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悪徳サブスクリプションと天然令嬢〜月額10万円の架空コンシェルジュ、過労死寸前〜  作者: My Pace News
第1章「月額10万円のカモと架空コンシェルジュ」

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2/11

第2話「深夜の港区、蜘蛛と詐欺師」

「…………クモ、でございますか」


黒瀬巧は、手元の安っぽいビジネス用ガラケーを握りしめたまま、必死に自身の脳内処理速度を限界まで引き上げていた。

『プレミアム・ライフ・エスコート』のトップページには、確かに「お客様の生活におけるあらゆるお悩みを、24時間365日フルサポートいたします」と、金箔をあしらったような仰々しいフォントで大々的に謳っている。

だが、それはあくまで情報弱者や見栄っ張りの小金持ちから、初期費用と月額料金を巻き上げるためのただの「飾り文句」に過ぎない。月額十万円という超高額なサブスクリプション費用を支払って、深夜の零時過ぎに専属コンシェルジュを呼びつけてやらせる用事が、「殺さずにクモを外へ逃がすこと」など、悪徳詐欺師の黒瀬にとっても完全に想定外の事態であった。


「白鳥様。誠に恐縮ではございますが、本サービスは現在、他のお客様からのご依頼で大変混み合っておりまして……。それに、野生生物の保護および駆除に関しましては、提携しております専門業者を通す必要がございまして……」


黒瀬はコールセンターの熟練オペレーターさながらの滑らかな嘘を並べ立て、どうにかこの通話を穏便に切ろうと試みた。ここで適当に丸め込んでしまえば、あとは「業者手配のシステムエラー」という理由をつけて放置できる。

ところが、電話の向こうの天然令嬢、白鳥花澄の反応は、黒瀬の緻密な予測をはるか斜め上に飛び越えてきた。


『あっ、そうなんですか? すみません、私ったら無知で……。でも、黒瀬さんの声、少し焦っていらっしゃるように聞こえます。もしかして、深夜までお仕事でお倒れになったりしていませんか?』

「いえ、決してそのようなことは……」

『そうだ、こんな時間までたったお一人で対応してくださっているなんて、きっとブラック企業……いえ、会社で何か事件に巻き込まれているのかも! 大変、今すぐ警察に連絡して安否確認をしてもらいますね! 東京で出会った最初の恩人を見捨てるわけにはいきませんから!』


「待て待て待て待て!!」


黒瀬は思わず、一流コンシェルジュらしからぬ素っ頓狂な大声を上げた。

まずい。非常にまずい。

この純度百パーセントの善意と、一切の疑いを持たない正義感で警察に通報されでもしたら一貫の終わりだ。「心配した顧客からの通報」として、善良な警察官がこのうらぶれた雑居ビルに駆けつけてくることになる。

そうなれば、到底月額十万円のサービスを提供しているとは思えない不衛生なオフィスの実態や、背後のデスクで赤木がせっせと構築しているダミーサイトの数々、さらには複数の架空請求用サーバーまでもが白日の下に晒されてしまう。


「し、白鳥様! ご心配には及びません! 当方、一流のコンシェルジュとして万全の体調で業務にあたっております! クモですね、承知いたしました! 直ちに私、担当の黒瀬が急行いたします!」

『本当ですか!? わぁ、ありがとうございます! お待ちしておりますね!』


弾むような明るい声とともに、通話がプツリと切れた。

換気扇の回る音だけが響く静寂の室内で、黒瀬はゆっくりとガラケーを机に置き、両手で顔を覆って天を仰いだ。


「……おい赤木。カーシェアで一番高級な外車を今すぐ押さえろ。行くぞ」

「はあ!? お前、本気で行くのかよ! 相手は港区のタワーマンションだぞ!? 往復のガソリン代と手間を考えろよ!」

「行かなきゃ善意でサツを呼ばれるんだよ!! あの女、バカだ! いい意味でも悪い意味でも、本物の世間知らずのド天然だ!!」


黒瀬は半ば絶叫しながら、事務所のロッカーから唯一の「勝負服」を引っ張り出した。それは、詐欺の対面営業用や、投資家を装う時のためにあつらえた三十万円の最高級オーダーメイドスーツである。それを手早く身に纏い、ネクタイを完璧な結び目で締め上げると、黒瀬は血走った目でオフィスのドアを蹴り開けた。


四十分後。

黒瀬は、赤木が慌てて手配した黒塗りの高級輸入車(一時間三千円のレンタカー)のハンドルを握り、港区の一等地にそびえ立つ超高級タワーマンションの車寄せに滑り込ませた。

見上げるほどの巨大なガラス張りの外観に、大理石で覆われたエントランス。厳重なコンシェルジュカウンターには、本物のプロフェッショナルたちが隙のない姿勢で控えている。本来なら、黒瀬のような薄汚れた詐欺師など鼻で笑って追い返されるような空間だ。

しかし、仕立ての良い高級スーツと磨き上げられた革靴、そして何より「最上階の白鳥様からお呼び出しを受けた専属エスコート」という絶対的な肩書きが、難なく幾重ものオートロックを開けさせた。


最上階付近の角部屋。ふかふかの絨毯が敷き詰められた内廊下を進み、黒瀬が重厚な木製の扉の横にあるインターホンを押すと、数秒も待たずに扉が開いた。


「黒瀬さん! お待ちしておりました!」


そこに立っていたのは、ふわふわとした柔らかな栗毛に、一目で高級ブランドとわかるシルクのルームウェアを纏った、息を呑むほど美しい令嬢だった。

透き通るような白い肌と、一切の世間の汚れを知らないような大きな瞳。白鳥花澄は、不安げに両手を胸の前で組み合わせて、すがるような視線で黒瀬を見上げた。


「あちらなんです……寝室の壁に……」

「ご安心を。プレミアム・ライフ・エスコートの黒瀬にお任せください。白鳥様の平穏な夜を取り戻すのが、私の使命でございますから」


黒瀬は引きつりそうになる頬の筋肉を気合いで制禦し、完璧な営業スマイルを顔に貼り付けて、案内された寝室へと足を踏み入れた。

そこは、黒瀬の住むアパートが丸ごと三つは入りそうなほど広大な寝室だった。そして、特注サイズのキングサイズベッドの真上にあたる壁面に、手のひらほどもある立派なアシダカグモがべったりと張り付いていた。

確かに、虫が苦手な人間からすれば恐怖の対象だろう。だが、こいつはゴキブリなどの害虫を食べてくれる益虫だ。わざわざ深夜にレンタカーを飛ばして出向くような相手ではない。


(……このバカげた茶番も、これで終わりにしてやる)


黒瀬はポケットから取り出した清潔なシルクのハンカチと、リビングのテーブルに置かれていたバカラの高級グラスを素早く手に取った。そして、一切の無駄のない洗練された所作でクモに近づくと、壁を傷つけることなくグラスの中にクモを捕獲し、ハンカチで蓋をした。

そのまま広大なバルコニーへ出ると、東京タワーが輝く港区の夜風の中へ、そっとクモを逃がした。


「任務、完了いたしました。もうご安心ください、白鳥様。不審者は完全に排除いたしました」

「すごい……! さすがプロのコンシェルジュさんです! まるで魔法みたいでした!」


花澄はパァッと顔を輝かせ、両手で口元を覆って感動の吐息を漏らした。その眼差しは、まるで映画のヒーローでも見るかのように熱を帯びている。


(チョロい。圧倒的にチョロい。これでお役御免だ。明日からはこの部屋からの着信を完全にブロックして、適当にシステムエラーのせいにしてやる。月額十万円はありがたく頂戴しておくがな)


黒瀬が内心で悪態をつきながら、深々と一礼して踵を返そうとした時のことだった。


「あの、黒瀬さん!」

「はい、何かご不便でも?」

「十万円のサービスがこんなに素晴らしいなんて、私、本当に感動しました! 東京にはこんなすごい人がいるんですね!」


花澄は純度百パーセントの尊敬の眼差しで黒瀬を真っ直ぐに見つめ、信じられない言葉を放った。


「明日もぜひ、私のお手伝いをお願いしたいんです! 実は、迷子になってしまったかもしれないお友達を探したくて……明日のお昼、またお電話してもよろしいですか?」


黒瀬の足が、最高級のフローリングに縫い付けられたようにピタリと止まった。

月額十万円の架空サブスク。

本来なら、適当にあしらって金を騙し取って終わりのはずの契約は、この底抜けの天然令嬢によって、詐欺師の予測をはるかに超える泥沼へと転がり始めようとしていた。

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