【34】 薄暗い部屋
「なんでそんなことを言うの? 凛花ちゃんは李依瑠が間違ってるっていうの? 李依瑠が悪いの? 李依瑠のことを否定するの?」
李依瑠ちゃんは早口言葉のように、一息にまくし立てる。
「そういうことじゃない。誰が正しいとか悪いとかじゃないの。憎しみは誰かが終わらせないと永遠に続いていくんだよ」
「凛花ちゃんは李依瑠を裏切るの? 李依瑠を捨てるの? 李依瑠のことを嫌いになったの?」
「違うよ! お願い話を聞いて。李依瑠ちゃんはたいせつな友だちだよ。大好きな友だちだよ」
「李依瑠のこと……大事?」
「当たり前だよ。たいせつで大事な大事な友だちだよ」
「そっかあ。だったら……李依瑠のいうとおりにしてほしいなぁ。終わらせるのは李依瑠たちじゃなくていい。そんなのはほかの誰かでいいじゃない」
「それは違うよ。誰かじゃだめなんだよ。誰かにまかせちゃいけないんだよ。苦しんだわたしたちじゃなくちゃ。ほかの人にわたしたちと同じ思いをさせちゃだめなんだよ」
「とうして? どうして? 李依瑠はただ、李依瑠たちの悔しさや悲しい気持ちを鈴木さんたちにわからせたいだけなのに……! どうしてそんなに反対するの? 李依瑠は大事な友だちなんでしょ? だったら一緒にやろうよ」
「……悔しいよね……そうだよね。だけど、李依瑠ちゃんにはボスたちと同じになってほしくない。そんなことをしても、ボスたちにはわたしたちと同じ悲しさや辛さは絶対にわからないと思う。ただ恨まれて憎しみを重ねていくだけ。それに、たぶん……ボスたちも違う形で苦しんでる」
望ちゃんについた『泥』。『泥』はどろどろに濁ってヘドロのように腐敗した感情の成れの果てだと、夜須さんはいった。
憔悴しきったボスの表情が浮かぶ。
疲弊した心を抱えて心療内科に通院していたという柿本さん。紹介された拝み屋の門をくぐった石田さん。彼女たちもまた、さまざまな経験で削られた心の隙間に、なにかしらの『泥』の影響を受けていたのだろう。
「だから……なに? 苦しんでるからなに? 李依瑠の気持ちはどうなるの? どうでもいいの? 李依瑠だって苦しかったよ」
「わかる。わかるよ。悲しかったよね。辛かったよね……。それでも李依瑠ちゃんがボスたちと同じことをしたからって、李依瑠ちゃんの気持ちが晴れることはないよ。傷や痛みが増えるだけ。楽しいなんて嘘だよ」
「嘘じゃない。嘘じゃないもん!」
「わたしの知ってる李依瑠ちゃんは違うよ。人を傷つけて楽しむような人間じゃなかった。……自分がつらい思いをしたぶんだけ、人の気持ちに寄り添える女の子だった。優しくてかわいい女の子だった」
途端に李依瑠ちゃんの昏い目が大きく見開かれると、小刻みに肩が震え出す。
「凛花ちゃん……。李依瑠のこと、なにも……わかってないよ」
途切れ途切れの泣いているような細い声は、肩と同じに震えている。だけど泣いているわけではない。口角はにっと上がって……笑っていた。
「さっき凛花ちゃんと李依瑠は同じだって言ったよね。でも、違うよ。同じじゃないよ。李依瑠はね、いつでも凛花ちゃんが羨ましかった。凛花ちゃんは李依瑠が持ってないものを全部持ってた。欲しかったものを全部持ってた! 李依瑠のことなんかなにも知らないくせに! 凛花ちゃんになんか絶対にわかるはずがない!」
李依瑠ちゃんの髪は竜巻に巻き上げられたように、天に向かって逆立って広がった。目尻は狐のようにみるみるうちに吊り上がる。甲高く笑う声は叫んでいるようでもあり、李依瑠ちゃんだけではなく、何人もの声が重なっているように感じた。李依瑠ちゃんの背後や隣には、黒く薄い影がいくつもいくつも連なって見えた。
あれは……?
大きく広げられる李依瑠ちゃんの腕。黒い影たちも同じように腕を広げると、李依瑠ちゃんの背中から巨大な黒い翼が生えたようだった。
「李依瑠のことが大事なら、じゃあずっと一緒にいてよ」
微笑んで黒い翼をひと振りさせると、強烈な風が起こった。その場に立っていることがやっとの強風だ。気を抜くと吹き飛ばされそうになる。風に煽られて息がつまる。咄嗟に腕で顔を隠すことでようやく息を吸うことができた。
「李依瑠ちゃん! もっとちゃんと話をしようよ!」
答えはない。李依瑠ちゃんの気配はその場からすっと消えてしまった。
「李依瑠ちゃん!」
しばらくすると風がやんだ。
恐る恐る腕を下ろすと、わたしは今度は薄暗い部屋のなかに立っていた。
見回すとそこはどこかの家のリビングのようだった。
日中なのに窓のカーテンは引かれている。陽光が遮られてしまうから部屋の中は薄暗い。カーテンの隙間から細く差し込む光に、だんだんと目が慣れてくる。
四畳半ほどの狭い部屋。
フローリングの床の上には洋服や雑誌、お菓子の空き袋や開けられてもいない封筒類も散らばっている。床の隅の方は見て分かるほどに白い。埃が床を覆っていた。
壁際には45リットルの半透明のゴミ袋がいくつか積み上げられている。
ローテーブルと雑多に散らかったゴミ以外には、家電や家具などもなにもない部屋だ。
そのローテーブルの上や下にも、酒類の空き瓶やビールの空き缶、汚れた食器などが片付けられないままに散乱している。ファスナーが開いたままの化粧ポーチからはマスカラ、口紅、ファンデーションなどのメイク道具が雪崩のようにこぼれていた。部屋の主には整理整頓や片付けといった概念はないようだ。
もしかして、ここは ──
キッチンの排水口からだろうか。汚れた皿やゴミ袋からだろうか。生ゴミのような異臭もかすかに鼻につく。
「凛花?」
名前を呼ぶ声に振り向く。そこには中野が立っていた。李依瑠ちゃんのように子どものままの姿ではなく、同窓会で会ったときの今の姿だ。
「中野……」
目の前にいる中野の額には事故で負った傷はない。
こんなところにいたなんて……。
「ええぇぇ? もうどうなってるんだよ。これって夢だよな? な? ああっ……って、そんなこと凛花に訊いてもわかるわけないよなぁぁ。これ、俺の夢だしなぁ」
わたしの顔を見た途端に、中野は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
中野の後ろから三歳くらいの女の子が現れる。中野の背中に隠れていて気がつかなかった。
じっと見上げてくるこの子はもしかして。
「李依瑠ちゃん?」
こくんと肯く少女は、十歳の李依瑠ちゃんの面影があった。
なにが……どうなっているのだろう。
頭を抱えたまま、しゃがみこんで唸っている中野。幼い李依瑠ちゃん。荒んだ生活を感じさせる部屋。
「李依瑠ちゃん、ママは?」
思いきって訊いてみる。
李依瑠ちゃんは黙って首を左右に振った。
「いないの。ずっといないの」
読んでくださってありがとうございます。
山が……まだ山を登りきる途中……
なんでや(*´□`*。)°゜。




