195話 ノルンと小悪党
「かはっ、な、なんて力なんだ……こいつ、化け物か」
壁に叩きつけられたクリシュナがうめき声をあげて、ズルリと崩れ落ちる。クリシュナが叩きつけられた壁は崩れて、瓦礫がガラガラと床に落ちていく。
たった一撃。しかも攻撃らしい攻撃でないのに、ボロボロとなったクリシュナは痛みで身体を震わせながら立ち上がろうとするが、脱力したように膝をつく。
とんでもない威力。予想だにしなかったダメージはクリシュナをあっさりと行動不可能としていた。
「ふふん、愚か者め。妾こそが悪魔の中でも、ソロモンの悪魔とは別に作られた唯一無二の悪魔ノルン。たかだか一介の精霊戦士が敵うはずもあるまいて」
その様子を睥睨し、自らの名を名乗るノルン。妖艶な顔立ちで、プラチナのようなブロンドの髪はウェーブがかかっており、背中まで伸びている。モデルのようにスタイルもよく、美しい花の意匠が映える赤い着物を着ていた。手には羽根つきの扇子を持っており、存在自体が神々しい空気を纏っていた。
「の、ノルン? どういうことだ………僕にもわかりやすいようにせ、説明しろ」
「はっ、簡単なことだ。妾の権能はあまりにも強大。そのために普段は核と三人の眷属に分かれていたのよ。核たる本人も意識していなかったがな」
豊満な胸の前で腕を組み、扇子で口を隠しながら嗤うノルン。ノルンの真の姿、四人全員が『悪魔融合』することにより、本当の力を取り戻せる切り札。
ソロモンの悪魔たちとは別の設計で作られた悪魔。それがノルンだ。
「くっ、このままやられ役で終わるわけにはいかないな! 風よ、敵を穿て!」
『極大暴風陣』
全ての魔力を振り絞り、クリシュナは手を突き出す。ノルンの足元に魔法陣が描かれると緑の光が放たれて——。
『その運命は不発なり』
ノルンが足を軽く踏むだけで魔法陣は掻き消えて、最初からなにもなかったかのように魔力も霧散してしまう。
「なにっ!? そんな馬鹿な」
あり得ない事象に目を向けるクリシュナ。今の消え方は、魔法の制御に失敗したことによる発動が失敗したものだと知っている。だが、クリシュナも鍛えている。いかにダメージを負っても魔法の制御は完璧のはずだったのだ。
驚愕するクリシュナへと、扇子を軽く振りながら冷笑で返す。
「人の身ではその程度であろうな。精霊の力を借りても、所詮は人間。悪魔の中の悪魔である妾には敵わぬ」
「悪魔だと………そこまで力の差があるのかよ。くそっ、隠しルートとかいうやつか」
「ふふふ、そこでゲームの話をするのが愚かな操り人形の限界。ゲームだと思っているそなたの記憶は………いや、冥土の土産に教えてやろうかと思ったが、もう一人、いや、一羽いたか」
ゆっくりと後ろを振り向き、ノルンは床に立つもう一羽の敵へと微笑む。
「きゅー、メイはどこに行ったのぉ〜?」
そこにはメイのポケットに入っていたミニウサギ、ミミがちょこんと立って、つぶらな瞳を見せて不思議そうに小首を傾げていた。
「ふ、愚かな人工精霊ごときにはわからぬか。メイなど最初から核として存在していた者、この姿が真の姿なのだ!」
蔑む声音で軽く扇子を振るうノルン。ミミはピクリと耳を震わすと、床をピョンと蹴る。立っていた場所に突風が刃となり削っていき、コンクリートの破片が飛び散り大きく溝が生まれる。
「悪魔と認定したよぅ」
テテンとステップを踏み、ミミの身体が放電し元のうさぎの大きさに変わると、精霊鎧がその身体を覆う。
角張った分厚い装甲に包まれた全身を覆う強化鎧。フルヘルムで目元を隠すようにバイザーが下りる。そして、その手には巨大なガトリングカノンが姿を現す。ギラリと金属の光を見せて、ずっしりとした重みのある重火器だ。
ミミはバイザー越しに、ノルンを認識させて精霊鎧がロックオンする。
「殲滅かいしぃ」
そして赤い目を光らせて、躊躇いなく引き金を引いた。ガトリングカノンの砲身が猛回転し始めて、つんざくような轟音を立てると、銃弾が豪雨のようにノルンを襲う。
「ほう、悪魔と見るや、メイへの情などなかったのように躊躇いなく攻撃をしてくるか」
面白そうに微笑み、ノルンがバックステップをし、銃弾を回避していく。
「逃さないよぉ。悪魔は駆逐する決まりなのぉ」
ガトリングカノンの銃口を素早く回避していくノルンへと向けて、追撃するミミ。銃弾はコンクリートに大きく穴を空けていき、あっという間に穴あきチーズのようにボロボロにしていく。
だが、弾くように床を蹴り、天井を踏み台にして、縦横無尽に駆けるノルンに命中することはない。
「ふ、その程度の玩具で妾を倒せると思うなよ!」
信じられないことに豪雨のような銃弾の軌道を全て見切ったかのようにノルンは全てを回避して、ミミへと肉薄してくる。
「そら!」
「きゅー」
そうして、扇子を殴打武器のように振り下ろしてくるノルン。対抗してミミは左手を捻り、籠手から軍用ナイフを飛び出させると、扇子を受け止めるべく素早く振るう。
扇子と軍用ナイフがぶつかり合い火花を散らし、お互いを照らす。お互いの力が拮抗し、ギリギリと押し合う。
「む。この速度に反応するとはなかなかやるの」
一撃で倒すつもりだったノルンが楽しそうな顔になるが、ミミは答えることなく、バイザー内で眼を素早く動かし、精霊鎧に指示を出す。
背中に取り付けられたバックパックが開き、収納されていたマイクロミサイルが一斉に発射されて噴煙を残しながら直上に飛んでいく。
マイクロミサイルは勢いをそのままに天井にぶつかると爆発し、二階、三階と天井を砕いていき、ぽっかりと空いた空間を作る。
「天井をわざと砕いたのか?」
「ここは狭いんだよぉ。スペースを作るんだよぉ」
予想外の行動に驚くノルンへと、スラスターを全開にして、力で押し退けてミミは空中に飛び出す。そのままスラスターを吹かせて、落ちてくる瓦礫を器用に避けながら、ガトリングカノンを再びノルンへと向けると引き金を引く。
ドドドと轟音が鳴り響き、死の嵐がノルンを襲うが、慌てることもなく、ノルンは微笑みながら空へと飛翔して躱す。
「なるほど、なかなか面白い個体のようじゃな。ならば、久しぶりのこの身体。その力を試させてもらおうか!」
『吹き荒れる魔弾』
ノルンが畳んだ扇子をミミに向けて、魔弾を撃つ。銃弾の軌道に入り込んだ魔弾は衝撃波を巻き起こし、銃弾を木の葉のように散らしながら、ミミへと襲いかかる。
「力負けしてるぅ」
左足のスラスターを吹かし、横回転からのロールで回避しながら、ミミはガトリングカノンの引き金を引くのを止めずに、ノルンへと攻撃を続ける。
ミミが回避した魔弾がビルの壁を大きく破壊して、ビル全体が震える。ミミのガトリングカノンも、その嵐のような銃弾でビルをどんどん砕いていく。
「そらそらそら、妾の攻撃が一発でも当たれば終いだぞ?」
ノルンが魔弾を撃ってきて、ミミは落ちている瓦礫を踏み台にぴょんぴょんと飛び跳ねながら回避する。しかして、ノルンの魔弾の発動速度は速く、ミミの機動では対抗できるものではなかった。
チッと軽く掠っただけで、装甲が綺麗な断面を見せて削られているのを見て、きゅーとミミは鳴く。
「装甲がまったく役に立たないよぉ。力に差がありすぎるぅ」
「速度もであるぞ!」
愚痴るミミへと、瓦礫を踏み台に鋭角に接近してきたノルンが扇子を振るう。ミミも軍用ナイフで打ち返して、キンキンと金属音が響く。
「ほう、力の差を腕の差で埋めようとしているのか。しかし、それは無駄な足掻きと言っておこう!」
「きゅきゅー?」
ミミのナイフの腕は人工精霊の中でもピカイチだ。単に筋力だけで振るう敵の攻撃など、いかに速くても対応できる。振るわれる軌道にナイフを差し入れて歪め、打ち払い、隙を見つけて反撃をする——はすだった。
だが、ノルンはミミの動きを知っているかのように、振るうナイフを正確に迎え撃ち、ミミの攻撃を寄せ付けない。拙い腕でも、ここまで正確に攻撃を読まれてはミミも対抗する術がない。
「いや、予知というやつだねぇ、厄介だよぉ」
「そのとおりだ。そなたが勝利できる未来は存在しない!」
激しい切り合いで、ミミは段々と押されていき、装甲に傷が増えていき、劣勢へと押しやられる。
そして、ミミはそれでもノルンは全力を出していないと気づいていた。ノルンは自身の力の強さを確かめるために遊んでいる。ミミを甚振って楽しんでいるのだ。
(舐めプをしている間に倒すんだよぉ。——切り札で!)
だが、それこそがミミにとっては勝機であった。唯一の蜘蛛の糸を掴むべく、精霊鎧の切り札を使う。
『小悪党システム起動』
親分の力を解析し実装された新システム。人工精霊と精霊鎧が一つとなり、銀のオーラを解き放つ。
「この力は!?」
いきなりミミが輝いたことを見て、ノルンはうさぎの力が一気に跳ね上がったことに気づく。
「親分ぱわーだよぅ!」
跳ね上がった怪力でノルンの扇子を弾き飛ばし、その腹に蹴りをいれる。予想外の衝撃を受けて、苦悶の顔で後ろに下がるノルン。ミミは銀色に輝くままに残像を残しながら、高速でビル内を飛ぶ。
先ほどとは比べ物にならない鋭さと素早さで、鋭角に機動しながら、ミミはガトリングカノンをノルンへと撃つ。
銀色のオーラに覆われた弾丸。その内包するエネルギーは自身の身体を傷つけることができると、ノルンは顔を引き締め、本気となる。
「なるほど、この銃弾ならば妾を殺せる可能性がある。これほどの切り札を隠し持っていたか」
ミミへと感心の声を向けるが、口元に浮かぶのはそれでも余裕の笑みであった。
「だが、妾にはその銃弾の全ての軌道が見えておる。未来予知にて、そなたの攻撃は通じないのじゃ!」
くるりと体を翻し、ノルンはミミの切り札たる攻撃を軽やかに紙一重で躱していく。
「その銃の残弾が切れた時がそなたの最後よ! ——ぬ!?」
だが、その言葉は腕に奔る痛みに戸惑いに変わる。痛みを感じた腕を見ると弾丸が掠っており、傷を負っていた。
「どういうことじゃ? 銃弾の軌道は予知して全て躱したはず。こ、これは!」
驚きの声を上げるノルンはなぜ銃弾が命中したのかを悟る。ミミの放った銃弾、躱したはずの銃弾は、ビル壁にぶつかると跳ね返って跳弾となって、ノルンの周りを飛び交い始めていた。
ビル壁だけではない、飛び交う銃弾同士もぶつかり合うと、さらなる跳弾となり空を駆け巡っていた。
「ミミの必殺技だよぅ。たくさん銃弾を跳ね返すのぉ」
『兎跳弾』
跳弾になっても威力は減衰することなく、大穴を開ける威力でも、目標以外にはゴムボールのように破壊力を見せずに跳ね返る。
単純にして、強力なミミの切り札。
「これを狙っておったのか! これだけの銃弾を跳弾でコントロールするとは!?」
今やノルンの周りは銃弾が蜘蛛の網のような軌道を描き縦横無尽に飛んでいる。もはやどこにも逃げ場はなく、予知でも回避は不能だとノルンは悟る。
「これぞ回避不能の跳弾結界。全周囲攻撃にて、悪魔退治は完了だよぉ」
『全開射撃』
そうしてミミは己の精霊力を全て込めて、引き金を引くのであった。




