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第38話 そして、プレリュードは未来へ続く

 エスターニアでの激闘から、数ヶ月。王都カルデアには、厳しい冬が訪れていた。公爵家の窓から見える庭園は、雪の化粧を施され、静かな眠りについている。あの血と硝煙の匂いが、まるで遠い昔の夢であったかのように。


 エスターニアは、若き女王リリアーナと、彼女を支える摂政レオニード王子の手によって、急速に安定を取り戻しつつあった。先日、私の元には、エスターニア王家から一通の丁重な礼状と共に、一つの小箱が届いた。中に入っていたのは、黒百合をかたどった、見事な細工のブローチ。呪いと復讐の花は、今や、再生と未来への約束の象徴となっていた。


「わあ、綺麗です! さすが女王陛下、センスがいいですね!」

「ミラベル、あなた、人が変わったようにエスターニアを褒めるようになったわね」


 紅灯区の隠れ家――今や「王都情報調査官・紅灯区支部」という、少々大げさな看板が(こっそり)掲げられた部屋では、ささやかなお茶会が開かれていた。今日の主役は、艶楼の仕事の合間を縫って、顔を出してくれたリナだ。


「これ、故郷の母からです。『娘がいつもお世話になっております』って」

 リナが差し出してくれたのは、素朴だが、とても美味しい焼き菓子だった。


「リナ殿には、我々の方こそ世話になっている。君の情報網は、今や守備隊の公式なものより正確かもしれんからな」

 非番だというのに、律儀に制服姿で参加しているヴォルフガング中佐が、硬い表情のまま、しかしどこか温かい声で言う。


「そんなことないです! あ、そうだ、ミラベルさん! この前、王宮の研究所ですごい発明をしたって本当ですか?」

「えへへ、そうなんです! あの時の『ピコピコハンマー』を元に、王宮警備用の『自動迎撃☆お仕置きハンマーくん』を開発したら、警備局の方から量産の問い合わせがきちゃって!」

 ミラベルが胸を張る。ヴォルフガング中佐は、その言葉を聞いて、こめかみをピクピクさせながら、黙って紅茶をすすっていた。…心中お察しするわ。


 穏やかで、温かくて、そして、少しだけ騒がしい、かけがえのない時間。私がこの手で守りたかったのは、こういう何気ない日常なのだと、改めて実感する。

 ただ、そこには、いるべきはずの男の姿がなかった。


 あの戦いの後、カレルは、エスターニアの混乱が収束するのを見届けると、ふらりと姿を消してしまったのだ。いつものように、風のように。


「…カレルさん、元気にしてるといいですね」

 リナが、少し寂しそうに呟いた。その時だった。


 コンコン、と隠れ家の窓が、小気味よいリズムで叩かれた。

 その、あまりにも聞き覚えのあるノックの音に、私たちは顔を見合わせる。私が窓を開けると、そこには、ひらりと身軽に窓枠に腰掛けた、見慣れた情報屋の姿があった。


「よう、お嬢様方。楽しそうなことしてんじゃねぇか。俺様を仲間外れにするとは、とんだご身分だな」

「カレル!」

「カレルさん!」

 すっかり虹色のオーラも消え、いつもの飄々とした雰囲気に戻った彼に、私たちは駆け寄った。


「あなた、今までどこで何をしていたのよ! どれだけ心配したと…!」

 私が怒りの言葉をぶつけようとすると、彼は私の口を人差し指でそっと塞いだ。

「野暮なことは聞くなよ。ちょっとした"後始末"と、休暇さ。お前さんたちにこき使われたんでな、骨休めが必要だったんだよ」

 彼はそう言うと、テーブルの上に残っていたリナの焼き菓子を、ひょいと一つまみ食いした。


「あっ、カレルさん、ずるいです! それ、私が花季様のために…!」

「なんだミラベル、まだそんな珍妙な発明してんのか?」

「珍妙じゃありません! 最新式です!」

「貴様、許可なくこの国の土を踏んでいいと思っているのか、このチンピラが」

「おっと、カタブト中佐のお出ましか。相変わらず、顔も頭もカタイこった」


 いつもの、騒がしいやり取り。でも、その光景が、今はどうしようもなく愛おしい。


 やがて、皆が帰り、隠れ家には私とカレルの二人だけが残った。

 私は、エスターニアから届いた黒百合のブローチを、彼に見せた。

「知ってる? この花の花言葉、もう一つあるのよ」

「…さあな。花なんざ、興味ねぇ」

「『恋』ですって」

 私がそう言うと、カレルは一瞬、目を見開いて固まった。そして、照れくさそうに頭を掻きながら、私の手を、不器用だが優しく取った。


「…あんたには、本当に敵わねぇな」

「今さら気づいたの?」

「…俺の"借り"は、全部返したつもりだったんだがな。どうやら、あんたに、一生かけても返しきれねぇ、とんでもない"借り"ができちまったみてぇだ」

 その言葉は、どんな甘い愛の告白よりも、ずっと、彼の本心を表しているように聞こえた。


 数週間後。

 私は再び、公爵令嬢として、王宮の夜会に出席していた。胸には、あの黒百合のブローチが輝いている。

 私はもう、この華やかな世界の裏にある闇を知っている。そして、その闇と戦うための、かけがえのない仲間たちがいることも。


 バルコニーに出て、王都の煌めく夜景を見下ろしていると、隣に、いつの間にかカレルが立っていた。彼は、どこから手に入れたのか、上等な貴族の服を着こなしている。


「さあ、次の仕事は何だ? 我らが誇る、"王都情報調査官"様」

 彼が、悪戯っぽく笑いかける。

 私は、満天の星空を見上げ、そして、彼の隣で微笑み返した。


「ふふ、そうね。退屈している暇は、当分なさそうだわ」


 私たちの物語は、まだ始まったばかり。

 偽りの仮面を被り、真実を暴く。

 この愛すべき王都と、大切な仲間たちを守るため、私の、そして私たちの戦いは、これからも続いていくのだ。

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