第2話
夕闇が街を包み始めたころ、通りはさらに賑わいを増す。酒場の面々もユダの料理で酒が進み、顔が赤らんでいった――ブルータスを除いては。
「こちらもどうぞ、スコール殿」
テーブル横で骨付き肉にかじりつくスコールに、スープを差し出すユダ。骨に夢中のスコールに代わって、アリアが礼を述べた。
「よかったね、スコール」
「いえいえ、彼にはいい闘いを見せていただきました。流石、お嬢様の騎士殿だ」
「えへへ。私にとってはお祖父ちゃんみたいな存在ですけど」
「そう言えば、まだきちんと挨拶していませんでしたね。私、ユダと申します」
「アール・クックじゃないのか」
と茶々を入れるのはシーナである。
「アリア・ウォーカーです。こっちはスコール。よろしくね」
「――ウォーカー……」
ユダはその名を噛みしめるように呟きながら、アリアとスコールとを見つめている。
「……あの、何か?」
「いいえ。美しい貴女によく似合う、美しい名だと思いまして」
「おい詐欺師、お嬢様に変な真似するんじゃないぞ」
マックスが嗜めると、ユダは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「おっとこれは失礼、ヤキモチを焼かせてしまいました」
「何でそうなる……」
マックスが辟易した顔で呟いた。
「しかし確かにいい闘いだった。スコール殿、それにお嬢もな」
「そのとおり、お二人とも流石です」
ブルータスとマックスに褒められ、アリアは赤ら顔で髪をいじる。
「あはは、それはどうも……」
「それにひきかえ……」
そう言ってブルータスが視線を向けたのは、包み揚げを頬張るシーナである。
「俺?」
「お前は何だ、毎度毎度ぬるっと生き返りやがって。気味悪いんだよ!」
「そうだそうだ! あんな理論もへったくれもない魔法、僕は認めないぞ!」
「いや俺別に……」
酔っ払い二人に絡まれ、シーナはたじたじになる。
「そう言えば、決着付けてなかったな。次やるときゃ真っ二つに――」
そこまで言って、言葉を切るブルータス。
「どうしたオーク」
「そういやコイツ、縦に真っ二つ両断されたらどっちから再生するんだ?」
「オッサン、怖いって」
「そりゃあ心臓があるほうじゃないのか」
「先生も真面目に答えなくていいから」
「オーク、『ものは試し』って言葉知ってるか?」
「そりゃあいい言葉だ、エルフ」
無言で逃げ出すシーナと、取り押さえようとするブルータス。
「待ちなさい」
とユダが制した。
「クック……!」
シーナが感動したような目でユダを見上げる。
「私のほうが綺麗に両断できます」
取っ組み合う三人を眺めながら、アリアは赤ら顔で笑っていた。
マックスはというと、やけに神妙な表情でシーナを見つめている。
彼の脳裏に浮かぶのは、破壊魔法を生身で受けてなお再生してみせた男の姿。マックス自身、賢者の石を取り込んだフレイザーの力は身をもって味わっていた。
――それを、この男は……
マックスは左袖を捲り上げる。フレイザーの魔法で焼けただれたはずの左腕は、雪のような白肌を取り戻していた。
「最近、他人を治すのも慣れてきたよ」
監獄島を脱出した後、青白い顔でそう言っていたシーナを思い出す。
――僕に、同じことができるか……?
そう自問するとマックスは無性に悔しくなって、おもむろにシーナに跳びかかった。
「おお! いいぞ、やっちまえ! エルフパンチだ!」
「ずるいですよ、シーナ君ばかり。先生、さあ。私の胸にも飛び込んで――」
階下から聞こえる騒ぎ声を聞きながら、アリアは一人、二階のベランダに佇んでいた。手すりに肘をついて通りを眺めていると、酒で火照った身体を夜風が冷ましてくれた。
夜も更けてきたが貧民街の明かりは絶えず、あちこちから賑やかな騒ぎ声が聞こえてくる。
視界をゆっくりと上げていく。中央へといたる坂に沿ってぼんやりと明かりが灯り、その先には夜霧に浮かぶ王宮が幻想的に揺らめいていた。
――綺麗……
かつて十何年と暮らしてきたはずの王都だが、その美しさに改めて感嘆した。
しばらく眺めていると、やがてシーナが二階へと避難してきた。
「あいつら、最悪だ……」
「ふふ、ご愁傷さま。こんなに賑やかなのは久しぶり……いえ、初めてかも」
「ちょいと賑やかすぎるけどな」
となりで手すりにもたれて息を切らす彼を見て、アリアは可笑しそうに笑った。
「ああ……風が気持ちいいや」
「だね」
しばし、沈黙が続いた。
しかしやがて、シーナが思い出したようにため息を付く。
「それにしても、昨日は大変だった。現実に起こったこととはとても思えないな」
「私もよ。明日目が覚めて全部夢だったとしても、何も不思議に思わないでしょうね」
「でも、あの島で何か見つけたんだろ?」
「……ええ、看守長の部屋で――」
というアリアの言葉を、シーナが大袈裟に手を振って遮った。
「ああっとすまん、また明日にしてくれ。脳みそがアルコールと疲労で満席だ。今は何にも理解できそうもない」
「ふふっ、それもそうね」
そのときアリアの脳裏に浮かんだのは、看守長室で見つけた手帳――そこに記されていた『あの検体』という記述である。
――あれはきっと……
そう思いながらシーナの横顔を見つめていると、眼が合った。
「そんな見つめられると照れちゃうな」
「ああ……ごめんなさい」
アリアは慌てて目を逸らす。シーナはカラカラと笑った。
それからアリアはシーナにせがまれ、王都のあちこちを指差しながら思い出話を語り聞かせた。
靴屋の娘のペギーという友人や、大好きな学校や行きつけの菓子店。日曜の礼拝の後に、父とスコールと歩いた散歩道の話。
くすくすと思い出し笑いを漏らすアリア。そんな彼女の横顔を、シーナは微笑みながら見つめていた。階下からも通りからも、賑やかな騒ぎ声が届いている。
しかし時おり、翡翠色の瞳に宿る寂しげな影にシーナは気付いた。
――お嬢は、唯一の肉親を失ったんだよな
心の中で呟く。
――失うってのは、どんな気持ちなんだろうな……どんな想いで、俺に笑いかけてたんだろうか
胸の中に熱い感情が込み上げてくるのを、シーナは夜風とともに感じていた。
***
同時刻、クリーグの街にて。
未だ炎の燻る監獄。その残骸の前に、ネイサン・ハモンドとルディ・フォン・ラインラントが並び立っていた。
丸一日経った現在も、瓦礫の撤去作業が続いている。
「いったい何がどうなれば、こんなことになるんだ」
ハモンドはわかりやすく苛立っている。
「儀式中に事故が起きたか……もしくはフレイザーが癇癪を起こしたか、だね」
「フレイザーが?」
「ああ。彼、石の精製法は確立したっていうのに、新たに別の研究を進めていたらしい」
「くそっ、これだからイカれた邪教徒は嫌いなんだ」
ハモンドは忌々しげに唾を吐き捨てる。ラインラントはいたって冷静に彼を宥めた。
「なあに、石の精製法は私も知っている。それに、私とネイサンが持っている分とですでに二つある。計画に影響はないさ――ただフレイザーが癇癪を起こしたのには、理由があったみたいだね」
「……理由?」
「彼の同族嫌いは、知っているだろう?」
「エルフがここにいたってのか?」
「ああ。昨日の昼間に市場で騒ぎを起こしたエルフがいたとさ。そしてそのエルフは、見目麗しい少女と剣士とともに、どこかへ去っていったとか」
「少女……まさか!」
ハモンドの眼が、かっと見開かれる。
「ウォーカーの娘か!?」
「私もそう思う。モウブレー殿は『ウォーカーの娘の行方は知らない』と言っていたが、状況から見てそれはあり得ないだろう。匿っていたか、あるいはともにウォーカーの仇討ちでも企てていたか……何にせよずいぶんと嘘吐きなお方のようだ」
ラインラントは困り顔で苦笑を浮かべた。
「剣士のほうはモウブレーの配下か……くそっ、あの狸親父め! まんまと先手を打たれたわけだ!」
「カルド山で見つけた手掛かりから監獄島のことを知り、先遣隊を送っていたんだろう。そしてこの監獄島で『石』のことを知ったとすれば、次に目指すのは――」
「王都に決まっている。しかし、ミュールを虱潰しに捜していては埒が明かんぞ……」
苛立って歯噛みしながら、忙しなく無精髭をさするハモンド。すると、憲兵隊の男が駆けつけてきた。
「どうだった?」
やや急いた様子で、ラインラントが尋ねる。
「仰られた地下牢ですが……錠は斬り落とされ、つながれていた筈の手枷もこじ開けられ――」
「奴はいなかったんだな?」
「え、ええ」
すると次の瞬間――雷鳴とともに悲鳴がこだまし、胃の腑を押し潰すような重圧が周囲を支配した。
「「「マァアアア!!! グズゥッ!!! ヴェエエエェエルルル!!!!」」」
断末魔のような声を上げながら、瓦礫を掻き分け姿を現した何か。
それは、黒い霧をまとった巨大な肉の塊であった。
血と電撃をまき散らしながら、近くにいた兵たちを次々と消し炭に変えていく。
「おい……まさかアレが、フレイザーなのか……」
狼狽えるハモンドに構わず、剣をぬき放って平然とフレイザーに歩み寄るラインラント。
その剣は、夜闇の中で淡い輝きをまとっていた。
「ネイサン、彼らの行先がわかったよ」
顎の傷を撫でながら、嬉しそうに呟く。
迸る雷光が、微笑むラインラントの顔を照らし出した。




