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悪徳サブスクリプションと天然令嬢〜月額10万円の架空コンシェルジュ、過労死寸前〜  作者: My Pace News
第1章「月額10万円のカモと架空コンシェルジュ」

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第1話「完璧なるカモの飛来」

油汚れで黄ばんだ換気扇が、ガラガラと耳障りな音を立てて回っている。

壁紙は剥がれかけ、床にはエナジードリンクの空き缶が無造作に転がる雑居ビルの四階。都内の片隅にあるこのうらぶれた一室こそが、月額十万円の極上サービス『プレミアム・ライフ・エスコート』の誇り高き運営本部である。


「おい巧、見ろよ。また大物が引っかかったぜ。しかもいきなり『プラチナVIPプラン』の即時決済だ」


四台のモニターに囲まれたデスクから、赤木健太(あかぎけんた)がコーラを啜りながらニヤリと笑いかけてきた。万年寝不足を証明するような深いクマを作った彼は、この詐欺まがいのシステムの構築を一身に担う優秀なハッカーである。

黒瀬巧(くろせたくみ)は座り心地の悪いパイプ椅子から立ち上がり、スーツの皺を軽く伸ばしてから画面を覗き込んだ。


そこには、先ほど完了したばかりの新規契約者のデータが表示されていた。

名前は『白鳥花澄(しらとりかすみ)』。年齢は二十二歳。

住所の欄には、港区にある誰もが知る超高級タワーマンションの最上階付近の部屋番号が記されている。


そして何より黒瀬の目を惹いたのは、月額十万円という常軌を逸したサブスクリプション契約に対し、一切の躊躇なくブラックカードの情報を入力し、決済を完了させているという事実だった。


「……バカな女だ。利用規約の第八十九項に『本サービスの提供はベストエフォートであり、実働を伴う対応は別途高額料金が発生、または弊社の判断により対応不能な場合がある』と、ルーペを使わなければ読めない極小文字で書いてあることにも気づかなかったらしい」


黒瀬は薄暗い部屋の中で、冷酷な笑みを浮かべた。

『プレミアム・ライフ・エスコート』のウェブサイトは、黒を基調とした高級感あふれるデザインで彩られている。謳い文句は「24時間365日、一流のコンシェルジュがあなたの生活を完全サポート」。プライベートジェットの手配から、希少なワインの買い付け、果ては一流シェフの派遣まで、あらゆる願いを叶えると豪語している。


だが、無論それはすべてハッタリだ。

実態は、入会した直後からサイトのUIユーザーインターフェースが複雑怪奇な迷路へと変貌し、解約ページへのリンクが何百ものダミーページの奥底に隠蔽されるという、悪辣極まりない集金システムである。クレームが来ても、自動返信メールで「担当部署にて確認中です」と返し続け、客が疲れ果てて泣き寝入りするのを待つ。それが黒瀬の作り上げた完璧なビジネスモデルだった。


「これで今月の家賃も、当面の飲み代も安泰だな。まあ、適当に放置しておけ。どうせ数日で解約ボタンを探して迷子になり、苛立ちながら泣き寝入りする」

「だな。俺の作った『解約ボタンに絶対たどり着けない無限ループ・スクリプト』を突破できる素人はいないからな」


赤木が誇らしげにキーボードを叩き、二人は勝利を確信した。


黒瀬が再びパイプ椅子に腰を下ろし、冷めたコーヒーに手を伸ばそうとした、まさにその時だった。


『ジジジジジジッ! ジジジジジジッ!』


机の端に放り出されていた、一台の安いガラケーが唐突に震え出した。

黒瀬の動きがピタリと止まる。

それは『プラチナVIPプラン』の契約者にだけ仰々しく通知される、専用の「VIPホットライン」の端末だった。基本的にはダミーであり、かけてきても「現在、コンシェルジュはすべて対応中です」という自動音声が延々と流れる設定にしているはずの番号だ。


「おい、赤木……。お前、電話の転送設定を切り忘れてないか?」

「あっ! 悪い、ついさっきメンテナンスのために直通回線にしちまってた! すぐ切るか?」

「チッ……馬鹿野郎が。今すぐ切ったら怪しまれるだろうが」


黒瀬は忌々しげに舌打ちをした。

相手は月額十万円を即座に払える富裕層だ。ここで「繋がらない」「切られた」と不審に思われ、即座にカード会社へ決済停止の連絡を入れられたら、せっかくの売上がパーになる。一度だけ適当なオペレーターを演じて、のらりくらりと躱し、システムエラーのせいにして電話を切るのが得策だ。


黒瀬は一つ咳払いをし、背筋を伸ばした。そして、場末の雑居ビルにいることなど微塵も感じさせない、完璧な高級ホテルのフロントマンのような声音を作って通話ボタンを押した。


「お電話ありがとうございます。『プレミアム・ライフ・エスコート』専属コンシェルジュデスク、担当の黒瀬でございます」


『あっ、繋がった! わぁ、すごい、本当にすぐに出てくださるんですね!』

スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、怒りでも焦りでも、不信感でもなかった。

鈴を転がすような、どこまでも無邪気で、弾んだ若い女の声だった。あまりにも疑うことを知らないその純粋な響きに、黒瀬は思わず毒気を抜かれ、わずかに眉をひそめた。


『初めまして、黒瀬さん。先ほど契約させていただいた白鳥花澄と申します。あの、早速で申し訳ないのですが、一つサポートをお願いしてもよろしいでしょうか?』

「……はい。白鳥様、本日はご入会誠にありがとうございます。どのようなご用件でしょうか?」


金持ち特有の身勝手な我儘か、それとも入手困難な三ツ星レストランの予約代行か。はたまた、深夜のタクシー手配か。

頭の中で「いかにもそれらしい断り文句」を高速で組み立てていた黒瀬に対し、白鳥花澄は嬉々として、しかし少しだけ困ったような声でこう告げた。


『実は今、お部屋にとても大きなクモさんが出まして……。あの、退治していただくことは可能ですか?』

「…………は?」


黒瀬の口から、およそコンシェルジュらしからぬ間抜けな声が漏れた。


『あっ、でも絶対に叩いたりしないでくださいね。可哀想なので、殺さずにそっと外へ逃がしてあげてほしいんですけれど……』


黒瀬の優れた頭脳が、一瞬にしてショートを起こした。

月額十万円の最高級VIPプランに加入して、最初の依頼が『虫退治』?

しかもここは場末の雑居ビルであり、相手は港区のセキュリティ万全なタワーマンションだ。直線距離でも十キロは離れている。クモ一匹のために行く距離でも、やる仕事でもない。


『あの、コンシェルジュの黒瀬さん? もしもし? クモさんが段々、私のベッドの方に近づいてきていて……あの、どうしましょう……』


電話の向こうで、天然令嬢の声がわずかに震え始める。

冷徹な悪徳詐欺師と、世間の常識が完全に欠落した規格外の天然ユーザー。

交わるはずのなかった二人の、奇妙すぎる契約が幕を開けた瞬間であった。

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