのことを罵りながら、目が潤んでいるぞ」
リサはそこではじめて気がついたのように、目元をぬぐった。
EOMパンデミック。
EOMが出現した2200年10月7日からの、特に人類が混迷した時代をさす言葉だ。
ワープ能力と言う、次々に仲間を呼び寄せる増殖性と、あらゆる物理攻撃を無効化するこの生物の突然の襲撃は、世界中を混乱に陥れた。それは、アマルガムが開発されるまで、地上に人の住める土地が存在しなくなった点からもわかるだろう。
元々、スペースコロニー計画とは、核の冬や巨大隕石の衝突など、未曽有の災害が起こり人類が地表に住めなくなった場合に備えての危機回避という側面があった。
EOMの襲来こそまさに未曽有の大災害だったが、コロニーの元々の設計許容量というのは、数千万人程度。
100億を超える人類を受け入れる容量など、初めから存在しなかった。
各コロニーは、受け入れる人間を選別した。
――あえて言うのなら、苦渋の決断だった。全員を受け入れて全員が共倒れするよりは、受け入れる人間を選別し、残った人間で人類を存続させる。それが、当時のコロニートップの選択だった。だが、この選択の重さを多くの人間は、理解していた。
『サスガ』のトップだった当事のコロニー長は、受け入れ体制が整い、自分の仕事がひと段落したことを理解した後――、自らのこめかみを拳銃で打ち抜いて自殺をした。人が生かす人間を選び、死なせる人間を決定する。その行為の重さを理解し、自分ひとりで罪を引き受けることで、残った人間は遺恨を忘れてほしい。そういった意思のもと行われた、覚悟の自殺だった。家族や周囲の人間にはあらかじめ周知されていたらしい。
そこまでしなくても、『シューティング・スター』の当事のトップは、今は自らの意思で刑務所に入っている。他のコロニーでは、いまだにコロニー代表として君臨しているケースもあるが、この2人と似たようなケースは他にも何例かあった。
EOMパンデミックが起こった当時、人類は100億を越える人数がいたと言われていた。しかし現在、確認されている人類の数は、5億に満たないとされている。
東墺基地。
多数の宇宙戦艦やアマルガムも備える、『サスガ』の中枢基地である。
シュウたちが通う榎原士官学校と同じ『工場地区』の外れに位置し、常に物々しい厳戒態勢が敷かれている。
そこに着陸した輸送ヘリから、一人の中年の男が降り立った。
軍服の下の赤銅色の肌には深い皺が刻まれている。その男の実際の年齢がまだ40を超えたばかりだと言われても、素直にうなずける人間はいまい。肌に刻まれた深い皺は、老人が如きものだった。
しかしそれこそが、男が数々の激戦を戦い抜いた証だ。
アフリカ解放作戦における『エールケニッヒ』の伝説。この話を知る者は多い。圧倒的な物量を誇るEOMに対して、アフリカ大陸を北から南まで転戦し、たった1人で1個師団分の戦線を支えたと言われる人物。
常軌を逸した戦闘の記録は、味方をして魔王と呼ばれる所以だ。
人類の英雄といっても過言ではない活躍をした彼に、魔王という称号はいささか不釣り合いかもしれないが、本人はむしろ気に入っている節があり、メディアでもしばしそのまま使われる。
彼の本名はエンドリック・ニッケ。
魔王にして、100機喰らい殺しの名を持つ、現存する伝説である。
……もっとも、歴戦を潜り抜けたアマルガムパイロットの宿命として、
《フラクタル・ドライブ》による精神汚染――通称《フラクタル・イド》をおそれて、久しくアマルガムには乗っていない。